5-4「走れ! 」

 食事を済ませた僕ら3人は休憩きゅうけいをした後、運動用の軽装に着替えを死、滑走路の端の草地へと集まっていた。

 春が訪れたとはいえ、まだ半袖はんそででは肌寒い。だが、これから走れば、ちょうどいいくらいに感じられるだろう。


 運動前の準備運動をしながら、ふと、僕はいつものメンツが1人欠けていることに気が付く。


「ねぇ、アビー。ライカは?」


「知らない」


 僕の問いかけに、アビゲイルは不機嫌そうに答えた。


「知らないって……、ライカは、君と同室じゃ無かったかい? 」


「そうだけど、さっき部屋に戻った時はいなかったんだよ。だから、声もかけてない。珍しいことに、カメラは置きっぱなしになっていたんだが……、あの姫様、どこに行ったんだろうね? 」


 準備運動を続けながら、僕は、ふと、ライカのことが心配になって来た。


 あの一件以来、ライカは、僕らと少し距離を取っている。


 それは、感情のままに独断専行してしまったことの、反省と、後悔故だった。


 飛行場に僕らが帰り着いたその晩に、ライカは僕と一緒に、ジャックとアビゲイルに勝手な行動を取ったことを謝りに行った。ジャックは笑って、アビゲイルは不機嫌そうに、僕らを許してくれた。

 それでその話は終わったはずなのだが、どうやらライカは引きずってしまっているらしい。


 貴族のお姫様として大事に育てられた彼女にとって、恐らく、今回の様な出来事は初めての体験だったのだろう。そのせいで、彼女は少し考え過ぎて、深刻になっているのかもしれない。


「言っとくけど、あたしは何もしてないよ? 気にすんなって言っているのに、あの姫様が勝手に気にし過ぎているのさ」


「いや、別に、アビーが何かしたとか思ってないさ」


 アビゲイルの説明に、僕は苦笑した。


 実を言うと、アビゲイルとライカの仲は、友人というほどには良くはない。同じ班の仲間として互いに接しているが、生まれが違い過ぎるために2人はそれ以上深い関係にはなっていないのだ。

 だからと言って、アビゲイルがライカを積極的に不快にさせようとすることなど、彼女の性格から言ってあり得ない。逆もまた、ライカの性格から言ってあり得ない。

 なんだかんだ言って2人はこれまでそれなりにうまくやって来たのだが、今回の様な厄介な問題には、その程度のきずなではどうにもならず、気まずいだけの様だった。


 友人として、ライカをはげますことができればいいのだが。

 恐らくだが、このチームの中では、その役は僕が果たさなければならないのだろう。どうすればライカをはげますことができるかなど僕には見当もつかなかったが、それでも、ライカとの付き合いは僕が最も長いのだ。


 少し、考える必要があるだろう。


「さて、それじゃぁ、走るよ。滑走路の周りを半周ごとに先頭を入れ替えて、走るペースはその時の先頭に合わせる。いつもと一緒さ。最初はあたしからだ。言い出しっぺだからね」


 アビゲイルのその提案に従い、僕らは走り始めた。


 アビゲイルが走る時のペースは、速い。

 港町で、屈強な男たちに交じって漁に参加していたというアビゲイルは、僕らの中では最も体力があり、飛行中でもそのタフさは毎度発揮されている。走る時だって、そうだ。


 正直、こんなペースで走り続けるのはきつかったが、頭の中に居座る感情を叩き出し、まっさらになってしまうのには都合が良かった。


 滑走路の周りを半周し終えると、今度はジャックが先頭に立ち、アビゲイルが最後尾になった。


 ジャックの走るペースは、楽に走れるペースより、少し速いといった程度だ。アビゲイルの速いペースのおかげで、少し息が上がってきているが、ジャックのペースならまだどうにかなる。全力で走り続けてはすぐに参ってしまうので、楽になり過ぎず、かといって手ぬるくならない、そんなペースにジャックが調整してくれているのだ。


 アビゲイル、ジャックと合わせて、滑走路を1周し終わると、今度は僕の番になった。


 先頭に立った僕は、今度は、楽に走り続けられるペースに落として走り始めた。

 これまでの経過でそれなりに息が上がって来ているので、一旦落ち着くためだ。


 それが、僕の役割だ。

 楽に走り続けられるペースで走り、その間に息を整えた後、もう1度アビゲイルが先頭に立ち、最初の速いペースで走る。そしたらジャックがそれなりのペースで走り、適度に負荷を加え、僕がまた、息を整えるために楽な速度に落とす。


 これを何度か繰り返し、持久力と同時に瞬発力を身に着けていくのが、僕らのトレーニングのやり方だった。


 普段ならここにライカが加わり、速い、中くらい、遅い、遅い、というローテーションになる。僕らのフィエリテ第2飛行場の滑走路はおよそ1000メートルあるから、1周するには往復で2キロメートル走らなければならない。1回のローテーションで、4キロメートルほど走る計算になる。このローテーションを2回か3回、り返す。


 だが、今はライカがいないから、ローテーションは速い、中くらい、遅いで、1回のローテーションでは3キロ走ることになる。多分、これを3回か4回、り返すことになるだろう。


 走っている内に身体が暖まり、初春のまだ冷たさの残る空気が、段々と心地よくなってくる。

 脚のバネを使って、前へ、前へと進む。今はただ、それだけに集中する。


 異変に気付いたのは、僕らが、2回目のローテーションを終えようとしていた時だった。


 フィエリテ第2飛行場の滑走路は、南北に作られている。僕は3人の先頭を走りながら、北の方の空に、ふと、黒い点がいくつも現れたことに気が付いた。


 それは、徐々に大きくなり、編隊を組んで飛ぶ双発機の群れだということが分かる。

 数が、多い。10機、いや、20機以上もあるだろう。


「変だな。俺たちって、今、飛行禁止命令が出てるんだろ? 」


 僕らを代表するかのように、ジャックがその疑問を口にした。


「ありゃ、どこの飛行機だろうね? 」


 北の空から現れた双発機の群れは、どんどん大きくなって、僕らの方向へと真っ直ぐに向かってきている様子だった。


 王立空軍でもよく見かける大きさの、双発の中型機だ。爆撃機や、輸送機としてよく使われている規模のものだ。だが、王立空軍でも、王国の国内の民間企業で使われているどんな機体とも異なる、見たことのない機体だ。


 滑走路の端まで走りきり、呆気に取られて一旦足を止めた僕らの頭上を、その双発機の群れは次々と飛びぬけて行った。


 僕は、それが意味することを、まだ理解できずにいた。


 双発機の主翼には、双頭の竜の紋章が、重厚な黒ではっきりと描かれていた。それは帝国に所属することを示すものだ。

 流線型の胴体に主翼を持ち、左翼と右翼に1基ずつエンジンを備えている。機体の下部にはゴンドラ状の出っ張りがあり、銃座となっている様だ。すっと細く伸びている胴体後部には、楕円形の水平尾翼と垂直尾翼がつく。

 同時に、僕らは、双発機の胴体の下部に設けられたハッチが開かれ、機体の内部がさらけ出されていることも、はっきりと目にした。特徴的な形状のハッチで、同じものが2つ、機体の胴体下部に並んで設けられている。


 爆撃機で言えば爆弾倉と呼ばれる部分で、開かれたハッチの向こうには、爆弾らしきものがぎっしり詰め込まれているのがはっきりと見えた。


「帝国軍機だ! 爆弾を積んでいる! 」


 僕は驚きのあまり、そんな、見れば分かることを叫んだ。


 北の空から飛んで来た20機余りの双発機の群れは、帝国の軍用機、それも、爆弾を満載した爆撃機だ。


 事態が理解できず、呆然としたままだった僕らの眼の前で、帝国の爆撃機は運んで来た爆弾を投下し、投下された爆弾は、フィエリテ第2飛行場の設備へ次々と命中していった。


 巨大な爆炎が上がり、轟音が僕らの鼓膜を叩くように震わせ、飛行場の建物や設備を構成していたものが粉砕ふんさいされて、天高く舞い上がるのが見えた。


「みんな、伏せろっ! 」


 僕らの中で最も早く事態を理解したジャックが、そう叫びながら僕とアビゲイルを突き飛ばした。


 僕は突き飛ばされた勢いのまま、その場に身体を伏せる。


 爆発は、1回限りではなかった。

 爆弾の爆発による振動が、地面を通し、腹から全身に突き抜けて行く。

 何度も、何度も。


 そしてそれは、すぐに止んだ。


 僕らは半ば放心しながら、その場でよろよろと立ち上がる。

 幸い、僕らのいた滑走路の端は爆弾の目標から遠かったらしく、僕らは3人共無傷だった。


 だが、基地の光景は、一変していた。


 見えたのは、上空で戦果を確認する様にゆっくりと、悠々と旋回している帝国の爆撃機の群れ。

 それと、破壊され、炎上し、黒煙を噴き上げるフィエリテ第2飛行場の惨状だった。

 管制塔は半ばから折れて崩落し、格納庫は基部を残して壁と屋根を吹き飛ばされ、かつて飛行機だったものが炎と黒煙を噴き上げている。僕らが暮らしている兵舎は半壊し、こちらも燃えていた。そして滑走路には、チーズに出来た穴の様にたくさんのクレーターが生み出されていた。


 僕はその光景を目にしても、すぐには、何が起こったのかを理解できなかった。


 いや……。理解したくなかった、というのが、本当のところかもしれない。


 基地に設置されたスピーカーが、甲高く耳障りなうなり声の様な警報を発し始める。

 それらは徐々に重なり合い、徐々に大きく不快な合唱となって、辺りに鳴り響く。


 その不快な音が、僕に現実を突きつける。


 攻撃を受けた基地の設備の周りでは、無事だった人々が駆け回り始め、負傷者の救助や火災の消火のために慌ただしく動き回り、怒号が飛び交い始める。


 遠くの方で、対空戦闘を号令するラッパが鳴り響き、すでに爆弾を投下された後だったが、基地に設置された対空砲が散発的な咆哮ほうこうを始めた。


 そこで、ようやく、僕は何が起こっているのかを受け入れた。


 これは、攻撃だ。


 僕らは、攻撃を受けている!


「はっ、走れぇっ!! 」


 僕らは、ジャックの言葉に、弾かれた様に駆けだした。

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