第15話 対峙

 音無は街の様子に違和感を抱いていた。ルーチェの放つ風を追ってきたのだが、在る地点からそれが曖昧になる。そしていつの間にか通りすぎて、背後に彼女を感じた。慎重に道を戻っても同じ現象が起きた。


 路地裏ではこんなことはなかった。


 おかしくなったのは、あまり人気のない道に出てからだ。


 これもルーチェの仕業なのかと疑い始めるが、しかし彼女が《欠片の力》の対策をしているというのなら、音無の追跡から逃れようとするのなら、気配をここまで残しておくのは不自然だ。


 それに彼女が対策すべきは音無だけではない。


 つまりルーチェの仕業ではないのだ。別の誰かがなにかをしている。


 急がば回れと言うことわざに倣って、音無は慎重に道を進む。異変に気付ける地点を知らなければならない。なぜだかそれをわかっているのに、気付くとその地点から離れていた。


 ここだ、と音無は足を止めた。なんの変哲もないただの道の途中。だがたしかにこの地点からルーチェの風が曖昧になっている。


 何度もこのあと起きたことを思い出す。どう行動し、どう思考していたのかを。同じことを繰り返す時間はない。


 ルーチェを追い、もう少しで辿り着けると思ったのは間違いない。問題はそこからだ。そう意識したあと、なぜだか通り過ぎているのだ。背後に彼女を感じる。


 その二つの地点の間にあるのは曲がり角だ。そう、ここまでは憶えている。だからこれ以上その先のことを考えると、また曲がることなく通り過ぎてしまう。


 曲がり角までは意識できる。


 もう一度だけ同じ過ちを繰り返すことにする。それでこの謎の現象に終止符を着けることができる。


 ここに曲がり角がある。まだ大丈夫。


 その先にルーチェがいる。まだ大丈夫。


 この先には――。


 やはり、と音無は振り返った。左にあった道が、右にある。また通り過ぎてしまっていた。しかしもうその仕組みは理解した。


 道の先にある場所を意識できないのだ。曖昧になっているのはルーチェの風ではなく、その場所に対する意識。本能的に拒絶しているのか、そもそも道として認識できなくなっているのかは不明だ。


「どんな方法か知らないけど、よくできてるわね」


 この街の地形を把握しているほど、その場所に辿り着けなくなる。人間というのは記憶を頼りに行動する。この先はこういうふうになっている、だから注意しなければない、などと先を意識する。


 この危険予測、空間把握が音無の行く手を阻んでいた。ルーチェを追跡しようやく辿り着いたと感じたとき、同時に彼女がいる場所を意識する。そのために通り過ぎてしまう。


 要は場所を意識しなければいい。この街に初めて訪れた――それこそルーチェのようになれば、この現象から逃れられる。


 無意識を意識する。


 音無は《欠片の力》を使う。ルーチェと出会って、ただ風を操るだけではなく、風の色を見ることができるようになっていた。感情の乗った風には色がつく。今のルーチェの風は彼女の瞳の色と同じ紫色である。


 あとはこの風を追っていくだけだ。


 感じていくだけだ。


 瞼を閉じて、風を辿る。どこで曲がればいいのかも風が教えてくれる。


 曲がってしばらくすると、その直前とは違う空気の壁に行き遭った。矛盾した表現になるが、冷たい生温かさだ。心は冷えるが、身体はその生温かさを感じる。おそらくはこれが境界だと音無は察した。現象の境目はここだ。


 内側に入ると、ルーチェの風を強く感じた。


 瞼を開く。


「なにこれ……」


 そこは広場だった。敷地の縁に植樹されているだけの簡易的な場所だ。何度か訪れたことがあるだけに見覚えはある。


 見覚えがあるのは場所だけではない。人物もまたそうだ。全部で五人。知っているのは二人、知らないのが二人、そして知っている者と同じ顔をした者が一人。


「ルーチェと、同じ顔……」


 顔どころか放つ風も酷似している。紫色の激情を込めた風が彼女たちを中心に吹き荒れていた。双子と見て間違いないだろう。そういえば、と音無は思い出す。彼女の言葉の節々で他の誰かがいることを示唆していた。


 ルーチェは眼鏡をかけた女と黒いコートの人物を相手に戦っている。彼女は身体を変異させ二人相手に善戦しているが、やや防戦気味になっていた。動きからして黒いコートの人物も眼鏡の女も相当な手練れである。


 そしてもう一人の白い少女と戦っているのは、あの月宮湊だ。都市警察を相手に攻撃をすることなくただ逃げ回ることしかしなかった彼がナイフを片手に戦っている。こちらは明らかに月宮が押している。いったい何本のナイフを持っているのか、白い少女の身体には見えるだけでも五本は刺さっている。


 ふと、月宮の目がこちらに向かれた。視線で気付いたのだろう。しかし一瞥をしただけで彼はまたルーチェに似た少女に目を向ける。


 不規則に変化をする能力を前に、月宮はけして退かない。確実に一撃を入れるための回避を続けている。


 そして気付けば、その手には銀色の剣が握られた。


 彼はそれを振り上げる。


 少女の腕が赤い液体を吹き出しながら宙を舞う。


 それでも少女も退かない。


 残った左腕で反撃を試みる。


 だが、その切っ先が届くよりも早く、身体を支える足を切断された。


(これが、月宮湊なの?)


 まるで容赦がない。ときどき見た真剣に仕事をこなす顔とは違う。どこか冷徹だ。さながら感情のない傭兵のようでもある。そのせいか彼の瞳の色が赤く見えた。赤黒く、見ている側の心が冷える。


 月宮はその銀色の剣を、足を失い地面に倒れた少女の身体に突き刺す。その刃は一気にほとんど見えなくなった。


 少女は動かなくなる。おそらく気絶したのだろう。ルーチェも恐ろしい回復量はあるが、ある程度の衝撃や傷を負うとそうなっていた。しかし気絶していても、少しずつ再生が始まる。五分程度ならばあのままだろう。


 再び目をくれることなく月宮がルーチェのもとへ行こうとしたため、音無は駆け寄って肩を掴んだ。


「なにしているの」


 月宮は振り向く。ただ静かに。


 音無は肩から手を離し、一歩引いた。


「仕事をしているだけだ。お前はどうしてここにいるんだ。ここには来れないようになっているはずだが」


 やはりあの現象は事務所が引き起こしていたのか。おそらくはどこかで意識を操ることができる《欠片持ち》が能力を行使していたのだろう。


「ここには来れなくても、彼女のもとには行ける」


「ああ、なるほど。そういうことか。ところでお前は誰なんだ」


 憶えられていない。しかしそれは当然だ。都市警察は事務所を目の敵にしているが、その逆はない。


「私は音無舞桜。都市警察よ」


「じゃあ――」月宮は剣で地面に磔になった少女を見やる。「俺を捕まえるか? こんなふうにしたんだから」


「あなたには訊きたいことが山ほどある」


 しかしそれは今じゃない。今じゃなくてもいい。この機会を逃せばまた逃げられてしまうのだろうけれど、この街にいるかぎり機会を作り出すことはいくらだってできる。


 今はルーチェの件に関してだけ訊ねる。


「仕事って言ったわね。これは誰かの依頼? それとも事務所の意向?」


「後者だな」


「彼女たちをどうするつもりなの」


「俺たちは正体を知りたいだけだ」


 あの黒い女たちと同じだ、と音無は気付いた。事務所、都市警察、さらに別の組織がこの件に噛んでいるとも考えられるが、彼女たちが事務所員であると考えるとしっくりくる。あの強さも、空気の読めなさも、突拍子のなさも、事務所そのものだ。


 名前を聞いておけばよかったと後悔する。しかし名乗る可能性は低いだろう。そのあたりは徹底している。月宮湊を除き。


「ただ手を出したのは向こうからで、こっちも自分たちの身を守るためにこうして戦っている。どうせ再生するんだ、このくらいなら問題ないだろ」


 考えていた以上だ、と音無は月宮湊に対する評価を改めた。無能力者であるにもかかわらず事務所に所属しているのだからそれなりの理由――たとえば運動能力や思考能力が優れているのだと思っていたが、まさかここまで誰かを傷つけることに躊躇いがないとは想像もしていなかった。


 戦い慣れをしているとは思ってもみなかった。


 事務所にいるのだから当然だと思えるのは、やはり先ほどの動きを見ているからでもあるのだろう。もう一人の少女がルーチェと同じ異能を有しているのならば、彼はそれを上回ったことになる。


 あの変化を。


 あの狂気を。


 物怖じすることなく、躊躇いなくねじ伏せた。


 ふいに月宮が「わかった」と言い出す。どうやら耳にインカムを付けているようで、事務所の誰かと連絡をとっているようだ。


 それから音無を見ることなく振り返る。


「どこ行くのよ」


「仕事だ。お前と話している暇はないんだ。とっと終わらせて帰る」


「どういう意味?」音無は気づく。「まさか、今の意向の変更じゃないの? ルーチェたちを殺すつもり?」


 音無の問いに、月宮はしばらく間を開けた。ほんの五秒ほどだ。


「誰かが傷つけられてからじゃ遅い。失ったあとに復讐をしても、失ったものは戻らない。それがわからないのか?」


 わからないはずがない。


 ルーチェの――彼女たちの狂気は放っておけば必ず誰かの命を奪う。一人二人じゃ済まないだろう。きっと導やイヴにも届き得る。


 今ここで始末しなければ、近い未来にそうなるかもしれない。


 そんなことはわかっている。


 わかっていても、音無はルーチェたちを救い出したかった。更生は無理かもしれない。だけどそれもやってみなければわからない。今ここでその可能性を潰してしまうことが絶対に正しいわけでもない。


 音無は携帯電話を取り出す。


 小さな希望なのかもしれない。ただの理想でしかなく、現実的には厳しいことだと誰かは、大勢の人々は告げるだろう。それならば月宮湊の言うとおり、今終わらせるべきなのだ。


 だが。


 その小さな希望に期待するのが人間だ。たとえ本当に小さな光でも、暗闇から脱するためならそこを目指す。


 だから、音無の出す答えは――。


「向日葵、お願い」


 要件は言わない。言わなくとも彼女なら理解してくれるからだ。それだけの付き合いはある。


「あいよ」


 その返事とともに、音無の右手には一本の刀が現れた。導の《欠片の力》である「転送」によってその手に握られた刀の名は『刃桜』。本当に誰かを守りたいときだけに使用すると決めたものだ。


 携帯電話をしまい、空いたその左手で抜刀し、月宮に刃を向ける。


「行かせないわ」


「それが都市警察の意向か?」


「いえ……、これは私の意思」


 無言のまま、月宮は右手にナイフを持った。


 都市警察が最も避けていた事務所(あいて)。


「ルーチェたちは殺させない」


 酷く冷たい視線に、真っ向からぶつかり合う。

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