第6話 幻影
「いいかげんいじけるのをやめてくれませんか。子供じゃあるまいし」
長月イチジクは、膝を抱えて座る如月に向けて告げた。彼女の椅子を回転させて座っているその態度は、目障り度をそこはかとなく上昇させている。
やれやれと言わんばかりの呆れを含んだ息を漏らす。
茜夏という青年にあれだけ突っかかったのは、言うまでもなく彼が月宮湊に酷似していたからだ。というのも、当初の予定では如月は自分が残すだけ残した課題の山を彼に手伝ってもらう算段だった。しかし彼の予定は詰まりに詰まっており、如月の相手をする余裕がない。
なにより、秋雨美空と過ごすというのなら、如月はなにも言えない。彼女が勇気を持って月宮に助けを求めたのだから、その恋路を見守ると決めた如月は引くしかなかった。
その埋め合わせとして自分が選ばれたことは甚だ不満な長月ではあるが、これもまた仕方のないことだと割り切るしかなかった。
手のかかる親友ではあるが、かけがえのない家族でもある。
駄々をこねる妹だと思えば不満も少しは解消された。
「だってさあ、あいつ、気に入らないだもん」
「それは見ていてわかりました」
「私、高校生なのに!」
そして今もまだこうして鬱憤が溜まっているのは、如月と茜夏の初戦が琴音(ことね)の介入により強制的に中断させられたからだ。開戦直後に部屋に入ってきた琴音に「うるさい」「邪魔」と言われたのであれば、二人がそれに従う以外に余地はない。誰よりも機嫌を損ねてはいけない相手だと如月は知っていたし、茜夏も本能的に理解したからだ。
それに、アリスの冗談が冗談で済まなくなったことも要因の一つだろう。
「仕方ありませんよ。トモは――」長月は言葉を選ぶ。「私たちと同年代にしては少し小柄ですし」
「あっきーがいるし!」
「秋雨も小柄ですが、彼女を見て安堵するよりは、目標を定めた方がいいですよ。ただ漠然と成長したいと思うよりはずっとましです」
「いっちゃんもそういうことしたの? だからそんなないすばでーなの?」
「鬱陶しい言い方ですね」
「ひどっ!」
「私は別になにかしたわけじゃありません。遺伝かなにかなのでしょう」
遺伝だと断言しないのはただそういう通説があるからではなく、遺伝だと言い切れる材料を持ち合わせていないからだ。長月は自分の両親を知らない。両親の両親も知らない。血の繋がった親類を知らない。だから自分の容姿がどれだけ両親に似ているのかを知らなかった。
「ふうん。私も遺伝なのかなあ。うわあ、両親ぶっ飛ばしてえ」
「親を殴ったからといって大きくなるわけじゃありませんよ。むしろ人として小さくなるくらいです」
「なんだか、いっちゃんのその余裕な態度にもイライラしてきたよ……」
じっとりとした目を向けられたが、長月はそれを無視するように床に目をやった。
長月たちがいる部屋は「如月の如月による如月のための部屋」だ。モーターの音だったか、ファンの音だったか忘れてしまったが、その音が常に響いている。ディスプレイにはよくわからない図形が変形を続けていた。
ここが彼女に与えられた部屋だというのに、なぜ如月はここで課題を仕上げようとしないのか理解できなかった。たしかに部屋は暗いが、電気は通っているため明かりをつけることはできる。
しかし彼女はそうしない。
パソコンのためらしい。
機械も生物も手間がかかる点では同じだ、と長月は思う。ただ感情うんぬんがある分、人間は特に手間がかかる。
「気晴らしに街の様子でも見よっと」
「それ、俗に言う覗き行為ですよね」
ここに設置してあるパソコンの目的は、監視カメラを通して街の様子をさまざまな角度から把握することだ。以前に茜奈やウィンクを捜し出すために一役買っていた。そういう役目があるからこそ設置を許されているのだ。
しかし今では如月のおもちゃに過ぎない。見つけるべき目標も、監視すべき対象もないため、ただ彼女の鬱憤を晴らす道具に成り果てていた。
長月は仕方なく如月のうしろについた。
「あれ? いっちゃんも見たいの?」
「トモが余計なものを見ないように監視するんです。街の様子だけを見ているとはかぎりませんから」
監視カメラが設置されているのは外ばかりではない。建物内部にだって相当の数が備え付けられている。それを盗み見ようと言うのだから、ある程度の自重はあってしかるべきだ。仕事ならまだしもただの憂さ晴らしでやってもいい範囲を超えてしまう。
ディスプレイに小さな窓が現れ、そこに映像が映し出される。そしてまた別の窓が重なり現れる。それが三つのディスプレイで行われていた。
「今さらなんですが」
「ん?」
「これって犯罪ですよね」
「本当に今さらだね。私は普通の生活に憧れているけど、別に犯罪を否定するような人間に成り下がることはないよ」
「それは成り下がりなのでしょうか」
「あくまで私にとってはね」
如月はディスプレイに釘付けになっていた。目まぐるしく変化しているのに、彼女にはきっと細部まできちんと見えているのだろう。そのあたりは常軌を逸しているパフォーマンスだ。
「まあいいです。それで、これはこちらを特定されることはないのですか? たしか都市警察のシステムにも干渉しているとか言っていませんでした?」
「ちょっと借りてるだけだし、特定されないようにはしているよ。説明してもきっと理解できないから言わないけど」
「それは助かります」
意味不明な単語を羅列されたところでとうてい理解できるはずがない。専門用語を含んだ会話というのはお互いがその意味を理解していないと成り立たない。口頭での説明も無駄とまでは言わないが、実らない方が多いだろう。ある意味でそれは攻撃に近い。それも脳を直接攻撃する類のものだ。
だからこそここで如月に説明などされたら、長月の脳はショートするなり、一時的な停止をする処置をとる。そうでもしなければ焼き切られてしまうからだ。
「むむっ」如月が唸った。
「どうしたんです?」
「今、つっきーが映ってた」
「それはまあ街にいれば監視カメラに映ることもあるでしょう。別に不思議なことではありません」
「でもでも、この時間ならまだあっきーの課題を見てると思うよ」
「早く終わったのでは?」
「そんなことない」
さすがに一度秋雨の勉強を見ているだけあって、彼女の勉学への拒絶反応がいかなものかを理解している。いくら月宮湊といえども、彼女をその気にさせるために多少の時間を割いているはずだ。
長月もわかっている。だから「……ですね」と答えた。
食い入るようにして画面に向かっていた如月がやがて「ここだ!」と大きな声を出した。「うるさいですよ」と言いながら、長月も彼の存在を確認する。
「誰かと歩いているようですね。秋雨ですか?」
「うんにゃ、これはあっきーじゃないよ。あっきーはもっと女の子って感じの色を選ぶもん。黒とか着なさそうだし、そもそも持ってないんじゃない?」
「じゃあこれは誰です? 茜奈がこんなまともな服を着るとは思えませんし、体格も違うようです」
見憶えのある背丈であるような気がした長月だったが、しかしそんなものはあてにならない。長月の記憶にある人物と月宮と同行している人物が必ずしも重なるわけではないからだ。ついさっき出会ったばかりの依頼者だとすればお手上げである。
「誰でもいいよ! でも、つっきーと歩くのはだめ!」
如月の目が、明らかに映像の中の彼女に敵意を示していた。気に入らない、と目で語っている。街で遭遇したわけじゃなくてよかった、と長月は密かに思った。
しかし如月は気付いているのだろうか。今自らが発した言葉がいったいなにを意味しているのかを、誰に対しての感情なのかを。
長月はそれを言及することは避け、視線を如月から画面に移した。
「おや?」
「どうしたの?」
「今、琴音さんが映っていたような気がしたんですが」
「白いローブが見えたってこと?」
「ええ。あるようでありませんからね。彼女のローブは」
じっくりと映像を確認して見たが、それ以降その姿を見ることはなかった。映像の録画がないか訊ねようとも考えた。けれど琴音を見たからといってそこまでする理由はない。だから長月は気のせいだということにした。
しかし。
だからこそ思う。
どうして少しでもそこまでしようとしたのだろうか、と。
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