君を刻む

──23:10 駅前

 例に漏れず恋人もいない。自宅でテレビを見るのも嫌で、ただアパートを飛び出してきた。……のだと、思う。ちょっと、よく覚えていない。


 ──23:20 カフェ

 寒かったので、店に入った。昔ここに来た気がするけれど、これもよく覚えていない。


 ──23:30 商店街

 人が増えてきて、店を出た。別段する事も無いのだから、大人しく帰ればいいのに。そう思いつつ、やはり寒いな、と思った。


 ──23:40 デパートロビー

 デパートに入った。あまり暖かくはない。クリスマスツリーが目に入ったけれど無性に腹が立って、結局寒空に舞い戻った。


 ──23:50 公園

 ……雪が降ってきた。とりあえずベンチに座ってみる。無意識に一人分だけ席を空けていて、詰めようかとも思ったけれど、やめた。


 今日は疲れた。……嫌な疲れ方だ。


 雨は嫌いだ。


 例えば視界が悪くなる。例えば隣の誰かのために、道路の近くを歩きたくなる。傘が当たってしまわぬように、雫が垂れてしまわぬように、名残惜しそうに少し離れて歩いてみたくなる。


 その結果──誰かが消えてしまったり。


「雪かぁ……一緒に見たかったなぁ」


 恋人では、ないけれど。共にいて、とても心地が良かった。


「会いたいなぁ」


 雪はまだ、嫌いじゃない。



〇 〇 〇



 ――こんばんは。


 そんな言葉をかけてはみたものの、聞こえるはずなんて無かった。だって、僕が願った奇跡は、「会いたい」というただそれだけ。

 それすらも許されない遠い場所に僕はいた。彼女の声さえも届かない、深い場所。


 いざ話をしようと思えば、しん、と沈黙が降りるように――僕は、彼女に会いたくはなかったのだ。


 雨の夜道は危険だ。

 例えば視界が悪くなり、車のハンドル操作をあやまったり。例えば傘の距離のために、少し遠くを歩いていて、反応が遅れてしまったり。


 そんな偶然の結果――誰かと離れてしまったり。


 ――君に、クリスマスプレゼントをあげたいんだ。


 指輪はまだ、買えなかったけれど。

 その代わりに、君が眺めていた時計を、こっそり包んでおいたんだ。


 単なるプレゼントのはずだったのに、僕の贖罪のための道具になってしまった。

 それでも、やる事は変わらない。


 あの日から、己を責め続ける君へ――僕なりの、贖いを。



〇 〇 〇



 もしもあの日、道路側を自分が歩いていたら。

 もしもあの日、二人で一つの傘を使っていたら。

 もしもあの日、寄り道なんてしなければ。

 もしもあの日、私が注意深かったなら。


 ――もしもあの日、私がいなければ。


 ずっとずっと、謝りたかった。けれど、誰に対しても謝ったりなんかしなかった。誰も私は悪くないと言った。皆が口を揃えてそう言った。

 だから、私は悪くない。きっと、悪くなかったのだ。ただ――不運が、重なっただけで。


「……」


 はぁ、と小さく息が漏れた。これは溜息なんかじゃない。

 疲れた風船から空気が漏れてしまうような、そんな、ちょっとした事故に過ぎない。


「……、……」


 喧騒が遠い。公園のベンチの屋根の上には、若干の雪が積もっている。

 今年は暖かくて、つい先日が初雪だった。一度雪が降ってしまうと、気分の問題か、急激に寒さが増したように感じた。


 ――この屋根も、誰かを雨から……私の大嫌いな雨から、守ろうとしたのだろうか。


「……」


 沈黙が、苦しかった。寂しさも悲しさも何もない、単なる孤独。

 もう少しで、鐘が鳴る。そんな時に、ふと思ったのだ。


「クリスマスプレゼントを、あげたかった」



 〇 〇 〇



 残された時間は、あまりにも短かった。愛していると伝えるには長すぎる。けれど、励ますには短すぎる。

 あぁでも、本当に愛しているならば、言う事なんて――やる事なんて、始めから決まっている。


 他の人の愛がどんなものかは分からない。けれど僕は、君には――幸せでいて欲しい。

 ずっと昔からそうだった。あの日だってそうだった。ただ幸せに生きてほしくて、そんなエゴのために、君の前に飛び出した。


 もしもあの日、道路側を君が歩いていたら。

 もしもあの日、君が傘を持っていなければ。

 もしもあの日、時計なんて見なければ。

 もしもあの日、君が警戒していたなら。


 ――もしもあの日、君がいなければ。


「君がいなければ、僕は――」


 生きていた、のだろうか。

 君が、いない世界で。



〇 〇 〇



 それはきっと、鐘の音だった。


『……僕は君を、許さない。だから――』


 その鐘の音は、この夜にだけ、優しくて。

 聖夜にだけ、あまりにも優しくて。


『――メリークリスマス。君は自分を許してあげて』


 だから、涙が出ただけだ。


 あなたと過ごしたかった今日という日に、あなたが隣にいない事。

 あなたと過ごした日々が、とても暖かかった事。

 あなたと出会えた事を、きっと喜んでも良いのだと、分かった事。


 だから、一人分だけ空いたベンチにポツンと置かれた動かない腕時計は、サンタさんからの贈り物。

 あの声も、鐘の音だった。

 この涙は、雨だった。



〇 〇 〇



「良いんですか? あなたの願いの神髄は、そこじゃないでしょう?」

『うん、良いんだ』

「そうですか」

『じゃあ、行こうか』

「それ、私セリフです。……行きましょう」




 ――雨は、嫌いじゃない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君を刻む Amaryllis @785906

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る