2.新月の花 一

 一瞬の浮遊感、耳をつんざく風切り音が俺をうつつへ揺り起こす。

 この夢を見た朝は、決まって強い倦怠感けんたいかんに襲われる。

 心臓がドクドクと早鐘を打ち、冷や汗でぐっしょりと濡れたシャツが気持ち悪かった。


「大丈夫か祐司ゆうじ?」


 昼休み。和やかな空気の教室で机に突っ伏して寝ていると、遠慮がちに名前を呼ばれた。


「……あぁ」


 寝ぼけまなこをこすりつつ起き上がる。そこにいたのは、持ち前の茶目っ気でムードメーカーを務めている須藤すどう拓海たくみだった。

 空いた机の端に腰掛け、こちらの様子を見ている。


「朝からだるそうにしてないか? そんなにまずいなら保健室行くか、付き添うぞ?」


「いや……夢見が悪くて寝れなくて。朝より大分マシになったよ」


 事故の後。

 頭を打っていた俺は大病院にかつぎ込まれ、集中治療室で手術を受けたらしい。らしい、というのは当然意識がなかったからで、目が覚めたのはそれから二週間後。

 片足はギプスで固定され、体のあちこちには青痣が浮かんでいた。自分でも目を逸らしたくなるような惨状だったのは覚えている。

 けれど医者からはこれでも綺麗になったほうだと説明された。千佳は転落した俺を見て、真っ先に大人達を呼んできてくれたらしい。

 その千佳は怪我してないと言われて一番ほっとした。

 千佳も病院に付き添いたかったらしいけど、この病院が遠くの街にあったこともあり、退院するまで会えないと聞かされた。

 さいわいなことに俺は後遺症らしい後遺症も残らず見た目は綺麗に治った。リハビリは順調だったけど、事故数日前からの記憶が曖昧で、医者や警察の聞き取りにはうまく答えられなかった。

 待ちに待った退院日。その足で千佳に会いに行く。と、俺を目にした千佳はカッと目を見開いて。ペタンと床にくずおれ狂ったように泣き叫び――


 今の千佳が出来上がった。


「ならいいけどな……。と、見てみろよあれ、また囲まれてるぞ」


 須藤の視線の先には人混みが出来ていた。その中心の席には一人の女子が座っている。


「やっぱいいよなぁ、相楽さがらさん。キレイで優しくて、おまけに面倒見が良くて頼りにもなって……」


 ――相楽さがら千佳ちか

 成績優秀、誰にも分け隔てない態度で接し、整った顔立ちにはいつも柔らかな笑みを浮かべている。幼馴染という色眼鏡を外しても、美人といって差しつかえないだろう。

 千佳とは家が近所で昔からよく遊んでいた。中学高校と一緒だったのは単に、近場の学校がここしかなかったからだ。クラスまで同じなのは腐れ縁でしかない。


「あ~ぁ、祐司が羨ましいよ、相楽さんと幼馴染だなんて。……いくらで変わってくれる?」


「いくら積まれても変えようがねぇよ」


 こういうやっかみも慣れたもんだ。


「お前ら登下校も一緒じゃん?」


「近所だからな、帰る方向一緒だし」


「あ~羨ましい。一回くらい俺も幼馴染と下校がしたい!」


「いるのか、幼馴染?」


「いない……。一回でいいからさ、だめ?」


 そう手を合わせられてもしかたない。それに千佳とはたまたま家を出る時間が一緒でクラスが同じだから下校も一緒というだけだ。


「やけに突っかかってくるけど、須藤お前なにかあったのか?」


 やっかまれるのはいつものことだけど、今日は特にひどい気がする。


「聞いてくれるか……?」


「あ、あぁ」


 頷いた俺を見て、須藤はがっくりと肩を落とした。


「……フられた」


「は?」

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