15-9「問題児」

 ベルランD型のテスト飛行は、順調に進んだ。

 僕らは空中で教官役の曹長を中心として集合して編隊を組むと、飛行計画に従って、クレール市が存在する島を周回するコースに入った。

 これから巡航速度で、飛行可能時間いっぱいまで飛び続ける予定だ。


 僕は今すぐにでも、最大時速692キロメートルにもなるベルランD型の速度性能を試したかったのだが、曹長からまだそこまでしないでくれと注意された。


 というのも、ベルランD型の最高速度は高度7000メートルという高空で計測されたもので、今回のテスト飛行で飛行が予定されている低空や中空では空気が濃く、そこまでの高速は出ないからだ。

 しかも、ベルランD型のエンジンであるグレナディエM31は、高性能な100オクタン燃料の使用を前提としたもので、その最大出力の1800馬力は、王国ではまだ製造が難しい100オクタン燃料を使用する場合しか安定して発揮できない。


 王立空軍で実用機に多く使われている燃料は92オクタンのもので、この燃料を使用した状態では水メタノール噴射装置を使用している間しか最大出力を発揮できず、そうでない間は1500馬力程度しかパワーが出ない。


 水メタノール噴射装置というのは、キャブレーターで作られた燃料と空気の混合気にメタノールを含んだ水を混入させる装置だ。その気化熱でエンジン内部に送られる混合気の温度を低下させ、低質の燃料を使用していてもエンジンで不完全燃焼を発生させにくくするためのものだ。

 混合気の温度低下に使用されるのは主に水で、メタノールは高空で水が凍結することを防止するために配合されている。


 この水メタノール噴射装置は少し厄介なものの様で、長時間連続使用できるほどの信頼性がまだなく、使用は戦闘中などに限られている。

 また、エンジンにかかる負担も完全に取り除けるわけでは無く、戦闘中でもないのにめったやたらと使われては困るという話だった。


 これは、100オクタン燃料が潤沢(じゅんたく)に使用できれば無視できる問題であるはずだったが、王国では高性能な100オクタン燃料は量産されておらず、全て海外の中立国からの輸入に頼るしかない状況だった。

 王立空軍では100オクタン燃料をできるだけ集めて備蓄していたが、その備蓄も、先に行われた連邦軍への反抗作戦のために大量に使用され、すでに無い。


 つまり、今はまだ、ベルランD型の真の力は試せないということだった。

 残念なことだったが、いずれ機会はあると、僕は納得するしかない。


 それに、このテスト飛行は、僕にとっては素晴らしい体験だった。


 仲間たちと翼を並べ、空の青と、海の青の狭間を、どこまでも、どこまでも、飛んでいく。


 それは僕が夢に描いて来た光景そのものだった。

 王国南部の空は冬でも明るく、色が濃い。今日は快晴で雲が無く、透き通っている。

 その空から降り注ぐ日差しを浴びて、僕たちの機体は輝いている。

 そして遥(はる)か眼下には、やや緑色がかった海の青が、一面に広がっている。


 絵や、写真でしか見たことの無い世界。

 僕が空想の中に思い描くことしかできなかったものが、僕の手の届くところに存在している。


 風防が視界の良いバブルキャノピーになったおかげでその光景を遮(さえぎ)るものは何も無く、僕はその印象的な光景を夢中で自身の胸に刻み込んだ。


 とても、幸福な瞬間だった。

 最高の仲間たちと一緒に、この言い表しようもないほど素晴らしい世界を飛ぶ。

 僕は、パイロットになって本当に良かったと思うことができた。


 王国の南部は前線から遠く、その空も平和なものだった。

 僕らは飛行している間だけだったが戦争のことも忘れて、空の散歩を楽しんだ。


 もちろん、これがテスト飛行であるということも忘れてはいない。

 まだこの新しい機体に触れたばかりだったからアクロバット飛行などはしなかったが、飛行の基本動作を順番に試して行き、少しずつ機体の特性を確かめて行った。


 曹長から事前に伝えられていた通り、ロール率は悪くないが、旋回した時の旋回半径は大きくなったと感じられた。

 ベルランD型の巡航速度はこれまでのベルランB型よりも高くなっていたが、それでも大きく変わっているわけでは無い。だが、機体を傾けて緩く旋回させてみると、その速度差以上に旋回半径は大きい様だった。


 ただ、旋回が終わるまでの時間はそれほど大きくは変わっておらず、少し伸びた程度だったから、空中戦ではそれほど不利にはならないだろう。運動性能に優れるタイプの敵機とドッグファイトに入らなければ問題ではない。

 僕らパイロットが機体の特性を十分に理解し、うまく扱(あつか)えばいいだけだ。


 ベルランはいい飛行機だったが、その抜本的な改良型となるD型でも、変わった点は多いがその素性の良さは引き継いでくれている様だった。

 不満点は旋回半径が大きくなっていることくらいで、他は全体的に強化されているか、以前のベルランと遜色(そんしょく)がない。


 だが、着陸速度が速くなっていることだけは、少し怖かった。

 僕は元々着陸に苦手意識を持っていたし、ベルランD型では以前よりも早く滑走路が接近してきて、操作がより忙しくなった印象だ。

 慣れてしまえばどうということは無い違いなのかもしれなかったが、着陸速度が速いということは事故が起きる危険性も高いということで、僕はいつもよりもさらに慎重に、だが急いで機体を操縦しなければならなかった。


 僕はあまり自信が無かったのだが、着陸はうまく行った。

 大幅な改良が施された上に着陸速度も大きくなっており、ベルランD型の操縦の感覚はこれまでと同じでは無かったが、着陸先が十分な幅と長さのある舗装された滑走路だったおかげで何とかなった。


 僕は機体を滑走させながら、無事に飛行が終わったことにほっと一息ついていた。

 着陸中の緊張が無くなると、僕の頭の中には、今日の素晴らしい空中散歩の光景が自然と思い出されてくる。

 一生忘れられない様な、素晴らしい思い出をまた1つ、増やすことができた。


 だが、駐機場へと戻った僕を、ちょっとしたトラブルが待っていた。


 格納庫前の駐機場に仲間たちのものと一緒に自分の機体を並べ、エンジンを停止させる。それから、整備班に後のことを任せて風防を開き、機体から降りようとすると、隣の格納庫の方からもめている様な声が聞こえて来た。

 僕が怪訝に思って視線をそちらへと向けると、もめごとはどうやら格納庫の中で起こっているらしいことが分かった。


 その格納庫は、僕らのテスト飛行の教官役をやってくれた曹長の機体を始め、ベルランD型の試作機が納められている場所だった。

 格納庫は大きな扉を持っていて、それが全開にされていたから、僕の位置からでも中で何が起こっているかを見ることができた。


 1機のベルランD型があり、その周りに人だかりができている。

 整備班らしい作業着を身に着けている人だけでなく、僕らと同じ様なパイロット姿や、警備の兵士であるらしい、軍服姿で銃を背負っている者の姿もある。


 その人だかりは、ベルランの操縦席にいる人物を中心として出来上がっている様だった。

 どうやら、操縦席にいる誰かが機体を発進させようとしているのを、全員で阻止しようとしているらしい。


 操縦席に入り込んでいる誰かは、女性の様だった。

 遠目からでも分かる明るい赤毛の女性で、他の整備班と同じ様に作業着を身に着けている。正規のパイロットでは無さそうだった。


「おい、貴様! 許可も無く機体に触れるなと言ってあるだろうが!? さっさとそこから降りてこい! 」

「嫌ネ! 今度こそ、あたしがパイロットだって証明して見せるんだかラ! 」


 僕らの教官役を務めてくれていた曹長が機体から降りる様に命じたが、その赤毛の女性は頑としてそれを拒否した。

 以前僕らの部隊に所属していて、スパイ事件の中心となったエルザよりはずっと上手だったが、赤毛の女性が話す王国語には独特の訛りがあり、よく通る声質と合わさって耳に残る感じだった。


 曹長と赤毛の女性との押し問答は、それからしばらくの間続いた。

 やがて騒ぎを聞きつけたのか、あるいは事態解決のために呼び出されたのか基地の憲兵たちもやって来て、頑なに機体から降りようとしない赤毛の女性へ銃口を向けて威圧した。


「これ以上の命令違反は看過できない! 憲兵としての権限で貴官を拘束する! 」

「わ、分かった、分かりましたネ! だから撃つのは勘弁ネ! 」


 銃を向けられ、さすがに抵抗を断念したらしく、赤毛の女性は両手をあげて機体の操縦席から降りて行った。

 憲兵たちはすかさず彼女を取り囲み、手錠をして、そのままどこかへと連行して行ってしまった。


 後になって分かったことだが、あの赤毛の女性は、この基地では有名な問題児だった。


 しかも、王国人ではないらしい。

 それどころか、僕らの王国が存在する、マグナテラ大陸の出身でも無いとのことだった。


 彼女の名前は、ナタリアというらしい。基地では知らない者がいないほどの知名度を誇っている様だ。


 ナタリアは大陸外からやって来た志願兵で、連邦と帝国、そして王国が戦っているこの第4次大陸戦争とは全く無関係な中立国の出身だ。

 彼女は、驚いたことに自身の自由意思によって王立軍に加わったのだそうだ。

 志願した理由は、連邦や帝国から理不尽な侵略を受け、自衛戦争を戦っている王国の立場に共感したからであるらしい。


 ナタリアが有名なのは、この、彼女が王立軍へと加わった特殊な経緯(けいい)からだけでは無かった。

 僕が目撃した様な騒動(そうどう)を、これまでに何度も繰り返しているからだ。


 彼女は王立軍に整備兵として採用されたが、「自分は戦闘機パイロットだ。だから戦闘機に乗せろ」と言い張って聞かず、何度も勝手に機体に乗ろうと試み、その度に今回の様に阻止されているらしい。


 僕はその話を噂話程度に聞きながし、「おかしな人もいるものだな」くらいにしか思っていなかった。

 僕らは新型機の運用法を習得するので忙しかったし、自分たちとは関係の無い話だと思ったからだ。


 だが、しばらくして、僕らはその問題児が起こすトラブルに巻き込まれることになってしまった。

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