107.試し焼き 五

 千佳が差し出した舟皿には、大根おろしが山のように積まれた玉子串が一本寝そべっている。

 四谷さんはおろしをこぼさないように、慎重に串を手に取り口に運んだ。


「……」


「どう、でしょうか?」


 まだ一口目、咀嚼そしゃくしている途中だが、そわそわとした様子で小湊さんが感想を求めた。


「……」


 四谷さんは無言で二口目を咀嚼する。

 三口目、四口目。もくもくと食べ進めていく四谷さんを前に、さらに催促する度胸は小湊さんにもないようだ。そんな大した時間でもないが、小湊さんの表情は次第に曇りがちになっていく。

 味には自信がある。これまで何度も試行錯誤しながら辿り着いた味だ。

 玉子串そのものを甘い味付けにしたため、大根おろしにらすのは香り高いかつお醤油を用意した。

 大人の舌にも馴染なじむ味わいになっている。と、その自信はある、が。

 四谷さんと小湊さんは、屋台を通した大家さんと店子たなこの関係にある。

 いくら自信があっても、大家さんの口に合うかはまた別で、それが原因で雰囲気が悪くなるかもしれない。嫌でも悪い想像が膨らんでしまう。


「ごちそうさまでした」


 動けないままでいる小湊さんを他所よそに、四谷さんは一本分食べ終えると串を舟皿に戻した。


「…………」


 ごちそうさまでした、とはどちらの意味だろうか。単に食べ終わったというふうにも取れるし、不味まずいとも取れる表現だ。小湊さんも聞くに聞けないでいる。


「どうされましたか? とても美味しかったですよ」


「本当にっ?」


 その一言に、小湊さんの顔にぱっと喜色が浮かぶ。


「えぇ。お世辞せじというワケでもありませんよ? 素朴そぼくながらも体にみる味でした」


「あ、あ、ありがとうございます!」


 がばっと頭を下げる小湊さんに、四谷さんは滅相めっそうもないと手を振った。


「いえいえ、本当に順調のようでなによりです。明日、明後日の営業もうまくいくと信じています」


「はい! 見ててくださいね、一番人気になりますから!」


 声をはずませる小湊さんはからになった舟皿を受け取り胸を張る。

 仕事に戻る四谷さんをその場で見送り、完全にその後ろ姿も見えなくなった後。

 小湊さんは、ちょいちょいと手招きをして僕と千佳に近くに来いと合図した。


「私ね。リーダーとして失格だったかもしれない」


 何だろうかと集まった僕たちに、そう、声を落とした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る