6-4「秘匿基地」
着陸してみて初めて分かったことだったが、そこは、牧場では無かった。
上空から見下ろしていた時、そこは牧場にしか見えなかったし、地上に降りてみても一見しただけではそうとしか思えないのだが、近づいてみて、直接触ってみると、違っていた。
そこはレイチェル中尉が言っていた通り、どこからどう見ても牧場に見えるように作られていた。
だが実際にはそこは、その存在を
僕らが着陸した、大きな長方形の牧草地が滑走路であり、その滑走路の脇に立つ家畜小屋は、実際には多少の爆撃にも耐える様に鉄筋コンクリートで作られた飛行機の格納庫だった。
農家に見えた建物は駐留する諸部隊の宿舎や司令部で、家畜の餌用の牧草をしまっておくためのサイロは見張台、そして風車小屋は管制塔だ。
この飛行場の偽装は徹底されており、建物の中には本物の家畜小屋や農家も含まれていた。
そして、
もっとも、僕らがその場所、フィエリテ南第5飛行場などと名前が付けられているその場所へ辿り着いた時、そこにはまだ、ほとんど人員がいなかった。
普段は施設の管理と家畜の維持のためにわずかな人員が置かれているだけで、急に戦時に突入したため、まだ体制が整っていなかったのだ。
だから、僕らは着陸できたものの、すぐに機体の整備を受けることはできなかった。とりあえず、家畜小屋に
残念ながら、専門知識を持った整備員もここにはいなければ、補給するべき燃料や弾薬、交換部品の類も不足していた。
もっとも、そのことを残念には思っても、誰を責めるわけにもいかない。
あまりにも突然に、この戦争は始まったのだ。
それに僕としては、今はとにかく、屋根があるだけでもありがたい気持ちだった。
正式な整備、点検も無しに再飛行することもできないから、その日、僕は
飛行場の管理のために常駐していたわずかな人員に宿舎を案内され、無いも同然の荷物をベッドしかない空き部屋同然の部屋に置いた後、僕は機体に戻り、フィエリテ第2飛行場を飛び立つ際に整備員から手渡されたマニュアルに目を通すことで時間を過ごした。
やることが無いのは僕だけでは無かったので、ジャック、アビゲイル、ライカも一緒だ。おかげで、僕らは相互にマニュアルの内容を確認し合うことができ、その理解に役立てることができた。
マニュアルを確認しながら、僕は、それにしても、と、この、僕らの新しい家を見回しながら思う。
本当に、よくもまぁ、この基地はこんなに熱心に偽装したものだと、感心する他は無かった。
建物の類はどこからどう見ても軍事施設には見えないし、鉄筋コンクリート製のこの格納庫だって、その表面にはわざわざ木材を使って家畜小屋の張りぼてを被せているのだ。
その上、本物の家畜まで用意されている何て!
まるで、僕の実家に帰って来たかのような居心地だった。
肝心のマニュアルの方はというと、特に苦戦することも無く、僕らは内容を理解することができた。
4人で協力した、というのもあるのだが、元々エメロードⅡは、僕らがこれまで操縦していたエメロードを原型に持つだけあって、その扱い方や操縦法はほとんど一緒だったのだ。
もちろん、違うところもある。複葉機から単葉機に改造されたことで飛行特性が変化し、操縦時の注意事項にいくらか変更が加えられていた。
だが、その違いも、理解するのにさほど面倒なことは無かった。それは、エメロードⅡのマニュアルが元々、僕らの様にエメロードから機種転換してきたパイロットのことを想定して、分かり易く書かれていたためだ。
後は、マニュアルに書かれていた事柄を実践して確認するだけだったが、生憎、僕らでは機体のチェックや給油くらいはできても、本格的な点検や整備はできない。
おかげで、僕らはしばらくの間、1度見終わったマニュアルをひたすら眺め続けることになってしまった。
成果は、内容を再確認できたことと、誤字を3か所ほど見つけたことくらいだ。
待望の、機体を整備してくれる整備員たちがフィエリテ南第5飛行場にやって来たのは、夕日が地平線に沈んでからのことだった。
そのころ、僕らは既に夕食を済ませ(基地には幸い、僕らの分の食事を供給する能力があった)、パイロット用の待機室で、レイチェル中尉と明日以降の訓練内容の打ち合わせを行っていた。
すっかり暗くなった畑の中の小道を、ヘッドライトを点けた何台ものトラックが車列を組んで走って来た。
それらのトラックには、イリス=オリヴィエ連合王国の王立軍に制式採用された軍用トラックもあれば、民間で用いられているありふれた車両や、燃料運搬用のタンク車もあり、中には、乗用車にしか見えないものもあった。
驚くべきことに、昔ながらの馬車さえ車列に含まれていた。
必要なものをここまで運び込むために、とにかく、あるものをあるだけかき集めてやってきた、という感じだ。
その車列には、この基地に不足しているものが全て、積み込まれていた。機体の整備をしてくれる整備員たちや、燃料、交換部品、弾薬。それ以外にも、基地で働く人員を維持するための食料や日用品もあった。
ありがたいことに、その中には僕らも使える衣服などもあった。これで、着の身着のまま何日も過ごすという心配をしなくて済む。
やって来た整備員たちは、対面の挨拶もそこそこに、さっそく、僕らの機体の整備に取り掛かってくれるということだった。
おかげで僕らは明日、朝日が昇るのと同時に、訓練を開始することができそうだ。
整備員たちに機体を
王国のどこでも見かけることができる、大衆ラジオの1台だ。
僕らは国内の放送局にチャンネルを合わせ、今、王国がどういう状況にあるのかを、少しでも知ろうと努めた。
今朝は、まだ、王国は平穏そのもので、ラジオから流れてくるのも、流行りの音楽や、他愛のないニュースばかりだった。
だが、今、流れてくる放送の内容は、今朝の物とはその内容も、雰囲気も、一変していた。
日常的な内容の雑多な放送は消え失せ、王国と戦端を開いた連邦、帝国、双方との前線の様子や、フィエリテ市内を始め、各地の様子などが、出来得る限り放送されている。
アナウンサーの声は緊迫したもので、スタジオの張り詰めた空気がこちらにも伝わって来る様だった。
西部国境、東部国境では、王立軍の諸部隊は防衛に努めているらしいが、戦況は悪い様だった。「負けそうだ」などと馬鹿正直に放送されることなどあり得ないし、実際にそんな風な放送は無かったが、どこで戦いが行われているのか、その地名から何となくどっちが押されているかは推測できる。
王立軍が戦っている場所は、国境付近よりも明らかに王国の国内に寄った場所であり、侵略者たちの侵入を許してしまっている状況は明らかだ。
また、レイチェル中尉が危惧していた通り、フィエリテ近郊の飛行場や、国境付近の飛行場には、今、正に、連邦、帝国、双方の航空機による再攻撃が行われているらしい。
夜間になってから再来襲してきたその攻撃は、夜間で見通しが悪いことから散発的なもので、規模も小さいものらしかったが、それでも王立空軍が体勢を立て直す妨害には十分なものだろう。
そして恐らくは、明日の昼間には、今日と同じか、より強力な攻撃が実施されるであろうことは、疑いの余地も無い。
連邦も、帝国も、本気で王国を攻めているのだ。
フィエリテ市内を始め、敵機が跳梁する空の下で、多くの人々が眠れない夜を過ごしていることを考えると、胸が痛くなる。
一刻も早く僕らは機種転換を終え、敵機の攻撃から人々を守らなければならない。
そう決意を新たにした僕らは、明日、早朝からの訓練に備えて、睡眠をとるために解散して、それぞれの寝床へと向かった。
これは、打ち合わせの解散時にレイチェル中尉が言っていたことなのだが、休める時に休むのもパイロットの仕事、なのだそうだ。
パイロットになって分かったことなのだが、空を飛ぶのには、結構体力がいる。
うまく機体を操るためには頭を使うし、集中力も必要だ。何時間もずっと、そうしている必要がある。だから、休息をきちんと取らないでいれば、誰でも事故を起こす危険がある。
戦う以前の問題になってしまう。
それに、どうせ僕らが乗っている様な単座機では、夜間飛行は困難なのだ。
航法を専門にする搭乗員が乗っている様な中型、大型機ならともかく、昼と違って視界の限られる夜間に飛行することは、事故の元でしかない。
例え事故にならずとも、飛び立ったはいいものの、自分の位置を見失って、迷子になるのがいいところだ。
気持ちははやるばかりだったが、とにかく今は、それぞれにできることを、精一杯やるしかない。
これから、僕らは、どれほどの長さになるかは分からなかったが、とにかく、長い、長い期間を戦い抜かなければならないのだ。
そう思うと、正直、ゾッとする。
だが僕には、どうすることもできない。
大陸を支配する、連邦と、帝国という2大勢力の板挟みにされてしまった王国は、これから、一体どうなってしまうのだろうか?
ジャックや、アビゲイル、ライカ、レイチェル中尉は?
そして、僕自身は、どうなるのだろう?
僕は、もう1度、故郷に帰ることができるのだろうか。
家族に、会うことはできるのだろうか。
新しい家での夜は、不安で、寝苦しいものだった。
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