7-2「出撃命令」

「大隊長殿。発言、よろしいでしょうか? 」


 突然耳に飛び込んで来た言葉に僕が驚いている横で、一見、平然とした様子のレイチェル中尉が声を上げた。


「許可する」


 僕らの部隊の上官となる壮年の男性、ハットン中佐は、穏やかな口調で応じた。


「ハッ。では、申し上げますが、自分の見るところ、我が隊にはもう数日の訓練が必要であると思われます。我が隊の隊員たちは士気旺盛、訓練にも精励しておりますが、自分以外はパイロットコースを大幅に切り上げて臨時に正規のパイロットに格上げになった者ばかりです。実戦における有効性、また、生残性を考慮し、現時点での戦線参加は早計であると考えます」

「それは、私も、司令部も承知している。だが、現状では、そうせざるを得んのだ」


 レイチェル中尉の発言を肯定した中佐は、一転して重苦しい口調になる。


「おそらく、各員承知のことと思うが、王国は現在、敗走を重ねている。このままでは、首都、フィエリテ市に戦火が及ぶのも時間の問題だ。……この状況を打破するため、王立陸軍では、敵の侵攻を食い止めるための選抜部隊を編成した。その兵員は任務への志願者から成り、敵の侵攻を遅らせ、我が軍主力がフィエリテ市防衛のための態勢を整える時間的な猶予を確保するため、可能な限り防衛拠点を維持することとなっている。そして、この選抜部隊は、本日未明、敵軍の包囲下に陥った。……この任務の成功をより確実なものとするために、王立空軍も全力で支援に当たれとの命令だ。我が大隊に与えられた出撃任務は、包囲下にある選抜部隊を掩護するため、航空支援を実施することである。……自ら孤軍となる友軍を座して見捨てることなど、できはしないだろう……」


 中佐の口調が重くなるのは、当然のことだろう。


 選抜部隊などと言っているが、要するに、それは、捨て駒のことだ。

 可能な限り防衛拠点を維持する、ということはすなわち、弾薬が無くなり武器も尽きて抵抗する手段が失われるまで抗戦せよ、ということで、実質、最後の1兵になるまで死守せよと命じられているのに等しい。


 その、必死の任務に臨む友軍を支援するために、僕らの出撃が急遽決定されたということらしい。


 そんなことをやらなければならないほど、戦況は王国にとって不利だということだ。


 突然のことで驚きはあった。だが、出撃自体は、王国が攻撃されてから、必ずあるものだと覚悟していたことだ。

 僕としては、望むところだった。


「……そういうことでしたら、自分も異議は申しません。しかし、大隊長殿、出撃はいいとして、そのやり方はどうなるのでしょうか? 」


 本心から納得したのかどうかは分からなかったが、ひとまずは引き下がったレイチェル中尉は、別の質問に移った。


「もちろん、詳しく説明する。……だが、この場で説明するよりも、地図も交えてより正確に説明したい。レイチェル中尉、いい場所はあるか? 」

「ハッ! ご案内します」


 レイチェル中尉は頷くと、中佐たちを案内して、建物がある方へと向かっていく。

 特に何も言われてはいないが、明らかに僕らにも関わりのある内容だったので、僕らも2人の後を追った。


 向かったのは、パイロットの待機所だった。

 待機所には、資料を広げて作戦の説明や打ち合わせなどができる様に大きなテーブルが用意されている。

 待機所につくと、クラリス中尉が運んで来た円筒形の筒の中から1枚の丸められた紙を取り出し、テーブルの上に広げてくれた。


 それは、王国の地図だった。それも、様々な書き込みがなされており、王立軍の諸部隊がどのあたりに展開しているか、戦線がどの様に形成されているかが一目で分かる様になっていた。


「これは、昨日の真夜中の時点で、司令部が把握している戦況を書き込んだものだ。現在はここから12時間以上経過していて、戦線はまた少し後退しているものと思われる」


 広げられた地図を指さし、昨日の真夜中に前線であったラインをなぞりつつ、ハットン中佐は説明を続ける。


 連邦、帝国の双方から侵攻を受けた王国は、現在、2つの戦線を抱えている。その2つの戦線は、連邦に対峙する側を西部戦線、帝国に対峙する側を東部戦線と呼んでいる。

 味気も何も無い名称だったが、名称にいちいちこだわっている余裕などないし、分かり易ければそれでいいのだろう。


「王立軍では、目下のところ、フィエリテ市への増援と戦力集中を実施しつつ、敵軍の侵攻を可能な限り遅滞させることを意図している。選抜部隊の編成に踏み切ったのもその一環だ。……我々、第1戦闘機大隊が担当するのは、この、西部戦線で編成された選抜部隊で、同部隊はここ、ファレーズ城に展開し、本日未明、連邦軍による包囲下に置かれたと連絡が入った。現在、連邦軍による攻撃を受けているとのことで、支援要請が入っている。開戦以来の戦闘で前線の諸部隊は大砲などの重装備を失い、今は我々の航空支援だけが頼みの綱だ。よって、我々による航空支援は、緊急に実施しなければならない。……クラリス中尉、もう1枚の地図を」

「はい、中佐」


 中佐に言われて、クラリス中尉は円筒の筒の中からもう1枚の地図を取り出し、テーブルの上に広げて見せた。

 今度は、ファレーズ城という場所の周辺を拡大して表示した地図で、その城に籠城する選抜部隊の位置と、それを包囲する連邦軍の予想位置が書き込まれている。


「ファレーズ城は、南大陸横断鉄道と、西部国境からフィエリテ市へと続く幹線道路を抑える要所にある城だ。選抜部隊はここを陣地化して防衛態勢を取っている。この城を陥落させない限り、この高台からの偵察・観測情報を元に、王立軍による航空攻撃および遠距離砲撃が、鉄路と道路に降り注ぐことになる。このため、このファレーズ城を陥落させない限り、連邦軍がフィエリテ市に向けて円滑な補給活動を実施することは不可能だ。以上の理由から、連邦軍はファレーズ城を早期に陥落させようと攻撃を強めてくると予想される。予想される攻撃経路は、ここ、城の正面の橋だ」


 中佐は、ファレーズ城の一点、城の東側にかかる橋を指さした。


「ファレーズ城は、周囲を見下ろす断崖の上に作られており、西、北、南は切り立った崖で、城内に侵入するためには東部の橋を利用するしかない。選抜部隊からの要請では、橋の東側の付け根付近、連邦軍が攻撃の橋頭保としている地点を爆撃して欲しいとのことだ。よって、我々は爆装して出撃し、同地点を攻撃する」

「中佐、質問、よろしいでしょうか? 」

「どうぞ、レイチェル中尉」

「ありがとうございます。……伺った限りですと、ファレーズ城へはこの東側の橋を使ってでしか攻撃ができないとのことですが、橋自体を爆破してしまうことはできないのでしょうか? そうすれば、城を占拠することは難しくなるのでは? 」

「もっともな意見だが、そうもいかんのだ。選抜部隊の任務は、敵を可能な限り足止めすること。……すなわち、敵を誘引しなければならないということだ。自軍による占拠が不可能であると知れば、連邦軍はこの城を猛烈な航空攻撃と砲撃によって破壊しようとするだろう。敵の攻撃を引き付けるためには、この城は占拠可能であると、占拠して自軍のために利用する価値があると連邦軍に思わせなければならないのだ」


 レイチェル中尉の質問に答えた後、中佐は大きな地図に戻り、今度は、コンパスを使って、僕らがいるフィエリテ南第5飛行場から、ファレーズ城までを半径とする半円を描き、2つの地点を結ぶ真っ直ぐな線を地図に書き込んだ。


「ファレーズ城までの距離は、ここから直線でおよそ150キロメートル、我々の装備するエメロードⅡなら、真っ直ぐ飛べば30分以内の距離だ。だが、それではこちらの基地の位置が敵に露見する恐れがある。よって、我々は基地の位置を欺瞞するため、この様な経路を取る」


 それから、ハットン中佐はコンパスで、ファレーズ城、フィエリテ南第5飛行場を中心とするやや小さな半円を2つ描く。それから、その円弧の交点とファレーズ城、フィエリテ南第5飛行場を結んで、地図の上に正三角形を潰したような三角形を描く。


「まず、我々は進路を北西に取り、110キロ弱を飛行、その後進路を西にとって同じく110キロ弱を飛行、ファレーズ城の空域に進入、支援攻撃を実施する。爆撃した後は進路を東に取り、往路のルートをなぞる様に飛行して帰還する。我が隊の練成状況を考慮し、プラティークで往路、復路の誘導を実施することとする。また、現在、王立空軍は航空劣勢下にあり、前線付近では敵機の跳梁が予想される。交戦の可能性を可能な限り低減するため、前線への進入は低高度で実施し、目標手前で急上昇して攻撃位置につくこととする。以上、何か質問は? 」


 説明を終えると、ハットン中佐は、その場にいる全員の顔を見渡した。


 質問は、と聞かれても、僕には何も思い浮かばない。

 そもそも、初めての出撃ということで、緊張と、興奮と、いろいろとない交ぜになった感情で胸の中がいっぱいになっていた。


 だが、とにかく、僕が何をするのかは理解した。

 理解できた、と、思う。


「とりあえず、質問は無いようだな。だが、今回は、急な作戦で、しかも、多くにとっては初陣だ。緊張するのも無理は無いだろう。分からないことがあれば、機上で私に直接確認してくれてもいい。かく言う私も実戦は初めてだが、作戦は練れるだけ練って来た。必ず、全員を生還させるつもりだ。各員は普段やって来たことをそのままやってくれればいい」


 僕らが緊張で表情を強張らせているのに気付いたのか、ハットン中佐は、そう言って、僕らのことを気遣ってくれた。

 軍人然とした頼り甲斐とか威厳とは無縁の様に思えるが、ハットン中佐はこういう、誠実で気遣いのできる人物らしい。


 少なくとも、この人は、真剣に僕らのことを考えてくれているのだろう。

 そうであれば、僕は、何も考えず、ただ、この新しい上官を信じて、自身に出来得る限りの力を出し切ることに専念するべきなのだろう。


「よし。では、レイチェル中尉、出撃の準備にかかってくれ。……それと、すまないが、私たちは少しばかり休憩してから行かせてもらうよ。まだ、昼を食べておらんのでな」

「了解しました。大隊長殿」


 人懐っこそうに、年甲斐も無くウインクをして見せるハットン中佐に、レイチェル中尉は姿勢を正して敬礼を返し、僕らもそれにならい、慌てて中佐に敬礼した。


 あまりに突然の出撃命令だったが、とにかく、命令は下ったのだ。

 僕らは、まだ準備万全と言える状態では無かったのだが、敵軍は僕らの都合などお構いなしで、状況は僕らを待ってくれはしない。


 深く考える必要は無い。僕は、自分にそう言い聞かせた。

 少しずつ、確実にこなしていくのだ。

 自分に、今、求められていること、できることは、それだけなのだから。

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