15-11「義勇兵」

 クレール第2飛行場から無許可で飛び立ったナタリアの機体は、管制塔から言ってきた通り、基地の上空へと引き返しつつあった。

 高度は、3000メートルほどだろうか。安定した姿勢で水平飛行をしている。


 僕らはナタリアの機体を視認すると、彼女がどう動いても背後につける様に一度2手に分かれて左右別々の方向に旋回し、ナタリア機を左右から挟み込んで取り囲んだ。

 彼女は逃げ出すかと思ったのだが、機体は何事も無いかのように水平飛行したままだ。


 逃げることを諦(あきら)めたのか、それとも、そもそも逃げるつもりなど無いのか。

 ナタリア機は、僕らの機体に取り囲まれたまま、堂々と直進を続けている。


《おい、ジャック! ちょうどいい、お前、ナタリアの奴に警告してやれ。国籍不明機をインターセプトする練習になるだろう》

《じ、自分が、でありますか!? 》

《そーだ。何事も経験だ。他の奴らもよーく聞いておけよ? 別の機会があったら、別の奴にやらせるからな》


 まだ状況の全容は明らかでは無かったが、レイチェル中尉は余裕がある様子で、この事件でさえ、僕らの教育に利用しようと考えている様だった。

 今回はジャックが指名されたが、決して僕らにとっても他人(ひと)ごとではない。


 ベルランD型はバブルキャノピーになって視界が良くなっているから、外から操縦席の中の様子が良く見えた。

 ジャックは一度深呼吸をして気持ちを落ち着けると、僕らに向かって何故か楽しそうに手を振っているナタリアに向けて無線回線を開く。

 王国の空を領空侵犯してきた国籍不明機に対して警告を行うのと同じ手順で、周波数はマグナテラ大陸の上空を飛行する航空機であればまず間違いなく通用する国際緊急無線のものだ。


《あー、あー、逃走犯に告ぐ。こちらは王立空軍機である。貴機は我が国の領空を不当に飛行中である。ただちに車輪を展開し、抵抗無き意思を示した上でこちらの指示に従え。繰り返す》


 無線に耳を澄(す)ませていると、ジャックの声が聞こえて来た。

 教科書通り、国際共通語での呼びかけだった。国際共通語というのはマグナテラ大陸の諸国家の外交の場で伝統的に用いられ、今では大陸の上空を飛行するパイロット同士の共通言語としても用いられている言語だ。


 呼びかけは、ナタリアに確かに届いている様だった。

 だが、彼女は大陸外の出身者で、大陸の空を飛ぶパイロットであれば必ず知っているはずの国際共通語を知らない様だった。

 彼女は操縦席の中で、しきりに聞こえないという様なジェスチャーを繰り返している。


 その仕草を確認したジャックは、彼女への警告を国際共通語から、王国で一般的に用いられている言語へと切り替えた。

 王国の言語であれば、多少の訛(なま)りはあってもナタリアが使いこなせるというのは分かっている。


《逃走中の機、こちらは王立空軍機。貴機は我が国の領空を不当に飛行中である。ただちに車輪を展開して抵抗無き意思を示し、こちらの指示に従え。繰り返す》


 今度は、きちんとナタリアの耳にも届いているはずだった。

 だが、返答は無い。

 操縦席のナタリアは、今度は無線装置の方を指さし、「分からない」という様なジェスチャーを繰り返している。


《中尉。もしかすると彼女、無線機のスイッチの位置を知らないのではないでしょうか? 》

《ああ、そうか。そうかも知れん。……おい、ジャック。無線のスイッチがどこか教えてやれ》


 その意味を最初に理解したカルロス軍曹の助言で、レイチェル中尉はジャックにそう命じた。


《あーっ、やぁっと分かりましたネ! あたしの国の飛行機と場所が違うから、全然、分からなかったヨ! あたしがコックピットに近づこうとすると、みんなして邪魔するんだかラ! もぅっ! 》


 ジャックが無線機のスイッチの場所を教えると、ナタリアからようやく返答が返って来た。

 元の声の通りがいいためか、無線越しにガツンと声が入って来る。少し耳鳴りがした。


《えーっと、ナタリアさん? 無線が通じたみたいですし、そろそろこちらの指示に従ってもらえませんか? 逃げるつもりは無いみたいですけど、これ、立派な盗難ですし、じきに基地から実弾積んだ機がスクランブルしてきますよ? 》


 恐らくナタリアの声で気勢を削がれてしまったのだろう。少しジャックの声は遠慮がちになってしまっていた。


《嫌ネ! やっと戦闘機に乗れたんでス! あたしがパイロットだってみんなに認めてもらえるまでは、絶対に降りませんヨ! 》


 だが、ナタリアははっきりとそれを拒絶した。

 僕からすると彼女の状況はかなり不味(まず)いもので、大人しくこちらの指示に従った方がお互いのためになると思うのだが、彼女には強いこだわりがあるらしい。


《あー、あー、ナタリアで良かったか? こちらはレイチェル中尉、301Aの指揮官だ。確認するが、貴官はパイロットなのか? 》


 ジャックや僕らでは交渉には荷が重いと判断したのか、あるいは個人的にナタリアに興味を持ったのか、レイチェル中尉が話を引き継いだ。


《そうデース! これでも母国ではエースって呼ばれていたネ! だからこの国に来てあたしの腕で力になろうと思ったのに、この国の人たち「大陸外にまともな空軍があるのか? 」って真面目(まじめ)に取り合ってくれなかったんだヨ! だからあたし、力づくでも自分の実力を示してみせるネ! 》


 ナタリアは、相変わらずよく通る声で自分の主張をまくし立てた。

 無線の音量を落としてナタリアの話を聞いてみたのだが、どうやら、彼女がこんな暴挙(ぼうきょ)に出ているのは、王立軍からの待遇(たいぐう)について大いに不満があるからの様だ。


 ナタリアは自身のことを、彼女の祖国では戦闘機部隊に所属し、そこでエースと呼ばれるほどの活躍をしていたのだと主張した。


 もちろん、それは実戦によるものだ。

 ナタリアの母国では数年前まで連邦や帝国からの軍事的な干渉を伴う内戦が戦われており、その内戦に志願兵として参加したナタリアは戦闘機に乗り、数多くの空中戦を経験しているということだった。


 内戦と言っても、実質的には連邦と帝国の代理戦争の様相であったらしい。

 ナタリアの母国は比較的歴史の浅い国家で、議会制の民主主義を採用していた国家だった。だが、そこに連邦と帝国の干渉により、人民主権と平等主義の徹底を求める過激な民主思想勢力と、旧来の王権の一部復活を求め立憲君主制に体制を変換しようとする王党派勢力が形成された。

 外国からの支援を受けた2つの勢力はそれぞれが武装蜂起し、それまでの体制を維持しようとする政府軍との三つ巴の激しい内戦へと発展していった。


 その内戦は、連邦と帝国が王国に侵攻して来る少し前に終結した。

 これは、外部から干渉していた連邦と帝国が自分たちのことで手一杯となり、ナタリアの母国に干渉するどころでは無くなったためだった。

 内戦を戦っていた過激な民主思想勢力と、復古主義の王党派勢力は外国からの支援を失ったことによって急速に力を失い、政府軍によって完全に制圧された。


 ナタリアは政府軍に志願してパイロットとなり、内戦の終結後、民間に戻って普通の生活を送っていた。

 だが、マグナテラ大陸で連邦と帝国が王国へと侵攻を開始したことを知った。


 彼女からすると、王国の置かれている境遇は、自身の祖国とよく似ていると思えたそうだ。

 王国も、ナタリアの祖国も、連邦と帝国という大国の一方的な都合で戦乱へと巻き込まれ、多くの被害を受けてしまった。


 内戦で戦った経験を持つナタリアは、自分の腕前であれば王国の役に立てるのではないかと考え、同じ様な考えを持った仲間たちと一緒に、はるばる海を越えて王国までやって来て、王立軍に義勇兵としての参加を申し出てくれたのだそうだ。


 王国はいくらでも兵員を欲していたから、この予想外の義勇兵たちを歓迎した。

 だが、王国は永世中立という国是(こくぜ)の関係で、大陸外の状況についてあまり関心が無く、ナタリアたちの出身国でどんな戦いが行われていたのかに詳しくなかった。


 ナタリアは戦闘機パイロットとしての経歴から王立軍にはパイロットとして志願したのだが、王立軍ではマグナテラ大陸の外で現代的な航空兵力同士による激しい航空戦が展開されていたことについて正確に理解しておらず、「大陸外にまともな空軍があるはずが無い、だからそこで通用した程度の腕前では役に立たない」という偏見(へんけん)に満ちた判断を下してしまった。


 そのため、ナタリアはパイロットではなく整備兵とされてしまい、悔しい思いをしていたのだという。


 そして、そんな日々の結果、ナタリアは自身の「実力を示す」ことを決心し、何度も機体を操縦しようと試み、とうとうその企みを成功させたということだった。

 彼女は王国に対して敵対する意思は全く持っていなかったが、自分をパイロットだと認めてもらうまでは、絶対に機体からは降りないつもりでいる様だ。


《ほっほぅ、なるほど。実に面白い》


 ナタリアの主張を一通り聞き終えたレイチェル中尉は、感心した様にそう言った。

 何だか、嫌な予感がする。

 レイチェル中尉の声が、良くないことを企んでいる時のそれなのだ。


《つまり、ナタリア。パイロットだって証明できるなら、大人しくこっちの指示に従うってことでいいのか? 》

《それは、そうネ。あたしがパイロットだって分かってくれるなら、大人しく着陸しまス》

《よぅし、分かった! じゃ、こうしようじゃないか。……これからあたしらとナタリアで模擬空戦をする。そこで実力を示してもらおう》


 僕の悪い予感は、的中した。

 これでは、騒ぎがもっともっと、大きくなってしまう。

 無事にナタリアを着陸させることができても、きっと、大ごとになってしまうだろう。


 僕は乗り気ではなかったが、レイチェル中尉から勝負を申し込まれたナタリアは、やる気だった。


《望むところネ! 》


※作者注

分かりにくいかと思い、今さらですが捕捉させていただきますと、連邦が言う民主主義とはジャコバン派の様な思想です。ですので過激で狂信的な民主思想と表現しています。

現代の我々が一般に想像する民主主義とは違うものですので、ご了承いただけますと幸いです。

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