歓待の宴
零夜とキヤの武勇譚は、アランジャの子供たちの手によって大小様々な尾ひれを付け加えられながら、あっという間に集落中を駆け巡った。夕方に幕家を訪れ、畏まって礼を述べていった男たちも、今度は無礼講といった陽気な調子で再び幕家を訪れる。皆、料理の皿や果物や酒を片手に来てはそのまま居座るので、幕家の中はちょっとした宴会のように賑わっていた。
「ノワケが人を襲うなんて驚いたよ。よく助けてくれたなあ!」
顎髭をたたえた男が言う。零夜がこの世界に放り出された夜、馬上から警戒の目と鋭い矢じりを零夜に向けていた男、トモルだ。トモルは笑い声もくしゃみも豪快な男で、ニシュと呼ばれる酒をよく勧めた。動物の乳から作られたそれを、彼らは水のように飲む。
キヤは勧められるままに杯を傾けているが、零夜はやんわりと断り、代わりとばかりに燻製肉をつまんだ。白い肉は柔らかく、噛むと塩と煙の薫りが口いっぱいに広がり、とても美味い。トモルは酒を断られたことに別段気を悪くした様子もなく、「これも食べてみろ」と別の皿を零夜の前に置いた。
「あの夜、あんたたちを追い払わなくてよかったよ」
トモルは酒に顔を赤らめながら、まるで遠い昔を思い返すように言う。
「あん時ゃ悪かったな。よそから来る人間は、なるべく歓迎したいというのが本音なんだが、最近は事情が違ってな。ほら、ゼーゲンガルトの役人連中だと、面倒だろう」
「その……ゼーゲンガルトって国とは、仲が悪いんですか?」
零夜が尋ねると、トモルは面食らった顔をしたあとで「そうか、記憶がないんだっけか」と顎髭を撫でつける。
「しかし記憶がないってなると、もしかしたらゼーゲンガルト人かもしれないわけだ」
咄嗟に「違います」と返してしまい、零夜は慌てて「たぶん」と付け加えた。「たぶん、違うと思います」と、もう一度言うと、「そうだな」とキヤが同調する。
「レイヤは名前も顔立ちも、ゼーゲンガルト人っぽくはないよな。あいつらはもっと色素が薄いというか、金やら銀やらの髪が多いだろ。それで、毛先だけ色が違ったりだとか、なあ」
キヤが、一つに結わえた髪の先を、指に巻きつける。確かにそうだ、と幕家のあちこちから同意の声が上がった。前に見たゼーゲンガルトの役人は、金髪に赤い色が入っていたとか、淡い桃色の髪をしたのもいたとか、口々に言う彼らは、比較的色素の濃い髪をしている。
それで、何の話だっけ。とキヤが言うまで、しばらく目や髪の色の話題が場を賑わせた。
この世界では、零夜にとって奇抜とも思える髪色が自然に存在するのだということは、ティエラの青い髪を見た時点で薄々分かっていた。よって、髪の色の話題から離れて本題に戻れるのは、零夜にとって嬉しい限りだった。
「何の話だったか。ああそうだ、俺たちとゼーゲンガルトの仲が悪いとかなんとか、だったか」
トモルがようやく本筋を思い出したため、零夜は頬張っていた炒り飯を慌てて飲み込んで、「そうです」と話の続きを促す。
「仲が悪い……といやあ、そうだな。とはいえ、ここら一帯もゼーゲンガルト領さ。俺たちも一応は、偉大なる神の国ゼーゲンガルト公国の民ってわけだ」
苦々しげにトモルが言うと、隅でこちらの話を聞いていたらしい男性たちから「しっかり税も取り立てられるしな!」と自虐的な野次が飛ぶ。
「ゼーゲンガルトは神都を中心に、周辺の小国や少数民族を取り込んで大きくなった国だ」
よく分かっていない顔の零夜に、キヤが助け舟を出した。
「要するにゼーゲンガルトは、大抵どことも仲が悪い」
大国は得てして敵を作りがちである。元いた世界のいくつかの国を思い出しながら、零夜は頷いた。話を要約するに、ゼーゲンガルトという国は宗教国家であり侵略国家であり、名目ばかりの多民族国家であるらしい。
零夜にとって物珍しいのは、その「宗教」だった。彼らアランジャ族とゼーゲンガルト、そしてほか多くの国家や民族は、皆同じく「青き女神」を信仰の対象としている。
強いミトラを崇めるミトラ信仰や、中には邪教と呼ばれる、死の女神を崇める信仰などもあるにはあるらしい。だが何を崇めているにしても、この世界の全てを創造したのは「青き女神」ただ一柱なのだという、共通の神話を持っているのだった。
「その……青き女神様って、実在するの?」
「そりゃそうだろ、神様なんだから」
平然と、キヤは答えた。当たり前だろとでも言いたげな様子に、零夜はいささかたじろいでしまう。
日本の典型的な無宗教家庭に生まれ育った零夜にも、人間の心の中にある神ならば、概念としては理解できる。それは信仰の拠り所であり、ひとつの芯である。神の概念を中心に道徳や信念が構築され、宗教は宗教として意味を持つ。神とは、そういう――抽象的な存在。
しかしこの世界では、神は実体あるものとして認識されている。イマジアという不思議な力が実際にあり、それが女神に
戸惑いつつも噛み砕こうと思案していた零夜だったが、キヤから説明された事実――女神は、少女の身体を
(女神が女の子に憑依している、というていなのか)
生きた人間の身体に神を降ろし、その言葉を代弁するといった行為は、元の世界でも耳にしたことがある。実体ある神がおわしますと言われるより、ずっと理解がしやすかった。一人の少女を神の象徴と祀り上げることにより、神を実在せしめているのだろう。
「ええと、じゃあゼーゲンガルトの神都には、女神様が取り憑いている女の子がいて、その人が一番偉い?」
「そりゃ女神様だからな。偉い……というか、逆らいようがないさ。神様なんだから」
零夜とキヤたちの認識には、いまだ致命的とも言えるほどの齟齬があるようだった。
「というかお前、もしかして星生み神話を知らないのか?」
顔をしかめたキヤに、零夜が申し訳なく頷いてみせると、宴の席はまたもざわついた。「忘れてるだけ、忘れてるだけだから」という自己弁護も、もはや慣れたものだ。
「忘れてるだけといってもな、子供らから聞いたが、祝福の呪文も忘れてるんだって?」
またしても、心からの憐れみの目を向けられる。世界で最も尊いものをうっかりなくしてしまった、憐れで愚かな青年。そういったふうに見られているらしかった。見当外れな同情が、諸事情を隠している零夜の良心を、ちくちくと突いていく。
場の同情を一身に受け居心地が悪そうにしている零夜に、『星生み神話』を聞けば何か思い出すかもしれないぞ、と提案したのはトモルだった。しかし彼は、語りは辞退する。「俺が話すと、どうもとっ散らかるんだ」というのが彼の言い分で、結局キヤが語り手に抜擢された。
キヤは「ちょっと待てよ」と黙り込み、どうやら頭の中で神話の要点を整理しているようだった。やがてある程度まとまったのか、キヤは
「『星生み神話』ってのは、この世の成り立ちを伝える話だ。いいか、この世界は二柱の女神が創造したとされてる……」
世界の始めに、二柱の女神が存在した。生の女神メシエ・トリドゥーヴァと、死の女神ギーヴェリである。
二柱の女神は瓜二つの容姿であったが、ただひとつ、瞳の色だけが異なっていた。メシエ・トリドゥーヴァは深い青色、ギーヴェリは深い緑色の目を持っていた。
彼女らは永い永い時を互いに支え合い暮らしていたが、生の女神メシエ・トリドゥーヴァは二人きりの世界を寂しいと感じ、寂しさを紛らわせるため生命を創り出した。
生の女神が流した涙は深い海となり、世界はたちまち、海から生まれた生命で溢れかえった。
生み出された生命の中でも、最も女神に近い姿と知性を持つものが、ヒトとミトラだった。両者は手を取り合い地上に
死の女神ギーヴェリは、これを見て激怒した。生命の存在しない静寂こそが、彼女の求める安寧だったためである。
ギーヴェリは、生命たちを殺し尽くしてしまおうと考えた。彼女は世界に老いと死の呪いを振り撒き、永遠を謳歌していた生命たちは、時と共に老い、死ぬようになった。世界は再び死で満たされた。
メシエ・トリドゥーヴァはこれを是とせず、ギーヴェリが千の命を滅ぼせば、千五百の命を生んだ。そうして生命は、生と死を繰り返すようになった。
ある時、死の女神ギーヴェリはヒトとミトラの元を訪れ、こう囁いた。
「私に忠誠を誓い、私のために戦うのならば、お前たちから死の呪いを祓ってやろう」
ヒトはその誘いを跳ね除けたが、ミトラは甘言に惑わされた。死のない永遠の生を手に入れんとしたミトラたちは、生の女神メシエ・トリドゥーヴァに反旗を翻した。
生と死の抗争、創世戦争は千年続いた。ヒトは母なる女神を決して裏切らず、女神に与えられたイマジアという神秘の力を駆使し、勇敢に戦った。
やがて戦いが終わる時が来た。敗れた死の女神は、冷たい海深くに封印され、ミトラは裏切りの罰として、女神に似た姿と知性を奪われた。
そうしてミトラは肉体の定まらない惨めな生命と成り果て、ヒトは今なお女神の慈愛を受け、地に満ちている。
「……というのが、星生み神話だ。何か質問は?」
「えーと」
零夜は星生み神話のあらすじをまとめて復唱する。
対立する二柱の女神。青き女神が生をつかさどり、緑の女神は死をつかさどる。生の女神から授けられた力がイマジアであり、ミトラは生の女神を裏切ったゆえに姿と知性を奪われた。
「ってことで合ってる?」
合ってる合ってる、とキヤたちは手を叩いて零夜を褒めちぎる。かなり酒が進んでいるらしい。零夜は照れ臭そうにはにかんで、忘れないようにもう一度、頭の中であらすじを反芻した。
青い女神と緑の女神。それぞれの配下たる、人間とミトラ。
「あ、そうか」
喧騒の中、零夜は呟いた。
「だからミトラは、人間を食べようとするのかな」
零夜の呟きを拾ったトモルが、飲みかけのニシュの入った杯を床に置いた。
「だからってのは?」
「俺を襲ったミトラも、今日のミトラも、人間を食べたいって言ってたから。人間とミトラは対立する生き物だからなのかな、と思って」
「ミトラが言ってたァ?」
トモルの、不必要に大きくよく通る笑い声が、幕家の中に響き渡った。何事かと、何人かは零夜とトモルに注目する。
「言ってたって、ミトラの言葉が分かるわけじゃあるまいし、なあ」
「えっ」
トモルは「ですよね」という反応を期待していたのだろう。思いがけずきょとんと見つめ返されて、彼も零夜と同じ表情になる。
「だってミトラって、喋りますよね?」
「喋りはするが……何て言ってるか、意味までは分かるわけないだろう」
なるほどそういう感じなのかと、
「
今さら「いいえ勘違いでした」とは言い逃れられない空気に観念し、零夜は正直に頷いた。
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