14-23「別れ」

 これからやらなければならないことが決まると、人々の行動は早かった。

 各部署の指揮官たちは、連邦軍による攻撃が開始される前に僕を脱出させる準備をするためにそれぞれの配置へと向かい、後には、僕と父さんだけが残された。


 今後の方針を打ち合わせるために集まった他の人々がさっさといなくなってしまったのは、もしかすると僕と父さんに気をきかせてくれたのかも知れなかった。


 僕と父さんは、しばらくの間、ずっと、無言のままだった。


 僕は、たった1人で、この街を逃げ出す。

 僕よりも圧倒的に多数の人々の力を得て、ただ、僕だけが。


 そうせざるを得ない状況になってしまったということは、分かっていた。

 だが、決して、納得できるようなものではない。


 僕は、連邦にとって、政治的な利用価値のある存在になってしまっていた。

 連邦は僕らの手によって失われた英雄の代わりに僕を利用することで新たな神話を生み出し、それを、戦争のために使おうとしている。


 その企みを阻止することが、王国にとって不毛なこの戦争を少しでも早く終結させるための近道だ。

 頭では、それは分かっている。


 それでも、どうしても、心のどこかに、引っかかるものがある。


 僕は、一度は生きることを諦めてしまった人間だ。

 偶然、シャルロットによって救出され、この街へと運び込まれたが、あの、冷たい月明かりが降り注いでいた夜に、僕は、このまま消えてしまいたいと、本気でそう思っていた。


 それは、連邦軍の追手と戦い負傷し、消耗した末に生まれた、一時の気の迷いだったのかもしれない。

 僕には大切な仲間たちがいて、家族がいて。

 帰らなければならない場所がある。


 だが、あの時、僕が一瞬でも、生きることを諦めてしまっていたのは、忘れがたい事実だ。


 そんな僕が、生かされる。

 どんな手段を使っても、生きのびなければならなくなってしまった。

 それも、僕以外の大勢の人々の犠牲の上に。


 こんな皮肉が、あるだろうか?


 空にいる間は、実感として抱いたことの無い、生(なま)の命を奪おうとする、不愉快な感覚。

 それを、平然とやってのけてしまう自分。

 あの時、想像もしたことも無かった自分の新しい姿に気づかされた僕は、それがたまらなく恐ろしかった。


 僕は、逃げ出したかった。

 だが、そんな僕を、戦争は、離してはくれなかった。

 戦争が僕に、生きなければならない理由を作り出してしまったのだ。


 僕は、複雑な気持ちだった。

 この街の人々を残して行く。

 懐(なつ)かしい故郷を、決死の覚悟で守り抜こうとする人々を置いて、僕だけが。


 せっかく、再会することができた父さんを残して、僕は行かなければならない。


 長い沈黙の後、父さんは唐突(とうとつ)に執務机の引き出しを開き、中からペンダントを取り出した。


「持って行ってくれ」


 父さんはそう言うと、そのペンダントを僕の方へ差し出した。


 それは、使い古された、古いペンダントだ。

 父さんが、母さんと結婚する時に、その記念にと2人で同じものを作って以来ずっと、片時も肌身離さずに持っていたものだ。

 その中には、幸せそうにより添う、若いころの父さんと母さんが映った写真がおさめられている。


 知らない人が見れば、それは古ぼけたペンダントに過ぎないかもしれない。

 だが、それは、父さんにとってはどんな言葉を使っても言い表せないほど、大きな価値を持つものだ。


「受け取れないよ、父さん」


 僕は、僕の方をじっと見つめる父さんの視線から目をそらしながら、弱々しい声でそう言うことしかできなかった。


 これが、本当に、最後の別れになるかもしれない。

 そんな嫌な予感が、どうしても消えない。


「別に、深い意味は無いさ。ただ、預かってくれるだけでいい」


 そんな僕の様子を見て、父さんはどうやら、笑った様だった。


「あいにく、ここでこのままくたばる予定は無いんでな。せっかくあの牧場をここまで大きくして来て、これからっていう時なんだ。なぁに、連邦軍がいくら大軍だと言っても、ここは私たちの勝手知ったる故郷(ふるさと)だ。簡単にやられはしないさ」

「でも……。何だか、今生の別れみたいじゃないか」

「ふぅむ。では、こういうことにしよう。……お前はこれを、質として預かっていてくれ。そうしたら、お前がそれを持っている限り、私は必ず生きて、戻って来る。そのペンダントを取り戻しにな。だから、お前は絶対に、そのペンダントを無くすんじゃないぞ。約束してくれ」


 父さんは、どうあってもそのペンダントを僕に渡すつもりである様だった。


 父さんは、家族思いの優しい人で、僕らを頭ごなしに怒鳴りつける様なことは無かった。

 だが、父さんには頑固なところがあって、一度固く心に決めてしまうと、僕らが何を言っても聞いてくれない場合もあった。


 今が、まさしくそういう時だ。

 僕はそれ以上父さんに何かを言うことを諦めて、父さんの手からペンダントを受け取り、無くしたりしない様に自分の首にしっかりとかけて身に着けた。


「分かった。約束するよ、父さん。このペンダントは絶対に無くさない」

「ああ。頼んだぞ、ミーレス。それと、ゲイルも連れて行ってやってくれ。あいつは賢いから、きっとお前を無事に逃がしてくれるだろう」


 僕と父さんはお互いに握手を交わして、お互いの顔をその目に焼きつけた。


 これが、父さんと最後に会った記憶になるかもしれない。

 そう思いながら、僕は、じっと、父さんを見ていた。


 どうか、そんなことになりません様に。僕は、神と、僕が知っているありとあらゆる聖人に向かって祈りを捧げた。


 父さんは、ここで死ぬつもりは無いと言った。

 今は、それを信じるしかない。

 それに、父さんたちの心配ばかりをしているわけにもいかなかった。例え父さんが無事であっても、僕が脱出に失敗して、連邦軍に捕まるなり、殺されるなりしてしまう可能性だってある。


 未来のことは僕には分からないが、少しでも良い結果となる様に、できるだけの努力をするだけだ。

 僕は、僕自身の知らないところで起こってしまった変化にまだ戸惑ってはいたが、その状況に立ち向かうための覚悟は、どうにか決めることができた。


 僕と父さんは数分間も握手を交わした後、ようやく、別れの言葉を告げた。


「達者でな、ミーレス。母さんたちによろしく言っておいてくれ」

「父さんこそ、元気で」


 街に危機が迫っている今、僕らは急がなければならなかった。

 僕は脱出のための準備をしなければならなかったし、父さんは僕を逃がす準備だけではなく、連邦軍を迎え撃つ準備もしなければならない。


 父さんと、この街の人々と別れることは僕にとって後悔の残ることだった。だが、僕にはもう、後ろを振り返ることは許されなかった。

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