写真の記憶と感情
佐武ろく
写真の記憶と感情
写真というのは
ファインダー越しの世界だけじゃなく
記憶と感情も写してくれる。
by.写野 真
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ゆっくりと瞼を上げ目を覚ました僕の前には見知らぬ天井が広がっていた。『どこだろう?』そう思っていると頭に痛みが走る。
「つっ!」
反射的に右手を頭に伸ばす。すると視界の端に管が繋がれた右腕が映り手を止めた。両腕を目の前に持ってきながら起き上がると病衣を着ていて腕につけられた管の先には点滴。そして心電図モニタからも線が伸びていた。一体どうしてこんなことになっているのか。何が何だか分からい状況に少し戸惑っていると、
「ゆう..君?」
僕は声のした方を見た。そこには入り口の前に立った女性。髪の短い愛らしい女性。
「よかった!目が覚めたんだ!」
目に涙を浮かべながら女性は僕の方へ駆け寄るとそれが当たり前であるかのように抱き付いてきた。そして「よかった。よかった」と何度も安堵の声を漏らす。ドラマなどで言うならば感動的なシーンだろうが僕にはひとつ疑問があった。
『この人は誰?』
目覚めた時は戸惑ったけどよく見ればここがどこだかは大体察しが付く。多分病院だろう。ということは僕は事故か怪我かなんかして運ばれたのかもしれない。記憶はないけど事故の衝撃で事故を忘れるっていうのは聞いたことがあるし全然納得できる。だけど、この人のことは全然分からない。初対面のはずだけど僕の名前を、僕を知っているようだ。誰なんだろう?だけどなぜかホッとする。僕がそんなことを考えているとそれがこの女性に伝わったのか僕から離れると心配そうな表情を浮かべた。
「どうしたの?大丈夫?」
「え?あっ。はい」
「なんでそんなよそよそしいのよ」
少し迷ったけど僕は意を決して正直に言うことにした。
「あのー。本当に申し訳ないですけど...。あなたが誰か分からないんです」
「え?」
それは今にも消えそうな声だった。そして病室を支配する沈黙がひどく心苦しい。僕を見ながら離れる女性のその目はまだ潤んでいた。それが嬉しさのものなのか悲しさのものなのかは今の僕には分からない。女性は何も言わず、もしかしかたらショックで何も言えなかったのかもしれないけど無言のままただ僕を見て病室を出て行った。
「はぁー」
思わずため息が零れ頭を抱える。あの女性と僕がどういう関係なのかは知らないし、仕方ないとはいえ申し訳ない気持ちでいっぱいだった。そしてしばらく頭を抱えていると看護師さんと白衣を着た先生が病室に入ってきた。
「藤井さん。お目覚めのようですね。良かったです」
爽やかな雰囲気の先生はクリップボードを片手で持ちながら笑みを浮かべていた。
「具合の方はいかがでしょうか?」
「起きた時に一瞬だけ頭痛があったんですが今は大丈夫です。だけど、どうしてここにいるか分からないんです」
先生は顔色を少し変えた。
「ご自身のお名前は言えますか?」
「はい。藤井裕太です」
「ご年齢は?」
「27歳」
「生年月日は?」
「1993年1月12日」
「幼い時の事などは覚えていますか?」
「はい。小中高も大学時代も覚えてます。だけど大学を卒業した辺りから思い出せないというか...」
先生はクリップボードに何かを書きこんでいた。
「藤井さんは2日前に交通事故にあいましてここへ運ばれてきました。恐らくその際の衝撃で記憶に問題が起きていると思われます」
「時間が経てば思い出せるんですか?」
「今の段階では何とも言えません」
「そうですか」
「申し訳ありません」
先生は頭を下げた。
「いえ。あの、退院はいつ頃になるんですか?」
「念の為に検査をして問題なければあと数日程で退院となります」
「分かりました」
「では何かありましたらナースコールでお知らせください」
「はい。ありがとうございます」
最後に一礼をした先生と看護師さんは病室を出て行った。まさか自分が事故にあうとは思っていなかったし、ましてや記憶喪失になるなんて思ってもみなかった。だけど不思議と落ち着いていた。そして僕は何となく窓の外に目をやる。そこにはまだ花開かぬ桜の木が病室を覗いていた。薄桃色の子どもの笑みのように可愛らしくも綺麗で見る者を魅了する桜の花が咲いていない桜の木。その花が咲いている間は皆に見上げられるが彼女がいなければ誰も見向きもしない。だけど窓の外にある茶色の木は誰かに見てもらえずとも堂々と生えていた。僕は直感的にこの光景を写真に収めたいと思った。
高校の時に始めた写真。最初は家族や家にある物、近所の公園や河川敷なんかを撮っていたけどいつしかカメラを首から提げ色々な場所に行くようになった。ほんの一瞬の出来事だったはずの瞬間を時を止めたみたいに残せる。写真のそういうとこが好きだしそういう瞬間を撮れたときは嬉しい。だから目の前の哀愁漂うけど力強い桜の木を撮れなかったことを少し悔やんだ。そんなことを思いながら僕が窓の外を眺めていると病室のドアが開く音が聞こえた。
自然と視線はドアへ向く。そこに立っていたのは先程の女性だった。女性は少しムスッとしたようにも見える表情のままベッドの傍にある椅子に腰かけた。そして僕をじっと見ている。それに対抗するってわけじゃないけど僕も女性を見ていた。なぜだか女性が話始めるのを待たないといけない。そう思った。30秒から1分ほど沈黙が続いた。僕の感覚ではそれ以上に感じられたけど。
「私が...」
かろうじて聞き取れる声。
「私が誰か分からないの?」
今度はハッキリと聞こえた。
「ごめんなさい」
僕は首を横に振りながら答えた。
「名前も?」
繰り返し首を横に振る。僕の反応を見た女性は俯いてしまった。だけど俯いていたのはほんの数秒ですぐに顔が上がる。
「私の名前は、西城夏希。私はあなたの...」
夏希さんはそこで一度言葉を止める。最初とそして今の彼女の反応を見ていると僕との関係性が予想できた。もしそうなら僕は彼女にとてもヒドイことをしている。
「私はあなたの彼女なんだけど...」
『なんで覚えてないの?』そう言いたかったのだろうか。だけど彼女の声はそこに辿り着く前に静かに消える。そして僕の予想は当たっていた。予想が事実に変わり頭はついてきていたけど心は置いてけぼり。本当に申し訳ない。その気持ちが一杯で謝りたかったけど何て謝っていいか分からなかった。そのせいもありお互い黙り込み、沈黙が辺りを散歩し始める。
「でも仕方ないよね。事故にあったのはゆう君のせいじゃないし」
笑みを見せ明るく彼女はそう言った。恐らくだけど無理をして明るく振舞ったのだと思う。僕に気を使ってくれたのだろうか。
「ありがとう。君のことは頑張って思い出すよ」
今の僕にとってはあまり面識のない彼女だけど敬語を使うのは気が引けたためぎこちなく感じたが友達と話すような口調にした。
「思い出さなかったら許さないからね」
夏希さんは冗談っぽくそう言った。今彼女はどんな気持ちなんだろうか。それを知ることはできないけれどせめて今は彼女に合わせて僕も少しでも明るく振舞おう。
それから退院までの数日間、夏希さんは毎日来てくれた。来る時間といる時間は決まってはなかったが欠かすことなく毎日。彼女と共有できる想い出は僕には無いが彼女の事や想い出話を聞いていると時折、夏希さんの事をどうしようもなく愛おしく感じた。その都度、僕は西城夏希という女性のことが好きだったんだなと思った。彼女の事を愛おしく感じたのはきっと、小説風に言うならば記憶として忘れてしまったが心は覚えていたからなのかもしれない。そして退院当日。夏希さんは仕事が休みだということで病院まで迎えに来てくれた。助手席に乗ると彼女はいつもの太陽のように心を温めてくれる笑顔を見せる。
「まずは退院おめでとう。本当にゆう君が無事でよかったよ」
「ありがとう。迷惑かけてごめんね」
「迷惑だなんて。君が無事だっただけで十分だよ」
今の僕にできることは彼女のことを一刻も早く思い出しすこと。そして謝るんじゃなくて楽しませてあげることだということに夏希さんの返事で気が付いた。
「あぁーあ。こんなにいい彼女のことを忘れるなんて僕もツイてないね」
「ほんとだよ~。それじゃ、いこっか」
実は先日こんな約束をしていた。
###
「いよいよ明日退院だね」
「何もなくてよかった」
「ほんと。よかった。――あっ!そうだ。私、明日仕事休みだから迎えに来てあげるよ」
正直言えば少し申し訳ない気がしたけど断る方が申し訳なく思えた。
「ありがとう」
「何か食べたい物とかある?」
「んー。特にないかなぁ」
「あっ!じゃあさ。ここ行かない?」
そう言って夏希さんが取り出したのは1枚の写真。場所は違うが楽しそうな僕と夏希さんが写っている。
「これは初デートの最後に行った場所」
写真の中では綺麗な夜景をバックに僕と夏希さんが幸せそうに楽しそうに笑っている。
「もしかしたら何か思い出すかもしれないかなって思って」
「そうだね。じゃあ、よろしくお願いします」
僕はベッドに座りながら軽く頭を下げる。
「任せなさい」
夏希さんは胸を張り答えた。
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音楽が流れた車内で僕は運転する夏希さんを見ていた。可愛く化粧をしておしゃれをした彼女が音楽に微かだが首を揺らしながらハンドルを握り運転している姿は絵になる。すると視線を感じたのか夏希さんは一瞬だけこちらを見た。
「え?なに?」
「いや、絵になるなって思って」
「そう?なんだか照れるな」
夏希さんは少し恥ずかしそうに笑う。その顔はとても可愛くシャッターを切りたくなった。
「そうだ。やっぱり時間帯とかも合わせた方がいいと思うから夜までどこかで時間潰そっか。お腹空いてる?」
「少し」
「じゃあどこかで軽く食べようか」
そして僕らが入ったのはファーストフード店。ハンバーガー1つずつとポテトLサイズを2人で分けて食べた。それからまだまだ時間のあまっていた僕らは映画を見て買い物を楽しんだ。彼女にとってはそうなのかもしれないが、まるでデートみたいで僕も楽しかったし何より夏希さんの隣は不思議と落ち着く。それは頭と心が別々に動いているようで少し変な感じだった。そして日も暮れた頃、僕らは写真の場所に行く前に夕食を済ませることにした。個室でゆっくりと食べる料理はとても美味しかったが、それは最近まで病院食を食べていたという以外にも理由はありそうだ。そんなことを考えながら僕は料理を口に運ぶ夏希さんを見た。とても美味しそうに食べている。それからも話をしながら料理を食べ最後はデザートが僕らの前に並んでいた。
「どう?色々行ったけど何か思い出せた?」
僕は正直に首を横に振った。
「でもとっても楽しかったよ。ありがとう」
「私も楽しかった。だけどメインデッシュはこれからだよ」
そして食事を終えた僕らは初デートで行ったという場所へ向かった。道中、車内で僕はあることを考えていた。それはもし何も思い出せなかったとしたらその時は、彼女にプロポーズしようという計画。今日1日、いや、目覚めてからこの瞬間まで夏希さんと過ごして彼女のことが好きになっていた。多分だけど思い出したとは違う。再び彼女の魅力に恋をしたんだと思う。小説にするならタイトルはこうだ。『僕は君に2度目の恋をした』。んー、プロならもっといいタイトルを思いつきそう。まぁそんなことは置いておいて、僕は過去の記憶を思い出せなくてもこれからの未来を夏希さんと過ごしたい。僕がそんなことを考えているうちに車は目的の場所に着いたらしく停車した。車を降りると彼女の案内で少し丘のような場所を上る。
「もう少しだよ」
彼女のその言葉から少し歩いたところで丘の上に辿り着いた。僕の目の前に広がったのは絶景。まるで競い合うように地上の星と夜空の星が輝いている。そしてその思わず言葉を発することも忘れるほど魅入った景色は目から入り込み僕の記憶を刺激した。気がした。僕はなぜかそうすべきだと思って夏希さんが持ってきた写真を取り出す。そして少しずつ下がりながら写真を撮ったであろう場所を探した。1歩ずつ下がり写真の位置を変えながら。そして写真が景色と同化する位置を見つけると僕は足を止めた。
その時...。不思議なことが起きた。
まるで第三者としてその光景を見ているようにあの日の僕と彼女、夏希の会話を思い出した。だけど自分の気持ちはテレパシーで通じているようにしっかりと理解できる。
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「カメラで自撮りって新鮮」
「僕も自撮りは初めてかな」
「じゃあこれからは沢山撮ろうね!」
「桜とか紅葉とか海とか。観光地とかをバックにした夏希かぁ」
僕は想像だけですでにその絵になっていたその光景を撮るのが楽しみでしかたなかった。
「え?私ひとりで写るの?やだよ。2人で写ろーよ。じゃないと思い出にならないじゃない」
「それはそれで誰かに撮ってもらってさ。僕用っていうか写す側としても楽しみたいじゃん」
「まぁ、それならいいけどさ」
「それじゃあ早速、今度休み合わせてどこか行こうか。どこか行きたいとこある?」
「んー。どこがいいかなぁ」
夏希が考えている間に僕も候補を探していた。
「この時期だと温泉とかもいいよね」
「いいね。僕は露天風呂付きの部屋がいいな。大浴場って苦手だし」
「それなら好きな時に何回でも入れるからね。それに混浴もできるし」
夏希は少し悪そうな笑みを浮かべた。
「恥ずかしくない?」
「それゆう君が言う?」
「たしかに。でも銀世界をバックにして檜風呂に入っている夏希とかすごいいい絵になりそうじゃない?」
「え ~ 、それはさすがに恥ずかしいからダメ」
「だよね。りょーかい」
....
###
結局、仕事の関係でお互い休みを合わせられなくて旅行とはいかなくて食事になったけど夏希と一緒ならそれでよかった。それから芋づる式に記憶が蘇ってくる。まるで記憶のダイジェストを見せられているように次々と思い出した。
「どうしたの?」
僕が何も言わず写真を片手に固まっていたからか夏希は少し心配そうに声をかけてきた。
「確かあの日も、僕が事故にあった日も夕食食べてこの場所に来る予定だったよね」
「え...?」
突然な僕の発言に夏希は数秒間固まった。
「うそ!!思い出したの!?全部!?ほんとに!?」
その声は興奮気味。
「うん。思い出したよ。温泉や京都なんかに行った事も熱の出た僕を看病してくれた夏希が今度は熱出して次は僕が看病したこととかもあと、飲み物や食べ物買い込んで一日中映画やドラマ鑑賞したことも。あとは...」
僕の続きの言葉を待たずに夏希は抱き付いて来た。そんな彼女を僕は両腕で包み込む。
「良かった!本当に良かった!」
「これでまた想い出を語り合えるね」
「やっぱり2人が覚えててこその想い出だもんね。私ひとりだけだとやっぱり寂しいな」
「僕を見捨てないでいてくれてありがとう」
「そんなことするわけないじゃん。もしこのまま思い出せなくてもまた新しい想い出を2人でつくればいいだけだし」
「本当にありがとう。――ねぇ。あの日ここに誘ったの僕って覚えてる?」
そうあの日、事故にあった日この場所へ誘ったのは僕だ。その理由ももちろん思い出した。言いたいことがあったから。そして夏希は僕に腕を回しながら少し離れた。
「もちろん。ゆう君が忘れてる間も覚えてたよ」
少し意地悪っぽく答える夏希。
「君に言いたいことがあったんだよね」
「なに?」
僕はテンポを速める心臓を少しでも落ち着かそうと一度深呼吸をし、夏希から1歩離れる。そしてゆっくりと夏希の顔を見ながらしゃがみ片膝を着いた。彼女の少し冷たい左手を手に取り不思議そうにしている顔を見上げる。
「夏希。僕と結婚してくれませんか?指輪は今は持ってないけど。僕と結婚してほしい」
これは今言わないとダメだと思った。いや、ダメというよりこのタイミングで言いたいって思った。彼女が良い。心の底から、前より一層深くそう思っていた。
「えっ?」
夏希は驚きを漏らし思わず僕が手に取っていな方の手で口を覆う。大きく見開いた目は潤い次第に涙が溢れ出した。月明りに照らされた涙は僕があの日彼女に渡そうとした指輪より輝きを放ちながら頬を落ちる。そんな夏希を見上げ僕は黙って答えを待った。
「よ、よろしくお願いします」
涙に震えた声。その言葉に緊張が一気に晴れ安堵と喜びが僕を満たす。自分でも分かるほどニヤけた顔のまま立ち上がると抑えきれない気持ちと共に夏希を抱きしめた。
「愛してる」
「私も愛してるよ」
きっと、結局はどれほど飾り付けた言葉よりもシンプルなこの言葉が僕の気持ちを一番表してくれるのだと思う。そしてまるで愛を伝え合うように強く抱きしめあった僕らは回した手は離さず互いの顔が見えるほどに離れた。
「指輪なんだけどさ。家にあるんだよね。本当は一緒に渡したかったんだけど今すぐ言いたくて。ごめんね」
「ううん、大丈夫。ありがとう。でも指輪かぁ。ゆう君のセンスが問われるね」
「シンプルでいいと思うから大丈夫。だと思う。多分。いやもしかしたらもっといいのが...」
悩んだ末に買ったのだがいざ渡すとなれば少し不安が顔を出した。
「うそうそ。どんな指輪でも嬉しいしきっと素敵だよ」
「気に入ってくれると嬉しい」
「楽しみ」
そして僕と夏希はキ...。ま、まぁ車内で計画していたプロポーズじゃなくて一段階先のプロポーズだったけど大成功してよかった。唯一残念なことと言えば今手元にカメラがないことだ。でも科学とは素晴らしいものでスマホを使っていい想い出を記録しておこうと思う。これから先も夏希や色んな景色、いつか生まれるであろう子ども達を写せるって考えたら楽しみでしょうがない。
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