6-3「牧草地」

≪各機、着陸を準備しろ。もうそろそろ目的地だ≫


 僕らの新しい家が近づいて来たことをレイチェル中尉が知らせて来たのは、フィエリテ第2飛行場から飛び立って、25分ほどが経過した時だった。


フィエリテ第2飛行場を飛び立ってどれほど経ったのか、腕時計を確認していた僕は、無線を聞いて、急いで視線を外へと向けた。


 今飛んでいる辺りは、王国の首都であるフィエリテ市から100キロ以上南に行った地域だ。

 辺りは王国随一の穀倉地帯として知られている。見えるのは、どこまでも広がる畑と、区画を区切り強風を遮るための防風林、幾筋も流れていく小川、思い出したように所々に散らばる丘と雑木林、点在する農家と集落。それだけだ。


 のどかな、何とも穏やかな心地になる景色だったが、しかし、滑走路らしきものはどこにも見えない。


≪スロットルを落とせ。それから、左へ旋回するぞ。旋回終了後、着陸地点上空を通過して着陸場所を確認、その後に着陸進入を開始する≫


 僕には滑走路が見当たらないのだが、どうやら、中尉には、既に目的地の場所が見えているらしい。

 僕は首をかしげながら、しかし、中尉が嘘を言うはずも無いので、素直にその指示に従った。


≪各機、右下方に注目。あそこに降りる≫


 旋回終了後に、中尉から示された方向を確認したが、やはり、滑走路らしきものは見当たらない。


 そこにあったのは、ぱっと見ではどう考えても、ありふれた牧場だった。


 柵で囲われた四角い細長い大きな牧草地と、形がいびつな柵で囲われた、大きさが違う牧草地が幾つか。その周囲は、防風林で区切られた畑や、雑木林になっている。 

 農家らしきものが数件見え、一番大きな長方形の牧草地を中心に、家畜小屋や、石造りのサイロ、風車小屋や、その他、牧場にあるようなものが散りばめられている。


(やっぱり、あれは牧場じゃないか)


 詳細に観察してみても、やはり、僕には牧場だとしか思えなかった。


≪えーっと、中尉殿? 着陸地点は、どこでしょうか?

 自分には、牧場しか見えないのですが≫


 疑問に思っているのは、全員同じだっただろう。それを察してか、ジャックが、控えめな口調で中尉に問い掛けた。


≪ああ、そうだな。どこからどう見ても、ありゃ、牧場だ。……そう見える様に作ってあるからな。

 ほら、一番大きい、長方形に囲われた牧草地があるだろう? あそこに降りるのさ≫


 中尉はそう教えてくれたが、しかし、僕にはやはり、その場所が飛行場として機能するとは、にわかには信じられなかった。


≪まぁ、お前らが、そんなの信じられないっていうのも当然さ。

 だが、あの牧場が、我々301Aに指示された新しい活動拠点で間違いないんだ。とにかく、降りてみれば分かるさ。


 ……いいか? 各機、着陸を用意しろ! ≫


 僕らは半信半疑だったが、それでも、中尉の指示に従った。

 牧場にしか見えない着陸地点を一旦通り過ぎた後、十分な距離を取ってから旋回を開始し、旋回を終了して、牧場の長方形の牧草地を真正面に捉えた。

 それから、フラップと車輪を展開し、装置が正常に作動したことを確認すると、エンジンのスロットルを絞りながら、徐々に降下を開始する。


 本当にその場所に降りることができるのか。僕は不安をぬぐい去れなかったが、もしそこが本当にただの牧場であったとしても、何とかなるだろうとも思っていた。


 見たところ、僕らが着陸しようとしている、長方形の牧草地は平らに見えたし、大きさも単発単葉で小柄な戦闘機には十二分ある様に見えた。

 広さだけで言えば、難なく離発着することが可能な大きさだ。


 問題は、着陸地点の地面の固さだった。もし、そこが柔らかい地面だったら、地面に車輪を取られ、機体が転倒し事故になってしまうかもしれない。


 今にして思えば、僕が幼かったあの日、僕が暮らしていた牧場に突然舞い降りて来た双発機は、本当に、よく無事に着陸を決められたなと、感心するしかない。

 同じ立場になってみて初めて、その困難さと、あの双発機のパイロットの腕前の良さに気付かされる。


 僕は心配で仕方が無かったが、レイチェル中尉の機体は平然と着陸進入を続け、他の僚機も、安全な距離を取りながら黙々と中尉に続いている。


 ここまで来たら、今更じゃないか。

 そう思って、僕は、覚悟を決めることにした。


 ゆっくり、丁寧に着陸すれば、多少、地面が柔らかくとも、事故にはならないはずだ。


 幸いエメロードⅡは、親であるエメロードの特質を受け継ぎ、とても素直な飛行機だった。レイチェル中尉が言っていた様に、変な癖が無く、細かい調整も効く。

 原型機である複葉のエメロードと比較すると、主翼の幅が大きい分、ロール方向の機敏さでは劣る様な気がしたが、安定性はいい。


 焦って変な操作をしなければ、大丈夫なはずだ。

 そう思わせてくれる機体だった。


 先頭を行くレイチェル中尉の機体が、長方形の牧草地に着陸した。特に事故も無く、実にスムーズな着陸だった。


 続いて、ジャックの機体が着陸する。レイチェル中尉の機体がたどったコースをなぞる様な着陸で、これも、綺麗に決まった。

 そして、アビゲイル機、ライカ機と、順調に着陸を決めていく。


 いよいよ、僕の番だ。


 僕は、速度計を確認し、慎重にエンジンのスロットルを調整しながら、少しずつ機首を起こして、降下する勢いを緩めて行く。


 少し小難しい話になるのだが、着陸時の飛行機の速度というのは、2つの方向に分解して考えることができる。1つは水平方向の速度、もう1つは垂直方向の速度だ。


 水平方向の速度というのは、飛行機がどれだけ前に前進しようとしているか、あるいは、横方向にどれだけ滑っているか、風に流されているか、ということだ。そして、垂直方向の速度というのは、降下する割合、噛砕いて言うと降下する勢いのことだ。

 僕が個人的に、特に大事だと考えているのが垂直方向の速度で、これがつき過ぎていると設置した時の衝撃で車輪が壊れたり、機体がバウンドしたりして姿勢が安定せず、事故を起こしやすい。


 もちろん、水平方向の速度も大切だ。世の中の物体にはすべからく慣性というものが働くため、機首をある方向に向けたとしても、実際には慣性が働いていて、機体が横滑りしていることがある。

 慣性だけでなく、横風を受ければ、機体は機首を向けた方向にはまっすぐ飛ばず、流される。


 もし、横方向の速度が大きければ、滑走路を外れたり、着陸の瞬間に主脚を折ったりして事故につながるのだが、幸い、今回は滑走路に向かって十分な距離から真っ直ぐに進入できているから、滑走路を外れる方向に働くような慣性はほとんど残っていない。

 加えて、周囲の防風林の木々が直立したままほぼ静止している様子から風も凪いでいるとわかるから、あまり考慮せずに済む。


 着陸に未だに苦手意識を持つ僕にとっては、垂直方向の速度に気を付ければいいだけの今の状況は、ありがたいことだ。


 着陸の最後の方、車輪が接地するその瞬間は、垂直方向の速度はゼロに近ければ近いほどいい。そうすれば、着陸時の衝撃で車輪や機体が壊れるといった事故は防ぐことができる。


 着陸する場所がしっかり作られた滑走路であれば、多少乱暴にドスンと車輪を接地させても問題無いのだが、今回は着陸先の地面の強度に不安があるため、僕は念には念を入れた。

 エンジンスロットルを少しずつ調整し、慎重に高度と進入角度を調整する。


 長方形の牧草地の端の柵を超えた時、高度はもう、数メートルも無い。

 機体の速度計は、整備員に教えてもらった着陸速度の下限いっぱいで、失速寸前の状態だ。


 そこで、僕はエンジンスロットルをさらに絞りつつ、機首を上げた。

 ここで機首を上げるのは、フレアという動作だ。これは、仰角をつけて翼に気流を当て、ブレーキの役割をさせるのと同時に、一時的により大きな揚力を得て、より低速な、勢いを殺した状態でふわりと着陸するためのテクニックだ。


 同時に、僕が乗っている様な尾輪式の飛行機では、主翼の主脚と、尾部の尾輪が同時に地面に設置する、三点着陸という着陸法を実施するためにも必要な動作だ。

 機体に3つある車輪を同時に設置させることで、機体に生じる衝撃を最小限に収めることができるのだ。


 僕はパイロットコースに進んでからずっと着陸が苦手だったが、今回の着陸操作は驚くほどうまく行った。

 エメロードⅡが僕の操縦に良く従ってくれたおかげだ。


 それに、上空からは牧草地にしか見えなかったその場所の地面は、意外なことに、かなりしっかりとしていた。

 よく見ると、その場所を一面覆っていたのは牧草として好まれる種類の植物ではなく、芝生だった。一面の芝生が地面をしっかりと固めてくれていたおかげで、僕らが着陸してもそこには轍すら残らなかったし、車輪は地面に沈み込んだりせず、実にスムーズに滑走することができた。


 尾輪式の飛行機は、車輪を3つとも地面につけた状態だと、自然に機首が空の方を向いてしまうので真正面が見えない。

 僕は、慎重にブレーキをかけて減速させながら、機体を左右に振って、どうにか進行方向の様子を確認した。


 どうやら、先に着陸した4機は、牧草地の脇に作られていた家畜小屋の前に並んでいるらしい。

 僕は1度深呼吸をし、額ににじんでいた汗をぬぐうと、仲間たちと合流するために、機首を家畜小屋へと向けた。

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