第12話


 そうして、披露宴は終始幸せムード全開で幕を下ろした。

「細見さん! 本当に、素敵な演奏でしたよ! ピアノを楽しんでもらえたことも、すごく嬉しくて」

「篠田先生のおかげですよ! 本当に、ありがとうございます!」

 新郎新婦に見送られ、会場外で私と細見さんは顔を合わせるなり、笑顔で近づいた。

「いえいえ、細見さんの努力の賜物ですよ!よく練習しましたね!」

 細見さんの演奏は、いくつかミスはあったものの、本当に素晴らしいものだった。

「はいっ! ……あっ、篠田先生、手が」

 その言葉で、自分が思わず細見さんに手を伸ばしていたことに気づいた。

 そして、細見さんも。

 本当に自然に、何の拒否反応もなく。

 ただただその頑張りを讃えたくて、嬉しい気持ちを伝えたくて。


(私が、自分から男性に触れるなんて……)


 それも、無意識に。

 自分の手をじっと見つめる。

 その手は、震えていなかった。


「細見さん、お礼を言うのは私の方です。今までずっと、男性恐怖症のせいで大勢が集まる場には怖くて行けなかったんです。でも、細見さんとのレッスンを通して、私の男性に対する恐怖のイメージがだんだん薄れてきて……まだ、怖いなと思うことの方が多いんですけど、こうして友人の結婚式にも来ることができました」

 伝えたい。

 きっと、この機会を逃したら伝えられない気がするから。

 私は、まっすぐに細見さんの目を見て話す。

「それは全部、細見さんが優しかったから。厄介な講師だったでしょうに、本当に一生懸命だったから。どれだけ細見さんの姿に励まされたか分かりません。私、細見さんの講師ができて本当によかったです。本当に、ありがとうございました」

 深々と頭を下げると、細見さんは驚いた顔をしていた。

「僕はそんな出来た男じゃないですよ。無理だと諦めそうになる僕を篠田先生が励ましてくれたから、今日この日を笑顔で迎えることができたんです。それでも、少しでも僕が篠田先生の力になれていたのなら嬉しいです。でもどうして、全部過去形なんですか?」

「え? だって、もう結婚式は終わりましたから、細見さんがレッスンする必要は……」

「えっ? 岡村さんから聞いてないですか? 僕、これからもレッスンをお願いしたいと思ってるんですよ。始まりは確かに余興のためでしたけど、今は違いますから。スピーチ、ちゃんと聞いてましたか?」

 細見さんが、少しだけ意地悪な笑顔を見せた。

「今までずっと、僕の生活は職場と家の往復で、趣味なんてなかったし、何のために働いているんだろう、って虚しくなることが多かったんです。でも、ピアノを始めて、仕事以外に夢中になれるものを見つけて。うまくできたら篠田先生に褒めてもらえるし、実際に弾けるようになった時は本当に楽しくて、達成感もある。うまく言えないですけど、今は本当に、ピアノを弾くことが楽しいんです! それは全部、篠田先生のおかげです」

 細見さんに会うのもこれが最後かもしれないと思って気合を入れて気持ちを伝えたのに、なんだか拍子抜けしてしまった。

 でも、それ以上に嬉しくて、口元が緩むのを抑えられない。そして、同時に涙腺も崩壊してきた。

 私は今、ものすごく不細工な顔をしているだろう。

 決して、人様に見られてはいけない顔だ。

 思わず両手で顔を覆うと、少し不安そうな細見さんの声が聞こえてきた。


「だから、これからも篠田先生にレッスンをお願いしたいと思っているんですが、やっぱり駄目ですか?」


 きっと、私の態度が拒絶だと思われてしまったのだ。


「ち、違うんです!」


 私は慌てて否定する。もう、泣き腫らした顔なんて気にしていられない。

 だって、目の前で細見さんが捨てられた子犬のような目をしている。


「これは、あの、恥ずかしくて。今日は泣きすぎて、こんな顔を見られるのがいたたまれなくて……だから、駄目ではなくて」


「こんな顔だなんて。篠田先生は、いつもかわいいじゃないですか」


 一瞬、私はその場に固まった。

 思考がうまく働かない。

 泣きすぎて幻聴まで聞こえるようになってしまったのだろうか。


「篠田先生?」


 戸惑う私に、細見さんがまた不安そうな目を向ける。

 きっと、さっきの言葉に深い意味はないし、むしろ私の幻聴だったのだろう。

 私は忘れることにした。


「……えっと、すみません、何の話でしたっけ?」


「これからも、僕にピアノを教えてくれますか?」


 初めて会った時よりも真っ直ぐな優しい瞳で、細見さんが問う。

 もう、答えなんて決まり切っていた。


「もちろんです! これからも、よろしくお願いします!」


 そして、私たちは笑顔で握手を交わした。



 その光景を見ていた佳代はまた号泣し、後に式場カメラマンにその場面を写真で見た亜紀からは質問攻めにあうことになった。

 みんなには、心配ばかりかけていた。

 これからも、きっと心配をかけてしまうこともあるだろう。

 それでも、あの日踏み出した一歩は、私にとって大きな一歩だった。

 他人からみたら、ほんの小さな変化でも、私にとってはとても大きなもの。


「私、細見さんに出会えて、本当によかったです」


 ぽつりと呟いた言葉は、会場の喧騒に呑み込まれていった。



 毎週金曜日、夜七時。

 私は、細見さんを待つ。

 ドキドキと胸を打つ鼓動は、男性恐怖症の発作ではない。

 白の長袖ニットに、赤いスカート。髪はふんわり巻いて、化粧もほどよく。

 少しだけ勇気を出した、赤いリップ。

 頬のチークが必要ないくらい、今は顔が熱い。


「こんばんは。今日もよろしくお願いします!」


 向けられる優しい眼差しが、あたたかな心が、私に力をくれる。

 細見さんのおかげで、心に刻まれたトラウマは少しずつ癒えてきている。


 ――普通の恋が、私にもできるだろうか。


 やはりまだ、不安は大きい。

 それでも、今なら大丈夫だと思える。

 人は、変われる。


 そのことを、私はもう知っているから。


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warm~やさしいあなたと~ 奏 舞音 @kanade_maine

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