14-5「逃亡者」
昼食として、予想もしていなかったご馳走にありついた後、僕は味方の前線まで敵中を突破してたどり着くための準備を再開した。
王立軍と連邦軍との間に形成された前線は、今朝の時点でフォルス市の北方50キロメートルほどのところにあった。僕の家はちょうどフィエリテ市とフォルス市の中間の辺りだから、前線までは、およそ100キロメートルある計算になる。
僕の現在位置が分かったことで、今後の計画が立てられるようになった。
サバイバルキットに同封されていた地図には、周辺の道路網の情報がのっている。地図は軍事機密でもあるためにぼかして書いてある部分もあるが、この辺りの土地勘を僕は持っているから、あまり問題にはならない。
ここから幹線道路に出て、そこをフォルス市に向かって歩き続ければ、あまり無理をしなくても3日もすれば前線にたどり着くことができる。
だが、主要な幹線道路は連邦軍に押さえられてしまっているはずだ。進撃路としても、補給路としても、舗装(ほそう)のしっかりした道路は重宝される。
だとすると、僕は、地図にものっていない様な細い道を進んで行くべきだろう。もちろんそこでも連邦軍と出くわす可能性はあったが、幹線道路よりはずっと確率は小さいはずだったし、隠れる場所も多いはずだ。
時間はかかるが、僕は安全策を取ることにした。
だが、そうすると、無理をしないで歩いた場合、順調に行っても味方の前線までは5日はかかる計算になる。
少し気が遠くなる思いがした。
しかし、もう間もなく、王立軍による反攻作戦が開始されるはずだった。
僕ら、王立空軍がその先陣として出撃した後、王立陸軍は連邦軍への反撃を開始する手はずになっている。
作戦開始の具体的な時刻までは知らされていなかったが、今頃はもう、反撃が始まっているかもしれない。
だから、うまくすれば、僕が考えているよりも早く味方と合流できるかもしれない。
王立陸軍の反撃が成功して前線が押し上げられれば、それだけ、僕のいる場所に味方が近づいて来てくれるということだからだ。
僕はそう思って、何とか自分を励(はげ)ました。
都合のいいことに、保存のできる食料も手に入れることができた。荷物をあまり重くはできないのでたくさんは持って行けないが、我慢(がまん)すれば1週間ぐらいは口にするものがある。
特に、チーズの存在がありがたかった。そのままでも美味しく食べられるし、腹持ちもいい。
地図を見ながら逃走ルートの見当をつけると、家で見つけた鉛筆を使ってそれを地図に書き込んでいく。大切なのは道の分岐点だ。これを間違えると思ってもいない方向に進んで行ってしまうことになる。
本当なら、最初に予定したルートがダメだった時の予備になるルートも決めておかなければならないのだろうが、僕は急いでいる。いつ敵が僕の飛行機を見つけて、その場にいないパイロットを探し始めてもおかしくはないからだ。
一通り逃走ルートを決め終わり、それを暗記し終わると、僕は地図を畳(たた)んでナップザックの中にしまい込んだ。
あまり長居(ながい)はしていられない。
出来れば家の他の場所も見て、何か役に立ちそうなものを借りて行きたい。
それに、まだ日があるうちに出発したかった。
自動車が走っていく様な音が僕の耳に届いたのは、限られた時間の中で探すべきなのはどこかを頭の中で考えていた時だった。
僕は急いで母屋の2階へと駆け上がり、道の方が見える窓を半分ほど開いて外の様子を確認する。
自動車の音は、僕の空耳では無かった。
王立軍のものでは無さそうな軍用トラックが、それも何台も連なって走っていくのが見えた。
そのトラックには、連邦軍の所属であることを示す八芒星(はちぼうせい)の国籍章がはっきりと描かれている。
そしてその荷台には、たくさんの兵士が乗っているのが見えた。
その車列は、僕が乗って来た飛行機へと向かっていった。
彼らが僕のことを探しているのかどうかまでは分からなかったが、僕のことを探していると思って行動した方が良いだろう。
僕の頭は、その瞬間、パニックを起こしかけた。
だが、幸いなことに、僕はすぐに冷静さを取り戻すことができた。
慌てて荷物を取りに戻ろうとしたところ階段を踏み外してしまい、思いっきり尻を打って、その痛みで正気に戻ることができたからだ。
パニックになっている場合ではない。
僕が次に何をするべきか、考えなければ。
僕は痛む部分をさすりながら、今度はゆっくりと階段を下りながら考える。
できるだけ早く、この場を離れるべきだろう。
この辺りには僕の家と似た様な農家が何件かあったが、不時着した場所から一番近いのは僕の家だ。追手がかかるとしたら、真っ先にここに来るだろう。
だが、慌てて逃げ出したところで、追いつかれてしまう。
向こうには車両があるし、それに加えて、捜索隊が組織されるとしたら軍用犬も放たれる。
そうなると、僕のにおいで嗅(か)ぎ分けられて、連邦軍がどんどん追って来ることになる。逃げ切ることなどできないだろう。
僕は以前、スパイの存在を巡(めぐ)った事件の最中に、驚(おどろ)くべき逃走の手腕を発揮したカイザーが言っていたことを思い出す。
雑談をしている最中に、カイザーがどんな魔法を使って、僕らから隠れ続けたのかを聞くことができた時のことだ。
カイザーが言うには、逃走するのに当たって気をつけるべきポイントがいくつかあるらしい。
まず、犬に対しては、におい。これをどうにかしないと、どんなに頑張って隠れても必ず見つけ出されてしまうのだという。
そして、人間に対しては、目だ。人間は視力がとても発達しているから、異変を簡単に察知してしまう。足跡(あしあと)などの痕跡(こんせき)が残っていたら、もうだめだ。
さらに、人間と犬に共通した注意事項として、聴力があった。だがこれは近づかれた時のことで、風向きなどにもよるがとりあえず距離があれば何とかごまかせるのだという。
カイザーは、犬に対しては囮(おとり)を使うことで対処したのだと言っていた。
まず、わざとらしく証拠品となるものを残しておく。そして、その証拠品には、自分のものとは違うにおいをつけておく。
すると、証拠品を見つけた捜索隊はそのにおいを軍用犬に嗅(か)がせて捜索することになるので、軍用犬はカイザーではなく、カイザーが証拠品にわざとつけておいたにおいを追いかけることになる。
人間に対しては、周りの景色にまぎれやすい恰好(かっこう)をしてごまかしたり、複雑に動き回ったり同じところをわざとぐるぐる回って足跡(あしあと)を複雑に残し、どこに向かったのか分かりにくくするといいのだという。
そして、見つかりそうな時は、じっとしてなるべく動かない。人間は視力がいいのでわずかな動きでも察知できるが、偽装がしっかりしていれば案外見つかりにくいらしい。
小川などがあれば、なおいいということだった。
水が流れていればそこでにおいが途切れるから、追跡がずっと難しくなるのだという。
僕に、カイザーと同じことができるかどうかは分からなかった。
だが、思いついたことは何でもやっておかなければ。
まずは、囮になる証拠品を作らなくては。
ちょうどいい証拠品として、僕がここまで身に着けて来た飛行服が残っている。誰がどう見ても片田舎の農家には不釣り合いなもので、捜索隊は飛行服を見つければそのにおいを軍用犬に嗅(か)がせて探させることだろう。
問題となるのは、囮(おとり)になるにおいだ。
僕のにおいをごまかせるほど、強いにおいが出るものでなければならない。
数秒間考えた後、思いついたのは、僕の妹のアリシアが家に置いて行った香水だ。
香水は強いにおいがするから、きっと、犬の鼻だってごまかせるはずだ。
家畜の糞(ふん)なども考えたのだが、それだとわざとらしくて偽装に気づかれてしまうかもしれないと思って断念した。
そう言った意味では、年頃の女の子が使う様な香水でも偽装だとばれてしまうかもしれないが、僕ら王立軍のおよそ半数は女性で構成されている。
機体にパイロットの性別が分かる様なものは無いはずだし、飛行服も男女で差はほとんど無いから、連邦軍は僕を女性だと勘違いしてくれるだろう。
飛行服は女性のものにしてはサイズが大きかったかもしれないが、世の中にはレイチェル中尉やアビゲイルの様に長身の女性だってたくさんいる。
そう考えながら行動し、僕は飛行服にアリシアが大切にとっていた香水を振りかけた。
香水は高級品だし、アリシアはきっと悲しむだろうが、今は僕の命がかかっている。生きのびることができたら僕の給料から立て替えるということで納得してもらうしかない。
香水のにおいのついた飛行服を1階で一番目につきやすかった食卓の上に放置し、いかにも慌てて脱ぎ捨てて行った風を演出する。
できれば他にも工作しておいた方がいいのだろうが、あまり時間をかけてもいられなかった。
僕はそれで工作はもう十分と諦(あきら)めると、荷物を持って家の裏口から逃げ出した。
次は、足跡(あしあと)の番だ。
いつの間にか、辺りに積もっていたはずの雪はほとんど溶けてしまっていた。
おかげで地面がぬかるみ、足跡もはっきりと残ってしまう。
これを何とかしなければ、せっかく囮(おとり)の証拠品を用意したのが無駄になってしまう。
僕は足跡(あしあと)の行方を少しでも追いにくくなる様に、家の裏側を少しの間走り回った。
右に、左に。柵を飛び越えたり飛び越えなかったり。別の建物の入り口まで足跡(あしあと)を作ってはジャンプして足跡(あしあと)を途切れさせ、別の方向へ向かってみたり、意味も無くぐるぐる回ったり。
こんなわざとらしいやり方では、追手をまこうとしていることを悟られてしまうだろう。
だが、実際に、相手が僕を追いかけるのに少しでも時間がかかれば、僕の勝ちだ。やっておいて損にはならないだろう。
一通り足跡(あしあと)をつけ終えると、僕はいよいよ、逃走に入った。
逃げる道はもう決めてあるし、ここは僕の故郷だ。
必ず、逃げ切ってみせる。
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