14-6「樵小屋(きこりごや)」

 偶然にも帰ることができた家を離れるのは名残(なごり)惜(お)しかったが、僕は敵中にただ1人で孤立している身の上だった。

 味方がいる前線までは、およそ100キロメートルもある。歩くのには気が遠くなるような距離だったが、僕は、何としてもたどり着くつもりだ。


 捕虜になってすぐに殺されてしまうとは思ってはいないし、連邦軍は王国に侵略してきた大義の1つとして、王国民を王政から解放するというものを掲(かか)げている。

 仮に捕まったとしても、自由を奪(うば)われるだけで済むかもしれない。

 だが、僕はどうしても捕虜になりたくは無かった。


 僕は、この戦争を、僕の仲間たちと一緒に生きのびると決めている。

 素晴らしい仲間たちと一緒に、平和になった空を、戦いなど気にせずに自由に飛ぶことが、僕の夢だからだ。

 そのために、僕は仲間たちの側から離れたくなかった。


 もしも、僕がいない間に、僕の仲間たちに何かがあったとしたら。

 そしてそれが、僕がその場にいれば防ぐことができたかもしれないことであったのなら。


 その時に僕が抱くことになる罪悪感や後悔は、想像もつかない程大きなものになるだろう。

 そして僕は、例えこの戦争を生きのびることができたとしても、その気持ちを一生、抱きながら生きることになる。

 そんな未来は、嫌だ。想像したくも無い。


 僕には仲間が必要だった。

 彼ら、彼女らは、僕にとっての大切な友人であり、その側(そば)が、僕にとっての居場所になっているからだ。


 もう、僕は、僕の仲間たちがいない暮らしを想像することができない。


 僕は息があがらないぐらいの早足で、しっかりと歩き続けていた。

 気持ちは急(せ)くばかりだったが、道のりは長い。それだけの距離を進むためには、体力を無暗(むやみ)に消耗(しょうもう)することはできない。

 いつでも好きな時に休息できるとは限らなかったし、荷物を軽くするために最低限のものしか持ち合わせがない。無理はとてもできなかった。


 僕は家の裏口から脱出し、しばらくの間小さな砂利道を進んだ。

 家の裏側にある耕作地と行き来するための道だったが、砂利が敷(し)いてあるおかげで足跡(あしあと)もつくことがないし、この辺りの地理に明るい僕にとっては楽な道のりだった。


 予定ではこのままずっと道を進んでいって、車が1台やっと通れるほどの、地元の住民しか知らない田舎道に出ることになる。

 僕はそのまま田舎道を進み、僕の家から最寄りの街を迂回するようにして南へ向かって抜けて行くつもりだった。


 家から最寄りの街は、僕が通っていた学校などがある思い出の場所で、今どんな状況だったかとても気になってはいた。

 だが、建物があり、屋根があるということは、連邦軍の将兵にとっては絶好の滞在場所となるはずだった。


 元々住んでいた住民の避難がどこまで進んでいたのかは分からないし、顔見知りの相手もいるので心配ではあったが、ほぼ確実に敵がいる場所に近づいていくような危険は冒(おか)せなかった。


 だが、僕は途中で、さっき決めたばかりだった予定を変えることにした。

 田舎道に出る手前で、小さな小川が流れていることを思い出したからだ。


 それは、左に行けば僕の学校がある街へ、右へ向かえば森へとたどり着き、さらにその先へと向かうと沼地へと行きつく、助走をつけてジャンプすれば飛び越えられるくらいの小川だった。

 もちろん、街の方へは向かわない。僕は森の方へと向かっていくつもりだった。


 それは、最初の予定よりもさらに遠回りになってしまう道のりだ。だが、追跡者たちの足止めをできるのではないかと思った。


 カイザーに「逃走のコツ」を聞く機会があったが、流れている水はにおいを消すのにうってつけらしい。

 小川をうまく使えば、僕の行方を追う連邦軍は軍用犬を放つだろうから、その鋭い鼻を少しでもごまかせるかもしれなかった。


 それに、小川が行きつく先の森は、僕ら牧場の子供たちの遊び場でもあった。

 父さんと一緒に乗馬の練習に行くときは大抵、その森が行き先で、母さんが作ってくれたお弁当を持って行って食べたりした思い出の場所だ。


 他にも、その森と僕は縁があった。

 元々その森が耕作地として開墾(かいこん)されずに残されていたのは、日々の用事や冬場の暖房のための薪(まき)を得るという目的があり、周辺の住民が共同で管理していた場所だ。

 だから僕らは定期的にその森から薪(まき)を調達していたし、薪(まき)を作ることを専門としていた樵(きこり)たちが仕事のために春から秋の間住んでいた小屋の場所も知っている。


 今から向かえば、まだ明るいうちに樵小屋(きこりごや)につくことができるだろう。

 そこで僕は、夜になるまで休ませてもらうつもりだ。


 追っ手かも知れない連邦軍の兵士たちが現れたので僕は急いで逃げ出してきてしまったが、明るい昼間に行動し続けることは危険すぎる。

 夜の方が見通しは悪くなり敵に発見しにくくなるはずだ。それに対して、僕にはこの辺りの土地勘はあるから、夜でもどうにか行動できる。


 夜通し歩き続ければ、僕はより安全に、より遠くまで進むことができるだろう。

そして、どこかに身を隠せるような場所を探して、敵に発見されやすい日中をやり過ごせばいい。


 そう決めた僕は、助走をつけてジャンプし、小川を飛び越えて森の方へと進んで行った。

 途中、僕は小川を何度も繰(く)り返し飛び越えた。小川沿いには枯れ草が茂っていて、足跡(あしあと)はほとんど残らなかったが、もしかすると僕が用意した証拠品が囮(おとり)だということに気がついて追って来る相手がいるかもしれない。だが、小川を何度も飛び越えれば、においが途切れて軍用犬でも僕を追って来ることはできないだろう。


 僕は歩き続けながら、時折立ち止まって、周囲に耳を澄(す)ませてみた。

 幸いなことに、聞こえてくるのは小川を流れる水の音だけだった。


 このままいけば、無事に味方の前線にまでたどり着けるんじゃないか?


 前線までの道のりは遠く、まだその行程は始まったばかりだったが、僕はいつの間にかそんな希望を持っていた。


 実際、僕の逃走劇は、今のところは驚(おどろ)くほど順調だ。

 僕は自分の考えた通りにまだ明るい内に森へとたどり着くことができた。


 太陽光が十分に当たる開けた田園地帯ではすっかり雪が溶けてしまっていたが、森の中にはまだ多くの雪が残っていた。

 僕は念のため、足跡(あしあと)を残さない様になるべく小川の近くで雪が溶けていた場所を進んで行った。

 都合のいいことに、樵小屋(きこりごや)は水を得るために小川沿いに建てられていたから迷う心配も無い。

 僕はやがて、ひとまずの目的地にまでたどりつくことができた。


 小川沿いから樵小屋(きこりごや)に向かうまでの間の短い距離にも雪が残っており、足跡(あしあと)が残ってしまったことが心配だったが、これはどうしようもない。

 夜になればここを出て行くつもりだったから、それまで見つからなければいいのだが。とにかく、それまでの間に敵が追いついて来ないことを祈るしかなかった。


 樵小屋(きこりごや)は施錠(せじょう)されていなかった。これは、もし森の中で急な悪天候などに見舞われたり、土地勘が無い人が迷ってしまったりした時のために、一時的な避難所として使うことができる様にされているためだ。

 中には簡易的なベッドと毛布などの寝具、暖炉と薪(まき)、着火用のマッチや火のつきを良くするための固形燃料、非常食とするために用意されていた缶詰が数個あった。

 それに加えて、明かり取り用のオイルランプや、夜間に森の中に出歩かなければならない時の獣避けとして松明(たいまつ)なども用意されている。


 僕は窓から外の様子をうかがい、僕を追って来ている誰かがいないことを確認した。

 それから、背負っていたナップザックを下ろし、ベッドの上に座り込む。


 ひとまず、ここは安全な様だった。

 後は、夜になるのを待つだけだ。


 今日は一晩中、歩き続けるつもりだった。

 とにかく、少しでも身体を休めようと、僕は服を脱がないままブーツだけを脱いでベッドの上に横になり、備えつけの毛布を被(かぶ)った。

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