第16話 堕落
「やれやれ……」
導は手元にある紙片を見ていた。その白い紙片には円が描いてあり、その中には正三角形があった。意味はない。ただ導が思い付いた図形を描いただけだ。
「どうしたんですか。また気怠そうな声を出して……って、あれ!? 向日葵さん、目が光ってますよ!」
「私、《欠片持ち》だからね」
瞬きをするついでに、浮かび上がった欠片をしまった。このあたりの表現は《欠片持ち》によってさまざまだ。浮かび上がる、取り出す。消す、しまう。他にもいくつかあるが、思い出すのが面倒だったため、並べるのをやめた。
へえ、という声が傍から聞こえたと思うと、視界を埋めるようにイヴの姿が現れた。きらきらと輝いた目で覗きこんでくる。
「……なに」
「あ、えっと、綺麗だなって思って」イヴは覗きこむのをやめる。「わたしは《欠片持ち》じゃないから、間近で見たことがなくて……、その……」
言葉を選びながら、イヴの顔がみるみる赤くなっていく。さっきの自分の行動を恥ずかしがって照れているのだろうか。
導は特に手助けをすることなく、イヴが落ち着くのを待った。夏休みの課題も半分以上は終わっている。このくらいの時間消費なら問題ないだろうと思ってのことだ。それにたとえ課題が終わらなくとも、導には関係がない。
「どんな感じなんですか?」
「なにが?」
「目の中に欠片があるのがです。コンタクトレンズみたいな感じですかね」
「付けたことないでしょ」
「はいっ。わたし、視力はいいんですっ」
ふぅ、と導は彼女に聞こえない程度の溜息を吐いた。早く音無には帰ってきてもらいたい。彼女のあり余る元気が、導を苦しめていた。
「……それはともかく。欠片については、ただあるな、と思うくらい。ごろつきとか、違和感とかはない」
「そうなんですか。向日葵さんはどんな力を持ってるんですか? 舞桜さんは『風』ですよね」
「私は『転送』。なにかを誰かに、どこかに送れる」
「凄いじゃないですか! じゃあ瞬間移動もできるんですね」
「生物は無理。あと、転送するには、その場所に“私の所有物”がないと無理。それと交換で送られるから」
「えっ、じゃあそのためには、ハンカチとかを誰かに渡していないといけないんですか……。お金がかかりそう……」
「別に私の匂いとかがついていることが条件じゃないからね」
「あっ、そうなんですか」
「これみたいに」導は手に持っていた紙片をイヴの前に差し出した。「私の書いたものが所有を示すサインになるんだ」
「はぁ……、凄いですね」まじまじと紙片を見るイヴ。
「全然凄くないよ」
「わたしよりはずっと凄いですよ」イヴは肩を落とす。「わたしなんて、お茶を入れたり、ちょっとした掃除くらいしかできませんもん……」
そんなことはない、と導は思った。彼女の役割はそこではない。その程度のことなら誰でもできる。それだったらこの場所に置いておく必要はないのだ。
イヴは守るもの――平穏そのものである。
平和であることがなによりも治安を守る者の活力の源になる。それを維持しようとする意志は新たに生み出そうとすることより、取り戻そうとすることよりも、ずっと強固なものだ。
それは自分自身が平和であって欲しいと誰もが思っているためだ。平和のない世界では手が届かない。平和から一転してしまえば挫折と苦悩に満ちる。
そういったことにならないように、イヴのような存在が身近にいた方がいのだ。活力の源として、あるいは戒めとして。
「まあこればっかりは運だから仕方ない」
「これから《欠片持ち》になる可能性ってないんですかね」
「さあ……。まだそういうのは聞いたことないね」
「やっぱり凄いですよ」
「だから……」
反論しようと思ったが、堂々巡りしそうだったため口を噤んだ。
安全な場所から与えられた仕事をこなしている自分が凄いとはけして思えない。本当に凄いのは、その運で手に入れた能力を誰かのために使う者だ。自分の身の危険も顧みずにその正義を貫く。
たとえばそう、音無舞桜のように。
※
先に動いたのは音無だった。少女との戦いぶりから見て、機動力を駆使してそこに至るのが彼の戦術だろう。おそらくは導と類似した能力を持った《欠片持ち》とコンタクトをとって武器を替えている。
ならば、その隙を与えなければいい。思考する時間を与えるから、反撃の算段を立てられてしまう。
とはいえ、まだ月宮のすべてを知っているわけではないため、最初は様子見の一閃だった。
頭上から振り下ろされた刀を、月宮はほんの少し身体を移動させただけで回避する。予想どおりの動きだ。
二人の距離は一瞬で縮まり、それはお互いの間合いが重なっていることを意味している。彼のナイフの刃ももこの間合いならば届くであろう。それほどまでに二人は接近し、お互いに相手の目を見続けていた。
切り返しの振り上げ。
月宮は避けずに、ナイフで受ける。
(驚かないか)
それも当然だろう。音無の瞳には欠片が宿り、《欠片の力》を使おうとしていることは見てわかる。どんな攻撃をされるのかをある程度予測できれば、驚愕することなどない。
風で髪が揺れる。周囲の臭いを乗せてしまい、血生臭い。
月宮には回避も許してはいけない。そう判断した音無は、彼が刀の軌道に押し込むような風を瞬間的に吹かせた。強い衝撃を身体に受け、刀の軌道に入れば回避ができずに、そのナイフで受けるしかない。
それでも体勢を崩すことなく受けきる月宮。顔色一つ変えず、状況に対して的確な判断をしている。
(それなら)
今度は寄せる風ではなく、吹き飛ばす風を月宮に向けて放つ。瞬間的に衝撃を与える短いもののあとに、継続的に吹き荒れる風を浴びさせる。
両腕で顔を覆いながらも、月宮はやはり体勢を崩さない。視線もまるで切り離すことができていない。戦いにおいて、相手から目を離すことが最も危険な行為だと理解している。ただの誘導係が必要な技術ではない。
それにさっき幻覚だと思った瞳の色だが、今はたしかに赤黒くなっている。赤色が滲み出るほど、彼の纏う雰囲気がルーチェのものに近づいているような気がした。
じりじりと後退する月宮に追い打ちをかけるように、さらに強風を直撃させる。彼の身体は浮き上がり、勢いよく広場の端まで追いやられた。これにはさすがに耐えられず、背中から落ちるも、すぐに体勢を立て直していた。
ルーチェを殺させない。そうは言ったものの、状況は芳(かんば)しくない。隙をついてルーチェを助け出そうにも月宮の視線は常に音無にある。
(ここは畳みかける)
二つの旋風を彼に向けて放つ。目には見えない攻撃だが、風というのは周囲に少なからず影響を与え、動きを生みだしてしまうため、なにかをしたというのは気付かれてしまう。本当に些細な草の揺れ動きでも月宮なら見逃さないだろう。音無はそう読んでいた。
思ったとおり、彼はすぐに動き出した。旋風の軌道から外れるように、それに対して直角に走り出す。
音無はその進行方向へとさらに太刀風を飛ばした。
空気を裂く三つの音。
その速度はおよそ人間が反応できるものではない。
その鋭利さは人間の肉を断つことなど容易だ。
人間相手にこうして本気で能力を使うのは初めてだった。普段は鋭利な風など作りはしない。相手を気絶させる程度のものとは殺傷力に大きな差異があるからだ。どんな相手だろうとも一度たりとも使用してこなかった。
しかしそれは都市警察としての話だ。音無は都市警察の一人としてしか能力を使ってこなかったが、今は違う。何者にも属していないただ一人の人間として月宮の前に立ちはだかっている。
月宮は当然のように、太刀風をすべて避ける。速度も、大きさも、角度も違うというのに、上手く身体を捻り、まるで猫のように動いていた。
ふいにカキンと金属の衝突する音がした。そしてカランと渇いた音。
音無は見下ろし、その正体を見た。ナイフだ。月宮が握っていたあのナイフが、いつの間にか足もとに落ちていた。
(まったく見えなかった……)
おそらくはあの回避運動の間に投げてきたのだろう。たしかに思い出してみれば、そんな素振りがあったように思える。
遊ばれている。月宮は反撃の隙がなかったわけじゃなく、ただしてこなかっただけ。音無は必死に退けようとしているのに、まるで意味をなしていない。
考えてみれば当然だ。月宮には他の二人がいる。そちらが仕事を終えてしまえば、なにも問題がないのだから、この場に現れ仕事の邪魔をしようとしている音無の足を止めるのは当たり前だ。
このままでは、誰も助けることができない。
音無は考える。
月宮だけ相手をするのでは無意味だ。今この場にいる全員を相手にするような気持ちで戦わなければ、実際にそうしなければ、ルーチェたちは事務所によって殺害されてしまう。
今ここにいるのは都市警察の音無ではない。そのことを自分に言い聞かせる。いつもどおりでも、それ以上でもダメなのだ。まずはその根底から覆さなければなにも変わったことにはならない。
都市警察として住民の安全を守る。その精神が今は重荷であり、厄介であった。
事務所員のことはどうでもいい。彼らがどうなろうとも、問題ではない。
音無の行動を縛っているのはルーチェたちだ。彼女たちを救い出そうとしているあまりに、彼女たちを無傷で助けようとしてしまっている。
そんなことは無理だ。相手は事務所だ。それも三人いる。音無一人で綺麗に対処できるのなら、都市警察の上層部が彼らの存在に頭を抱えることなどないはずだ。
ルーチェと手を組むべきか。しかしそうなるためにはいくつかの段階を踏まないとならないだろうし、それには時間がかかる。
(……それなら)
ちらり、と音無は徐々に再生していくルーチェに似た少女を見やった。およそあと三分ほどで目を覚ますと推測しているが、当てにはならない。それでも状況を見るに、的外れでもないように思えた。
ならば彼女の復活を待った方がいい。三竦みの混戦の方がこの場合はやりやすいだろう。むしろ音無が得意とする分野だ。そのためにある「風」と言っていい。
音無は月宮との距離を一気に詰める。追い風を作ることで、移動速度が上げていた。
刀を振り下ろし、そのまま回転斬りに移行する。避けられることはわかっていた。最初から直撃するとは思っていない。
狙いは回転することで、ルーチェと彼女と戦っている事務所員を視界に入れること。
十五メートルほどの距離。
ルーチェは防戦一方に見える。
眼鏡の女は素手で、黒いコートの人物はクナイのような武器を使っていた。
接近戦で、その場から大きく動く気配はない。
音無はその三人に向かって《欠片の力》を放つ。人間を容赦なく吹き飛ばすほどの暴風が木々を激しく揺らし、葉や枝の擦れ合う音がけたたましく響く。
月宮が視界に戻る。音無がそうであるように、月宮もまた向こうの状況を確認しない。その瞳の先にいるのはお互いだけだ。
何度も愛刀を振るい、少しずつだが倒れている少女との距離を開けていく。月宮の回避は最小限であるため、それだけに行動を掴みやすい。どこに振るえば、どう回避してくるかは想像が易い。
読めないのはいつその手にナイフを握るのかだ。手品のようにいつの間にか右手、あるいは左手にあり、音無の攻撃の切れ間にすかさず反撃を行ってきた。
読めないだけに、それだけは能力での防御が必要だった。どんなに頭でわかっていても、切れ間とはどうしてもできてしまう。最善の流れを見つけたとしても、身体がそれについていけるとはかぎらない。また酸素の供給も必要とされる。その呼吸のときの間を狙われていた。
本当によく見ている。あの赤黒くなっている瞳に、すべてを見透かされているような気にされていた。こちらの考えを読み取られているような不快感。
思考を読み取られているのなら、彼の回避の正確さにも説明がつく。恐ろしいのはその早さだ。初めて見せたはずの攻撃でさえ、的確に読んでくる。
まるで風の動きが――能力の発動位置がわかっているようだ。
彼の右肩に突きを入れようとする。彼はそれを最小の動きで身体を逸らす。それに合わせて刃の部分から風の刃を放った。しかし、彼は膝を曲げて屈む。
一分にも満たない時間。
音無と月宮の攻防は続く。
音無の攻撃はすべて避けられ、月宮の攻撃は「風」が遮る。
その中で音無は理解していた。もしもこの膠着状態を解くような、彼の身体を大きく吹き飛ばすような風を作り出そうとすれば、それが音無の敗北となることが。
理由はわからない。ただ月宮を相手している間に、彼がそれを狙っていることがわかってしまったから。そう言う他なかった。
今、音無が月宮と戦えているのは、この膠着状態があるためだ。それを自ら手放すことはできない。なにより、時間稼ぎにはなっている。
まだ負傷はしていない。
しかし心や精神は確実に消耗していた。
いつも以上のパフォーマンスができるのは、いつも以上の緊張があるからだ。張り詰めた空気が、身体を自然と動かす。相手の行動を見極め、自分がそのあとにどう行動すべきか。意識しなくとも脳内で演算が繰り返される。
辛い、苦しい、と思うところだが、しかし音無には別の感情が湧き起こりつつあった。この状況では、場面では不適切かつ不謹慎ではあるが、楽しいのだ。この緊迫した空気が、身と心を削り合うやり取りが心地よかった。
攻撃が当たらないもどかしさなどない。
月宮がどう攻撃をしてきて、どう避けるのか。それを考えるだけで心が躍る。
理由は簡単だ。
自分が高められているからだ。
月宮との戦闘が、音無を成長させている。足りなかったものが補われていく。冷静な判断力、ただ目の前の相手の行動と思考だけに没頭できる集中力。
しかしいつまでも続くことではない。これはあくまで時間稼ぎであり、訓練などではない。他の事務所員が駆けつけないのと、月宮が音無の相手をしていることで、ルーチェがまだ殺害されていないのは見なくてもわかる。
そしてそのときがきた。
そうわかったのは、背後から感じた異常な感情の渦のためだ。異常事態になったと一瞬で把握できるほどに、その殺意と憎悪は辺りに充満した。
音無と月宮が攻防を中断したのは同時。
お互いに、戦うべき相手が変わったと判断したのだ。
「なによ、これ……」
振り向いた音無は『彼女』の姿を見て、そう言葉を漏らした。驚愕が重なり、そう呟くしかなかった。
満天の星空の下。
邪悪な白翼が、大きく羽ばたいた。
※
長月からの報告で、白い影の正体が殺人鬼であり吸血鬼でもある、アナトリア姉妹だとわかった。月宮が相手にしたのが妹のフェリチタ、如月たちの目の前にいるのが姉のルーチェだ。見比べたところで判断材料はないのだが、ルーチェの方が彼女を見て「フェリ」と呼んでいたため、区別がついた。
吸血鬼。
架空の存在がまさか存在していたなんて、とは思わない。『吸血鬼』は怪物の名前でもなんでもなく、古き魔術師一族の呼び名であるからだ。魔術関連の書物を読んでいれば、その名前を一度は目にすることがあるだろう。
生き人の血肉を喰らう魔術師一族。
魂を対価にした魔術はただ魔力を消費するものとはその精度と威力が違う。おそらくは行為自体に意味を持たせているのだ。人間を喰うことが、魂を喰うことと同義。だからこそ彼らは忌み嫌われた一族でもあった。
一般人にしてみれば、それこそただの化物だ。同じ魔術師であっても、自分たちよりも強力な魔術を使う彼らは脅威でしかなかった。
彼らの魔術は詳しく解明されずにその血は根絶やしにされてしまったと聞いていた。女子供合わせても十数人しかいなかったが、彼らによって殺害された人数は五百を超えたという。
身体の自在変異、驚異的な再生力。最も恐ろしかったのは後者のはずだ。普通の人間ならば殺すことのできる術(すべ)が無意味となるのだから。自爆の特攻もただの自殺にしかならない。
それでもよく全滅させられたものだ、と如月は思う。その一族ができるのはその二つだけじゃない。普通の魔術も扱えるのだから、並大抵の方法では倒すことができなかっただろう。
彼らが目指したのは人間の願望である「不老不死」である。命を絶やさないために、他の命を消費した。さすがに古き時代の魔術師だけあって、不死は完成させている。アナトリア姉妹がその証拠だ。
「どうやったら死ぬんだよ……」
殺害の命令が下っているが、まるで達成できそうにない。再生力の厄介さもあるが、同時に変異できるのが実に面倒だ。腕を斬り落としたところで、別のなにかがそこから生え、腕の代わりをする。
痛覚があるのは救いだ。少なからず隙はできる。ただどこの誰がやったのかはわからないが、ルーチェには痛みに対する耐性があった。それが隙をかなり小さくしている。
黒コートも様々な手段を試しているようだ。コートの裏からは数えるのも億劫になるほどの武器が手品のように出てきた。しかしどの手段を持ってしても、ルーチェをしに至らしめることができない。
せいぜい彼女がもう一人の少女、フェリチタに近づかないように妨害するだけだ。フェリチタの方は月宮が倒している。始末の指示が出る前だったため、死んではいない。それどころか邪魔さえ入ってきてしまっている始末だ。
「あなたの人払い使えないじゃんか!」
「じゃあそっちのも使えない」
「むっかぁ!」
顔が見えないだけに苛立ちは倍増された。抑揚のない話し方も気に入らない。いっそのこと黒コートを攻撃してしまいたかった。事故ということで許される瞬間に魔術を叩きこんでやろう。そんなふうに考えていたときだった。
突然の暴風に襲われた。立っていようと足に力を込めても無意味なほどに強大な風だ。さすがのルーチェと黒コートもこれには耐えきれず吹き飛ばされる。自然に起きた風じゃないことは、偶然にも《欠片の力》を使っている人物を見たために、すぐにわかった。
人払いの魔術の境界を越えてきたのだから魔術師なのかとも思っていたが、どうやら魔術を超える力で突破してきたようだ。《欠片の力》については解明できていない以上、魔術でどうにかできるものじゃない。
魔術師が《欠片持ち》を嫌悪しているのはそういうことだ。ある日突然現れた存在だというのに、今までの努力を台無しにするような力を平然と持っている。それが気に入らないのだ。
暴風は瞬間的なもので、すぐに体勢を立て直すことができた。継続的なものであればどこかに捕まるか、木々の後ろでやり過ごすしかない。現れた女がこの街の人間である可能性が高いため、魔術は使えない。魔術機関に所属しているわけではないため、別に使用してもペナルティがあるわけではないが、彼女に魔術の使用を見られることは今後目を付けられることに等しい。
姫ノ宮学園にいたころならば、風の女を始末してしまうだけだったが、今はそうはいかない。きっとそれは月宮が許さないだろう。彼が今も彼女の相手をしているのはそういうことだ。
とはいえ、彼も決定打がないのかもしれない。魔術ではないが、月宮も《欠片の力》ではない能力を持っている。武器を生成できる能力であれば偽装はできる。他に能力者がいて、その人物が武器を転送などしていると考えられるからだ。ただもう一つの能力は偽装できない。その特殊性は《欠片持ち》でも類を見ないからだ。「無効化」や「消失」と似ているが、しかしやはり差異は大きい。
(つっきーのことを心配しても仕方ないか)
今は自分がやるべきことをやり遂げなければならない。如月は他の二人がどうなっているかを確認した。黒コートはルーチェの体勢が立て直される前に畳みかけているようだ。しかしやはり身体変異が壁となる。
如月が観察を続けていると、ルーチェの反応速度を上回った黒コートの円月輪での一撃が、彼女の右腕を切断した。さすが事務所に所属しているだけあって、見事な化物ぶりである。
如月はサポートに徹底することに決めた。大々的な魔術での攻撃はできない。小さな攻撃ではやらない方がいい。ならば、相手の動きを制限する魔術などを使い、黒コートが攻撃できる隙を増やした方がいいだろう。そのくらいの魔術であれば、魔力感知のできないと思われる風の女にも気付かれることはないはずだ。
駆け出し、ルーチェに近づく。意識を分散させることで、より多くの隙を作る。なにより魔術師一族の生き残りだというのなら、彼女の力は魔術だ。無尽蔵に扱えるわけじゃない。必ず限界が来る。
身体変化も再生も使わせた方がいい。
ところが一分ほど経ったころ、如月に違和感が生まれる。魔術での拘束による作戦は成功していた。一瞬の隙があれば、すかさず黒コートがダメージを負わせ、ルーチェは再生または変異を使用する。
繰り返されるやり取り。
感覚ではなく、予測を立てて行動しているからわかる些細な変化。
少しずつ。
少しずつだが、ルーチェの反応速度が――あるいは変異と再生の速度が上がっていっている。
その変化に黒コートも気付いているようで、間合いを少し遠ざけていた。
いったいなにが、と如月が思っていたときだった。
ルーチェが呟く。
「フェリ、ダメだよ。耐えて」
彼女の瞳が捉えているのは如月たちではなかった。如月は視線の先を追う。
フェリチタがいた。
ただし倒れてはいない。
空を仰ぐようにして、静かに立っている。最初に見た彼女の雰囲気はそこにはない。まるで別人だ。それどころか別の生物にさえ感じる。莫大に膨れ上がった魔力量も、強調された殺意と憎悪も、今までの彼女の比ではない。
その背には翼が生えていた。骨のように白く、腐り果てたような翼が大きく広げられている。
そして。
昼間の空が紺色となり、星々が瞬き始めた。
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