第2話 きっかけはとげぬき地蔵
いい天気ですわねえ。心が洗われるようです。あら失礼。私、挨拶もしないで。
私、キヨコは本日、巣鴨のとげぬき地蔵様にお参りでございます。
目的はもちろん、夫の平癒祈願でございます。こないだ検査したらいろいろ数値が思わしくなくて、今度検査入院するのです。何事も無ければいいのですが、少しでも何かできないかと考えてここに来た次第でございます。
それにしても、ここにはいろいろなお店もあって楽しいのでございます。いいですわねえ、夫が退院したら一緒に来たいものです。
……ふと、
ここはお年寄りばかりの街なのに、かなりお若い男性で黒服にサングラスとお約束の怪しさ満載です。
どうやら数メートル先のご老人を尾行しているようです。まあ、私も老人の部類に入るのですが。
もしかしたら、何かトラブルなのかもしれません。知らんぷりしてもいいのですが、好奇心だけはこの年になっても旺盛なので、こっそり跡を付けてみましょう。祖父から教わった心得は時々こうして役に立っております。
しばらく彼らをつけていると人気の無い路地に入りました。何やら揉めているようです。
「つけ回しているのはわかっている。奴の差し金か」
どうやら、ご老人は尾行に気付いていたようです。だからこんな路地に誘い込んだのかしら。
「察しがいいな。先生の周辺を嗅ぎ回っているそうじゃないか。いろいろと目障りなんでね」
先生というのは、……少なくとも学校の先生ではないですわよね。
「はっ、あんたが出てくるということはやはりあの男は違法クラブに関わっていたということか」
クラブって、間違っても学校のクラブではないですわね。
「どっちにしてもあんたはここで死んでもらうことになる」
「やはりそうか、わしの孫娘も騙されてそこで……、くっ……」
「まあ、せめてもの情けに苦しまないようにしてやるよ」
まあ、この観光客で賑わい、なおかつ仏様も祀っている巣鴨で殺人が行われようとしています。ここは同年代でもあるあのご老人を助けないと。かといって、警察に通報する時間はありません。私、ガラケーすら持っておりませんの。
ならば、二人の間に割って入るのも危険ですわ、男はナイフを取り出してますし、私は丸腰ですし。何か武器になりそうなものは……。
ふと目に入ったのは、モップが壁に立てかけて干してあるのが目に入りました。
仕方ないです、何もないよりはマシですからこれを使いますか。
私はモップを持ち、中段の構えを取りました。なぎなたは久しぶりですが、なんとかなるでしょう。少なくともあのご老人が逃げる時間稼ぎにはなるはずです。
そのまま、そっと若い男性の背後にから背中を突きます。
「はあっ!」
「ガッ!」
男は虚を突かれたからか、ナイフを落としこちらを睨みます。
「仲間か?! 婆さんじゃねえか!」
悪かったですわね、そりゃ婆さんでございますが、ものは言い様があるじゃないですか。ちょっと腹が立ったのでモップを八相の構えに直し、攻撃体勢に転じます。あちらも予備のナイフを懐から出してこちらに向かってきます。
しかし、長物を舐めてはいけませんよ。素早く柄を振り落とし、胴へ打ち付けます。
「グオッ!」
若者はバランスを崩して倒れました。と、言うかこの若者、動きが鈍いです。あれですかね、今時の若者ってやつかしら。弱いから武器を持って意気がるタイプ。
ならば、倒すのは簡単ですわね。素早く若者の喉元にモップの柄を突きつけます。
「男性の急所は喉仏ですわ。素人のお婆さんにモップで殺されるって、かなり情けないのではないかしら?」
「ぐっ」
さて、ここで観念してくれればいいのですが。まだ来るならば……万一反撃されても正当防衛が成り立つはず。
「っざけやがってぇぇぇ!」
体を反転して立ち上がってきました。しょうがないですわね。ちょっとリスクありますが、もう一度八相の構えにて反撃します。今度はナイフを持った腕を狙います。
「はあっっ!」
「ぐあっ!」
手の甲にヒットさせて、ナイフを弾きます。苦痛に男は顔を歪めますが、左手で拳を作って反撃を仕掛けてきました。でも、先ほども言いましたが、動きが鈍いから私には見切れております。拳を避けて、もう一度中段の構えから反撃。胴を突き、頭が一瞬に下がったところを狙って渾身の一撃をお見舞いします。
「面!」
思ったよりもクリティカルヒットしたようで男は倒れます。生死はわかりませんが、当面は起き上がらないでしょう。
「大丈夫ですか?」
私は振り返ってご老人に声をかけた。
「あ、ああ。って、あんた素人か?」
素人って何のことでしょう?先ほど確かに男に精神的ダメージ与えるために素人とは言いましたが。
「はい、若い頃は母からなぎなたを教わっておりましたが、何か?」
「信じられん、……奴の差し金だから、かなりの腕前のはずなのだが」
「ああ、それなら祖父が陸軍の諜報機関の元スパイでしてね。戦後の混乱から身を守るためにと、一通りの武術の心得などは叩き込まれましたわね。まだこの年になっても覚えているとは思いもしませんでしたが」
私がそう答えるとご老人はとても驚いた様子でありました。そりゃ、スパイの祖父から仕込まれたなんて普通の年寄りからは耳にしない台詞です。
「ふむ、お前さんすごい素質だな。あんた、もし良ければうちで働かないか」
思えば、あれが今の仕事をするきっかけでしたわね。でも、びっくりしましたわ。あのご老人が組織の
あれから結局、夫の検査結果が思わしくなくて治療費が入り用になりましたから、渡りに船でした。
「おい、どうした。手が止まっているぞ」
夫の呼び掛けに我に帰ります。そうでした、見舞いに来てリンゴを剥いていたのでした。
「ああ、ごめんなさい。そのお守りを見てちょっと昔を思い出していたのですから。どなたかの差し入れですの?」
「ああ、昨日、お前さんの派遣会社の上司の……ええと、
「ああ、
ベッドのサイドテーブルにはとげぬき地蔵のお守りが置いてありました。そうでしたか
「そうか、その
「あら、よく覚えてましたね。さあ、剥けましたよ。それから明日から新しい派遣先に行きますから、またお見舞いが不定期になりますわ」
「そうか、済まないな、いつも」
「何言ってるのですか、早く治してくださいよ」
私はリンゴを差し出しながら、人の縁というのは不思議なものだとしみじみ感じておりました。
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