10-9「特別任務」

 僕らはベルランで初めての出撃を実施し、少ないが戦果をあげることができたが、それは、出撃前から分かりきっていた様に、戦況に何ら貢献(こうけん)することは無かった。


 全体から見れば、一つの場面での局所的(きょくしょてき)な勝利など、無いに等しい。

 連邦はこの攻勢(こうせい)のために念入(ねんい)りに準備をしてきていて、これだけの戦力を投入すれば王国軍を圧倒できるという計算をして攻め寄(よ)せてきている。僕らが小さな勝利を積み重ねようと、連邦軍の攻勢(こうせい)は止まらない。


 だが、それでも、僕らはベルランでの最初の出撃以降、毎日の様に前線上空へと飛んだ。

 僕ら301Aは、相変わらずその本来の定数の半数にも満たない飛行中隊に過ぎなかったが、王立空軍にとって前線に投入できる部隊は少なく、僕らが飛べる限り、出撃命令は下され続けた。また、最新鋭機であるベルランを装備した僕らの中隊は、王立空軍にとって、不利な状況の前線に出しても成果と、そして何よりも生還を期待できる、数少ない部隊であるからだった。


 実際、ベルランは、王立空軍がこれまでに配備していたどんな戦闘機よりも高速だったから、敵機に捕捉(ほそく)されても撃墜(げきつい)されずに逃げ延(の)びることができた。


 危ない場面は、何度かあった。


 王立空軍の戦闘機部隊は完全に沈黙(ちんもく)したものとしてすっかり油断していた連邦軍だったが、すぐに前線に出撃して来る連邦軍の攻撃機には護衛の戦闘機がつく様になった。

 それは、機数で言えば1個小隊か、多くても1個中隊といったところで、僕らが所属する第1戦闘機大隊を壊滅(かいめつ)させた時の様な何十機もの編隊では無かったが、僕らにとってはいるだけでも厄介(やっかい)な存在だった。


 ベルランは王立空軍が保有する戦闘機の中で最も高速な機体だったが、その性能は、連邦や帝国が装備する一線級の戦闘機に、ようやく並んだというものでしかない。

 僕らは何度も被弾を経験したし、王立軍の陣地を攻撃しようとする連邦の爆撃機にたどり着く前に逃げ出すしかない場面もあった。


 だが、僕らはそのどの場合でも、うまく逃げ出すことができた。

 ベルランの速度と、僕らが、一撃離脱(いちげきりだつ)に徹(てっ)しているおかげだ。僕らはいつも高度有利の状況でしか攻撃を仕掛(しか)けず、それ以外の場合は攻撃を諦(あきら)めて後退するようにしていたから、いつも僅差(きんさ)で敵機を振り切ることができていた。


 味方の頭上に爆弾を落とそうとする敵機を目の前にして、僕らは、何度も引き返すことを経験した。

 それは、僕が、今までに経験したどんなことよりも、悔しいと感じる瞬間(しゅんかん)だった。


 だが、悔しさに任せて突っ込んで行ってしまっては、敵機の餌食(えじき)になるだけだ。

 戦場の上空はすでに王立空軍の手には無く、敵の手に渡っている。そんな戦場で僕らが戦い続け、言いかえれば生き延び続けるためには、そうしなければならなかった。

 僕らは、耐えるしかない。


 僕らは少数で、戦況を好転できるほどの戦果をあげることができなくても、戦場の上空に飛び続け、敵機に対して妨害(ぼうがい)を続けることは、それだけでも意味のあることだ。

 連邦は常に僕らの存在を警戒(けいかい)して護衛の戦闘機をつけねばならず、その分、敵に機材の消耗(しょうもう)を強いることができる。

 そして、苦しい戦いを続ける味方に、決して、彼らが孤立無援(こりつむえん)では無いということを示すことができる。


 僕らは、戦い続けた。

 そして、小さいが、少しずつ戦果を積み重ねていった。


 いつの間にか、僕ら301Aのパイロットは全員、通算で5機以上の撃墜(げきつい)記録を持つ様になり、エースと呼ばれるパイロットたちの末席(まっせき)に加わっていた。


 僕らはささやかなお祝いをし、お互いに生きのびていることを感謝しあった。

 前線では厳(きび)しい戦いが続いているから、本当に、ささやかなお祝いだ。


 普段の食事よりも少しだけ豪華(ごうか)なメニューを炊事班(すいじはん)に用意してもらい、ひっそりと集まって、みんなで食べた。

 僕はローストチキンが食べたかったのだが、僕が家禽(かきん)たちのいる柵に近よろうとするのをライカが全力で阻止してきたので、諦(あきら)めざるを得なかった。とても残念だった。

 あれだけ僕の行動を阻止するために突っかかって来るのだから、そろそろ、ライカは機嫌を直(なお)して、僕の話を聞いてくれてもいいのにと思う。


 そして、これは内緒だが、少しだけ酒も口にした。

 王国では、満年齢で20歳になるまでは飲酒は禁止とされているが、半人前を抜け出した祝いだと言って、レイチェル中尉が少しずつビールを飲ませてくれた。

 その場にはハットン中佐やクラリス中尉、アラン伍長もいたが、みんな見て見ぬふりをしてくれていた。


 飲んだ感想だが、正直言って、苦いだけで、美味しいとは思わなかった。何故、成年になった人々が好んでこの飲み物を求めるのかは、僕も成年になったら分かるようになるのだろうか?


 ささやかなお祝いをした翌日も、僕らは出撃をした。

 僕らは、連邦軍に必死に抵抗をし、その侵攻を食い止めようと試みた。

 だが、やはり、戦況がくつがえることは無かった。


 前線は、日に日に後退を続けていった。

 上空から見ていると、連邦軍の砲弾によって作られるカーテンが、王立軍の陣地の後方へ向かって前進を続けていくから、よく分かった。

 連邦軍が前進しているのだから、王立軍は後退を続けているということになる。


 そして、とうとう、防衛線は破られた。

 連邦軍は王立軍が築いた三重の塹壕線を突破し、その後方へと突き抜けた。

 そして、その突破点には、連邦軍がとっておきの切り札として温存してきていた予備兵力が投入され、防衛線に開いた突破口を押し広げ、そして、王立軍の懐深く、相手に突き刺したナイフを力いっぱいねじ込む様な攻撃が始まった。


 戦車と、装甲車に搭乗した歩兵部隊による攻撃は王立軍の防衛線の後方へ深く突き抜け、王国にとっての西部戦線は崩壊(ほうかい)した。


 誕暦3698年、8月22日のことだ。

 この日、とうとう、連邦軍の先鋒部隊が、フィエリテ市の市街地の外縁部(がいえんぶ)へと達した。


 僕らが全員集合を命じられたのは、連邦軍によって王立軍の防衛線が突破された、その翌日のことだった。


 僕らはいつもの様にパイロットの待機所になっている一室に集まったが、全員、いつもと雰囲気(ふんいき)が違った。

 一様に、表情は険しい。

 戦況が僕らにとって厳(きび)しく、そして、ついにフィエリテ市に連邦軍が到達し、市街地の外縁部(がいえんぶ)で市街戦が始まっているのだから、険しい表情にもなる。


 そこでどんな内容が話されるのか、僕には想像もつかなかったが、状況の変化に合わせて新しい任務が言い渡されるだろうということだけは、見当がついていた。


 また、ファレーズ城の時の様に、爆装しての出撃だろうか?

 ベルランで爆装して出撃したことはまだ無かったが、その照準器には、エメロードⅡBと同じ射爆照準器が取り付けられている。少し練習は必要だろうが、目標に命中させる自信はあった。

 それとも、これまでの通り、前線上空で味方を攻撃しようとする敵機を迎撃する、戦闘機らしい任務だろうか。

 どちらにしろ、戦況をどうにかできる程(ほど)のことはできないはずだったが、どんな任務であれ、僕はこなすつもりだった。


「全員、現在の戦況はもう、知っていると思う」


 301Aに所属するパイロットが全員集まったことを確認し、ハットン中佐が口を開く。

 中佐の表情もまた、険しいものだったが、その声は落ち着いている。


「そこで、我が第1戦闘機大隊には、新たな任務が命じられた。出撃は明日、フィエリテ市に向かって飛ぶことになる。出撃担当は301A、保有するベルラン5機、全機での出撃とする。出撃の目的は、味方機の護衛だ」


 僕の予想は外れた。

 味方機を、それを攻撃しようとする敵機から守るのも、戦闘機の仕事の1つだ。僕はまだそういった内容の出撃を経験していないが、戦場では、護衛任務を負った敵機と何度も戦っている。


「護衛の対象は、友軍の双発爆撃機4機だ。フィエリテ市南側の空域で合流し、我々はその友軍機を護衛しながらフィエリテ市の市街地西部に向かい、友軍機が南大陸横断鉄道の橋梁(きょうりょう)を破壊するのを支援する。これは、司令部によって正式に決定された作戦だ」


 護衛任務というのは初めてのことだったが、僕はそれが戦闘機にとっての仕事の1つだと知っていたから、驚(おどろ)きはしなかった。

 だが、ハットン中佐のその言葉には、耳を疑(うたが)った。


 南大陸横断鉄道は、マグナテラ大陸の東西を結ぶ、重要な幹線鉄道だ。

 その存在は、王国だけではなく、大陸の経済、物流にとって、大きな役割を負っている。

 それ故に、連邦も帝国も、その存在を必要としている。王国にとってだけ重要であったイリス=オリヴィエ縦断線(じゅうだんせん)へ攻撃を繰(く)り返す一方で、南大陸横断鉄道へは何もしかけて来なかったのは、連邦も帝国も、自分でそれを使う予定があるからだった。


 戦争が始まって以来、南大陸横断鉄道は運行停止となってしまったが、だからと言って、王国にとっての必要性が無くなったというわけでは無かった。

 それは、王国にとって、国民から集めた多額の税金を投入して建設された貴重な財産であり、その存在は平和を取り戻した時、王国にとって大きな恩恵をもたらしてくれるはずのものだからだ。


 その橋梁(きょうりょう)を、破壊する。

 それはつまり、この戦争が集結しても、すぐには南大陸横断鉄道がその機能を取り戻せなくなるということだ。


 敵の手に渡り、有効活用されてしまうよりは、破壊してしまう方がいい。

 そうすれば、連邦だろうと帝国だろうと、フィエリテ市を占領してもすぐには南大陸横断鉄道を使うことができず、その補給は滞(とどこお)ることになる。

 今回、直接的な影響(えいきょう)が大きいのは、連邦の方だ。連邦はフィエリテ市を超えてさらに東部への侵攻することが目的であり、今、フィエリテ市の占領にもう一歩まで迫ってきているが、南大陸横断鉄道の橋梁(きょうりょう)が破壊されればその意図をくじくことができるだろう。

 王国にとっても痛い損失となるが、将来の王国はともかく、現在の王国にとっては、南大陸横断鉄道を無傷で連邦の掌中(しょうちゅう)に与えてしまうことの方が問題だった。

 僕らは今、明日のことではなく、今日のことを心配しなければならない状況にある。


 王国にとっての西部戦線はもはや崩壊(ほうかい)し、連邦軍は次々とフィエリテ市へと突入を開始している。

 もし、橋梁(きょうりょう)を破壊するとすれば、今しか無いだろう。

 連邦は南大陸横断鉄道を自分で使いたがっているから、その橋梁(きょうりょう)は真っ先に占領して、強固な防備を整えてくるはずだ。対空砲だって配備される。そうなってからでは、航空攻撃でも破壊することは困難となる。


 理屈の上では、この決定は正しい。

 だが、その橋を破壊することは、戦争終結後の早期の復興を諦(あきら)めるということだ。


 僕が戦ってきたのは、王国に暮らす人々や、故郷を守るためだ。

 だが、今回の作戦は、僕の手で、その、人々の故郷を破壊するということだ。


「お前ら。気持ちは分かる。あたしだって、こんな作戦は嫌だ」


 僕らが内心で動揺(どうよう)しているのを察して、レイチェル中尉が口を開いた。


「けどな、今は、そういうことをやらなきゃいけない状況なんだ。今、やらなきゃ、もっと悪くなる。これは、あたしらにしかできない仕事なんだ 」


 僕は、分かりたくなかった。

 だが、ぐっと、全てを飲み込むしかない。


 王国は、戦争をしているのだ。

 誰もそんなことは望んでいなかったが、頼んでもいないのに、向こうからやって来た。


 もし、今、南大陸横断鉄道の橋梁(きょうりょう)を破壊して、使用不能にせず、このまま、王立軍がフィエリテ市の防衛に失敗するとすれば。連邦はその鉄路を利用し、より多くの将兵や兵器、物資を送り込み、そして、帝国本土目掛けて大攻勢(だいこうせい)を実施し、王国の国土が焦土(しょうど)となっても戦い続けることだろう。

 連邦は、最初から、王国を通り道として帝国へと攻勢(こうせい)を実施することを意図し、この戦争を仕掛けて来た。僕らがそれをどう感じようと、連邦は気にも留めない。いや、多少は気にしたかもしれないが、そんな躊躇(ちゅうちょ)など考慮(こうりょ)していられない様な事情が連邦にはある。

 彼らは、帝国との戦争に勝利するために、どんなものであろうと犠牲(ぎせい)にするつもりだった。その犠牲(ぎせい)の中には、彼らにとって他人であるはずの僕ら、王国も含まれている。

 連邦が掲(かか)げる大義のためには、僕らの犠牲(ぎせい)など、些細(ささい)なことだ。僕らはそう思っていないが、彼らはそう思っている。


 王立軍が、連邦の意図を自力で阻止できる可能性は、もはや望み薄(うす)だった。何故なら、そのために築(きず)いた強固な防衛線は、既(すで)に連邦軍に突破されてしまったからだ。

 状況は悪い。だが、何もしなければ、もっともっと、悪くなる。


「……出撃の詳細を、説明する」


 レイチェル中尉の言葉で僕らの動揺(どうよう)が収まったことを確認すると、ハットン中佐は落ち着いた口調で、再び口を開いた。

 中佐のその口調は、僕らがようやく固めた覚悟を、ずっと早くに持っていたからに違いなかった。


 僕らは、僕らにしかできない、やるべきことをやる。

 それが、連邦や帝国という、王国を圧倒(あっとう)する大勢力(だいせいりょく)がふりかざす理不尽(りふじん)に対して、僕らができる精一杯(せいいっぱい)の抵抗だった。

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