イリス=オリヴィエ戦記 ~その日、少年は空と出会った~(完結)

熊吉(モノカキグマ)

第1話:「空と出会う」

1-1「飛行機」

「なぁ、ミーレス。お前、どうしてそんなに空が飛びたいんだよ? 」


 僕は、まだ幼年学校へ通っていたころ、友達によく、そう不思議がられていた。


「別に、田舎暮らしだって、悪いもんじゃないだろ? それに、機械で空を飛ぼうだなんて、危ないじゃないか」


 その友人の言い分は、もっともなものだった。

 だから、僕は、そう問われると、いつも言葉少なに、こう返すことしかできなかった。


「うん。僕も、ここは嫌いじゃない。空を飛ぶのが危ないことだっていうのも、よく知っているよ。……でも、僕は、どうしても、空を飛んでみたいんだ」


 友人は、相変わらず不思議そうな表情をするだけだったが、僕はそう言うしかなかった。


 どうして、自分が、それほど空にこだわるのか。

 僕の語彙力ごいりょくでは、到底、うまく言い表すことができないからだった。


 実のところ、幼き日の僕は、ある時まで、空へ何の関心も持ってはいなかった。


 僕は、片田舎の牧場の長男として生まれた。

 幼いころの僕にとっては、家族と、実り豊かな畑と、日々の糧をもたらしてくれる動物たち、草原の草花、森の木漏≪こもれ≫れ日が、世界の全てだった。

 狭い様に思えるかもしれないが、僕にとっては、全てが無限に思える程の広大さを持ち、常に新しい発見や、疑問が毎日のように生まれ、退屈など、したことが無い。


 道端を歩けば、見たことの無い草花を見つけられる。小川をのぞけば、魚たちがキラキラと光っている。馬にまたがれば、風の様に、どこまでも走り抜けることができる。木漏こもれれ日の降り注ぐ木陰で昼寝でもすれば、もう、最高だ!


 もっとも、楽しいことばかりでもない。牧場での仕事は重労働だ。

 動物たちは毎日世話をしてやらなければならなかったし、畑だって、良い収穫を得るためには、何カ月も手を入れ続けなければならない。

 それでも僕は、牧場での暮らしに満足していたし、ずっと、牧場で暮らしていくのだと思っていた。


 そもそも僕は、この世の中に飛行機などという機械が存在することも知らなかったし、空を飛べるのは鳥や虫たちだけの特権だと、そう思い込んでいた。


 ある日、不意に、その未知なる存在が僕の眼の前に現れるその時までは。


 それは、僕が、家畜の番をしながら、空にただよう雲の形をぼんやりと眺めていた時だった。


 突然、真っ青な空に、ポツンと黒い点ができたかと思うと、それは、みるみるうちに大きくなっていった。


 僕は最初、ただ、大きな鳥だと思っただけだったが、それはすぐに、鳥どころではない大きさの、しかも、人工物だということが分かった。

 その人工物は、少し頼りなげにフラフラとしながら、徐々に、確実に、僕の頭上をめがけて、真っ直ぐに突っ込んで来た。


 僕はそれが何なのか、考えるひまさえ無かった。

 とにかく、僕はその物体が落ちてくる場所から、大切な友人であり財産でもある家畜たちを逃がすために奔走ほんそうした。

 のんきに昼寝をしていた牧羊犬を叩き起こし、犬と一緒になってわぁわぁ吠え立て、どうにかこうにか、草をはむのに熱中していた羊たちをどかすことができた。


 その時には、もう、僕の頭上に、その得体の知れない物体の真っ黒な影が覆い被さっていた。


 何も知らない僕は半ばパニック状態だったが、牧場の牧草地に不時着したその物体からは、3人の男性が降りて来た。

 人間が出て来たということで、僕はその時、心の底から安堵あんどしたものだ。


 その物体は、今更言うまでもなく、飛行機だった。

 長距離飛行の世界記録に挑むために開発されていた双発(エンジンが2つついている)の飛行機で、そこから降りて来た3人の男性たちは、開発されたばかりだったその飛行機のテストパイロットであり、世界一周を目指す冒険飛行家だということだった。


 当時の僕には理解できない話だったが、馬に乗って大慌てで駆けつけて来た僕の父さんに、パイロットたちは不時着した事情を説明した。

 何でも、飛行中にエンジンの調子が悪くなり、止むを得ず着陸したとのことだった。


 どうやら、僕の牧場の牧草地の囲いが、空からはちょうどいい滑走路に見えたらしい。


 僕や家畜たちにとっては迷惑千万な話だったが、パイロットたちにとっては他にやり様が無かったのだろう。

 車輪の幅にくっきりと牧草地はえぐられてしまったが、羊たちは別の場所で、何事も無かったかのように草を食んでいたから、気にするだけ無駄というものだ。


 それに、僕にとって、その遭遇は悪いことばかりでは無かった。


 パイロットたちが飛行機のエンジンを直す間、特別にその飛行機を見させてもらえることになったのだ。

 せっかくだから、と、パイロットたちに願い出てくれた父さんには、感謝してもしきれない。


 僕は飛行機の後部の扉から機内に入ると、おっかなびっくり、前方に進み、パイロットの1人に案内されるまま操縦席に座らせてもらった。


 よく分からない機械がずらりと目の前に並ぶその光景は、今でも鮮明に覚えている。

 操縦桿、エンジンスロットル、水平計、方位計、高度計、速度計、燃料計、その他。全て、丁寧に磨き上げられ、曇り1つない。

 何だか凄そうな機械たちの上を見上げれば、そこには、枠で区切られたキャノピー越しに、大空と牧場の緑が輝いていた。


 これが、この大きな機械の塊が、空を飛んでいたのか。


 僕は、その時初めて、飛行機というものの存在を知り、空を飛ぶことが、鳥や虫たちだけの専売特許では無く、僕でも手が届くものなのだと理解した。


 パイロットたちにとっては幸いなことに、僕にとっては不幸なことに、エンジンの問題は深刻では無かったらしく、修理は2時間ほどで終わってしまった。

 初めてふれた飛行機の感触にうっとりとしたまま、飛行機をうっとりと眺めていた僕は、そのまま、その飛行機が空へと舞い戻っていく様子をずっと見つめ続けた。


 せっかくこの牧場に来たのだから、と、僕の母さんが持って来たサンドイッチを手土産に、大空の冒険者たちは再び機上の人となった。

 笑顔で僕たちに手を振りながら飛行機に乗り込んでいったその男たちが、操縦席につくのと同時に、りんとしたたくましい顔つきに瞬時に変わったのを、今でも鮮明に覚えている。

 それは、まだ誰も見たことの無い、未知の世界へ挑む、勇敢な冒険者たちの横顔だった。


 名前も知らない彼らは、僕にとって、物語に登場する英雄や勇者の様に思えたのだ。


 エンジンはこれまで聞いたことの無い様な轟音ごうおんを響かせながら快調に回っていた。調子が悪かったのが嘘の様だった。

 再び牧草地に轍≪わだち≫を残しながら滑走したその飛行機は、すっと地上を離れると、グングン上昇して、やがて、彼らが現れた時と同じ様に黒い点になり、彼方へと飛び去って行った。


 僕はその光景を、父さんや母さん、牧場の動物たちと一緒に、目に焼き付ける様に見送った。


 それ以来、僕は、空を飛ぶことを夢見る様になった。

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