5-2「第4次大陸戦争」
ふと、僕は整備員たちの声ではない声を耳にして、顔を上げた。
時折雑音の混じる、異国の音声。
どうやら、整備員の誰かがいずこからかラジオを持ち出して、チャンネルをどこかへ合わせようとしている様子だった。
王国の放送では無さそうだから、連邦か、帝国か、どちらかの放送に合わせようとしているらしい。
そのラジオは、数年前に開発され、その高い信頼性と手頃な値段から、王国全土で爆発的に普及した大衆ラジオだった。
機器を木製のカバーの中に収め、1つのスピーカーから受信した音を流す。受信する周波数と、スピーカーから流れる音の大きさを調整するための大きなダイヤルが2つ、ついている。
あのラジオは、僕の実家の牧場にもあったほどだ。あまり裕福でない家庭でも購入できる程度に安価で販売されているそのラジオのおかげで、ラジオ放送は今や、王国全土で欠かすことのできない貴重な情報源となっている。
そういった状況は王国以外でも、連邦でも、帝国でも一緒だ。
特に、第4次大陸戦争と呼ばれ始めている戦争を開始して以来、連邦と帝国は共にラジオ放送に力を入れ、電波の上でも激しく戦っている。
いわゆる、プロパガンダ放送という奴だ。
戦争が始まると、連邦も、帝国も、自身の正当性を主張し、また、戦況が自身にとっていかに有利に推移しているかを広め、敵国の国民の戦意を
連邦も帝国も、そのためだけに大陸中に届く電波を発信可能な巨大な電波塔をわざわざ建設したという話だ。このせいで、連邦と帝国の放送は、マグナテラ大陸上であればどこでも受信できるし、条件が良ければ大陸の外側、海を越えた別の大陸でも受信できるのだという。
整備員たちはどうやら、連邦と帝国の放送局からたれ流されているプロパガンダ放送を聞こうとしている様子だった。
そこから聞こえてくる情報は、放送する側の勢力にとって都合がいい様に
というよりも、僕らにとっては戦争で何が起こっているのかを知る、唯一の手段だった。
一見、のんきにカードゲームに興じている風だったが、整備員たちも先日の一件以来、第4次大陸戦争の状況が気になるのだろう。
僕も同じ気持ちだ。
戦争は相変わらず、アルシュ山脈の向こうで
戦争は、僕らの目も耳も、届かない遠くにある。
だがそれは、不意に僕らの眼の前に姿を現すことがある。
僕はつい先日、そのことを思い知ったばかりだった。
王国は中立国だが、戦争と決して無関係ではない。
僕はつい先日まで無関係だと思い込んでいたのだが、そうでは無かった。
遠いはずの、戦争。
だがそれは、僕の身近なところにあったのだ。
ラジオに耳を澄ますと、連邦側の放送が聞こえてくる。派手に打ち鳴らされるシンバルの後に、勇壮なオーケストラで連邦の国歌が演奏され、重厚なコーラスが、民主主義と、自由、平等、博愛の素晴らしさを歌い上げる。
その後、連邦の国歌のメロディーを背景にして、明るい声の女性が勇ましい口調で語り出す。
≪連邦の市民、そして民主主義よ、永遠なれ! 我が勇敢なる共和国の軍隊は、悪しき独裁者の軍隊にまたしても大勝利を収めた! 我らが自由の闘士たちはエクラ河で帝国軍の攻撃を
その放送は、連邦で用いられている内で主要ないくつかの言語、次いで帝国語、そして国際共通語で、同じ内容が何度も
整備員たちは口々に、本当かよ、とか、またかよ、とか、信じらんねぇな、とか言い合っている。
僕も同感だ。
整備員たちが周波数を変えると、今度は帝国の放送が流れて来る。勇ましいファンファーレが鳴り響き、軍隊が勇壮に行進する足音と、帝国語の力強い軍歌が流れ出す。
その後、軍歌のメロディーを背景にしながら、いい声のアナウンサーが、歌い上げるように語り出す。
≪帝国臣民よ、喜びを分かち合おう! 先日、エクラ河において実施された帝国軍の攻勢作戦は、大いなる成功を収めた! 我が誇るべき軍隊は前進し、
その放送は、帝国語、次いで連邦で用いられている内で主要ないくつかの言語、そして国際共通語で、同じ内容が何度も繰り返された。その中にはご丁寧なことに王国で用いられている言語も含まれているから、僕らにも意味が理解できる。
整備員たちは口々に、本当かよ、とか、またかよ、とか、信じらんねぇな、とか言い合っている。
僕も同感だ。
両者の主張するところによると、第4次大陸戦争は相変わらず、連邦、帝国、共に勝利を重ね続けているらしい。
馬鹿馬鹿しい。
実際のところは、戦況はもう、1年以上も
アルシュ山脈の北、大陸の北方には、アルシュ山脈を源とする大河、エクラ河が北に向かって流れている。荒涼とした荒野が広がる中を、エクラ河は太い流れとなって無数に蛇行し《だこう》、高所から見下ろすと、天の川の様にきらきらと輝く帯に見えるのだという。
戦争は、このエクラ河を挟んで、一進一退の攻防が続いている。
かつてこのマグナテラ大陸に最初に成立した文明とされる古代文明は、このエクラ河の
アルシュ山脈に雲を
こういった厳しい環境で生き抜くために古代の人々は集住し、エクラ河の豊富な水源を利用して農耕を発達させ、文明と呼べる社会を形成していった。
だが、大陸初の文明の栄華は、
今、古代文明を生み出した大いなる流れの両岸では、
第4次大陸戦争が始まった当初は、帝国側が明らかに優勢だった。
王国から見て東側に位置する帝国は、開戦と同時に、大陸東端の連邦所属国家へとなだれ込んだ。前の第3次大陸戦争の際に帝国を離反して独立を宣言した、帝国が言うところの「裏切り者」であるそれらの国家は数週間の内に完全に
帝国は、自身が宣伝するところの「電撃戦」によって連邦を圧倒し、開戦から1年の内にエクラ河に到達するに至った。
だが、太く、雄大なエクラ河の流れは容易な侵入を許さず、動員の完了した連邦側の決死の防戦も相まって、戦線は
連邦も、帝国も、エクラ河を渡河し、相手の戦線奥深くへ進出しようと攻防を
その原因は、元々人口過疎地帯であるためにインフラが貧弱で、大軍を渡河させる手段としては北大陸横断鉄道の鉄道橋ただ1つしかなく、その上、広い川幅と深い水深というエクラ河が両軍の作戦行動を阻害し、選択肢を狭めているためだ。
今回の大戦争の決着がどうつくかはまだ分からないが、前回の第3次大陸戦争では、連邦側が勝利した。その前の第2次、さらに前の第1次でも、連邦は勝者だった。
第1次大陸戦争で連邦の前身となる民主主義をかかげる諸国家が起こり、第2次大陸戦争で民主主義国は王政や帝政を堅持していた大陸の古い諸国家を打倒し、連邦を成立させた。
第3次大陸戦争では、連邦によって滅ぼされた諸王国の復活を大義としてかかげた帝国と連邦の全面戦争が行われ、両者の国境付近で何年も戦いが続いた。
現在の帝国は大陸東部に
戦況は、帝国が攻め、連邦が必死に守るという様相だったが、結果は帝国の大敗に終わる。
帝国の東部で保護領とされていたいくつかの地域が連邦から秘密裏に支援を受けて独立し、連邦への加盟を宣言して、帝国領へと攻め込んだからだ。
無防備だった背後から突然攻撃された帝国は、これに対処する術を持たなかった。
そうして帝国は、主戦線では勝ったままで、敗北した。大陸北方に、エクラ河を挟んで有していた広大な領土を連邦に割譲し、離反した保護領の独立を承認し、さらには莫大な賠償金を連邦へと支払い、連邦が自衛に必要と認めた最低限の軍備の保有のみが認められるという、屈辱的な条件での講和を余儀無くされた。
今度の第4次大陸戦争は、帝国にとっては自身が正当だと主張する、大陸最古の国家としての威厳とその領土を回復し、かつて味わった屈辱への報復と自身の復権を目的としたもので、自身のルーツと主張する古代文明発祥の地を奪還するための「聖戦」などと呼んでいる。
一方の連邦にとっては、民主革命の成果を確固たるものとし、彼らが言うところの悪である帝政を打倒しこの世界から完全に抹消するための革命戦争と位置づけ、「最終戦争」などと呼んでいる。
大戦争は両者の思惑、都合、イデオロギーのために起こった。
僕には全く、共感できない。
連邦は連邦、帝国は帝国。それでいいではないか。
王国は、王国。僕らはそれで、平和にやっている。
しかし、彼らにとってはそうでは無いらしい。
連邦にとって、帝国は存在そのものが悪であり、その存在が存続する限り、無条件で闘争の理由となる様だ。
帝国もまた、連邦が帝国から奪った領土、失った権威を奪還しなければならないと固く決意しており、譲歩するつもりは全くない。
互いに、互いが存在する限り、闘争は当然のものだと考えているのだ。
その存在自体が闘争の理由なのだから、何らの妥協点も生まれはしない。両者の間に、対話による和平、そして、共存共栄という選択肢は存在しない。
彼らは真剣に、互いを滅ぼそうと戦っている。
そのためにどれほどの血を流そうと、彼らは必要な犠牲だと言う。彼らは、どちらかがこの世界から消滅しない限り、争いをやめるつもりはないのだ。
両者の対立は、歴史的な経緯に発して複雑に入り混じり、強固に根差して、容易には解決しない。
どちらかがどちらかを完全に
連邦と帝国の対立とは、そういうものなのだ。
僕は、その対立と無縁でいられると思っていた。
だが、そうでは無いと、まざまざと見せつけられた。
僕にとっての世界は、以前と、以後で、ガラリと変わってしまった。
もう僕は、この戦争と無関係では無いのだ。
しかし、僕にとっての世界は大きく変わってしまったのに、連邦と帝国の争いは何一つ変わりなく続いている。
彼らは僕をも巻き込みながら、平然と、それが当たり前であるかのように、僕からすればどうでもいい様な理由で殺し合っている。
これ以上、愚かなことがあるだろうか!
そしてその、これ以上ないほど愚かなものに、僕はもはや、無関係では無いのだ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます