第4章

第17話 裏切り者は誰か

 茜奈は無理を言って月宮たちとは別れて行動することにした。一緒に行動すれば身の安全は強固なものになるが、今は自分の身よりも茜夏のことが心配でならなかった。だから手分けをしようと提案したのだ。


 彼らが多少渋ったものの、それでも了承してくれたのは、茜奈が彼らの依頼主だから意思を尊重したのだろう。なにより茜夏を見つけ出すのが早ければ早いほど、彼を助けられる可能性が上がるため(あるいは下がらないため)、悪い提案ではなかった。


 月宮たちが完遂すべき依頼はあくまで茜夏のことであり、茜奈がどうなろうとも関係はないはずだ。茜奈の異能力のことも、入手できたのならそれでいい、できなくても問題はない、程度に考えているに決まっている。


 それでいい。


 茜夏さえ助かれば、他のなにも望まない。


 だからこそ彼の前に立ちふさがる障害は取り除かなければならなかった。


 ウィンクの起こした爆発により街中に多くの都市警察の姿があった。さすがのシグナルも表通りにはいないだろう。茜夏と同じように、彼もまたどこかに傷を負っているはずだ。茜夏はただやられるだけの男ではない。傷の程度はわからないが、まともに止血はしていないことだけはわかる。


 彼もまた異常者だから。


 ウィンクと同じように殺人に快楽を憶えている。


 二人の違いとは、完璧主義であるかどうかだ。ウィンクは自分がいくら傷つこうが殺人という結果を残せればよしと考えるが、シグナルの場合、計画や策略を練るだけに完璧主義者の性質がある。自分が傷つかないように、傷つけられないように万全の策を考えだし、それ故にその計画を捻じ曲げた要因を許すことはしない。冷静ではいられない。


 今もどこかで茜夏を捜しているはずだ。


 茜奈はそう思っている。


 そう願っている。


 今もまだ彼が無事であることを。


 ふと嗅ぎ慣れた臭いを感じ取った。嗅ぎ慣れてしまった臭いでもあり、それは茜奈の嫌いな臭いでもあった。


 路地裏を進んできたことは間違いではなかった、と茜奈は確信し、その臭いを辿って歩いた。街灯の光も通らないため慎重に進んでいく。あまり得意ではないが、足音を立てないようにした。


 目を凝らし、息を殺す。暗闇からの襲撃は常套手段だ。初歩中の初歩だけに、油断してしまうこともある。そういう隙を狙うのが上手いのがシグナルだ。彼の能力である「減速」もこういう場所ではその真価を発揮する。


 だんだんと、その臭いは濃くなっていった。


 まだ動きに制限がかかった様子はなく、思ったとおりに動かすことができる。

状況が状況だけにシグナルに追い詰められかねないが、しかしそれと同じように茜夏が潜んでいるかもしれないのだ。無視をすることはできない。


 足音が聞こえた。一歩ずつ着実に進む音ではない。弱々しく、そして引き摺っている音だ。足を怪我しているのか、もはや足も上げられないほど疲弊しているのか。もしや茜夏かもしれないと思ったが、茜奈は走る気持ちをなんとか落ち着けた。


 相手側も茜奈に気付いたらしく、「そこに誰かいるのか」と疲労の色が見える声で訊いてきた。そしてその声の主が茜奈にはわかった。


「シグナル……」


「その声はトリックか」


 姿が見えないだけに、不用意に攻撃することもできない。茜奈は相手の出方を窺った。シグナルならなにをしてもおかしくはない。それこそ拳銃の使用も考えられる。茜奈ではそれに対応することはできないが、しかし“掌の口”ならば反応してくれるだろう。


 やがて闇の中からシグナルが現れた。茜奈はその姿に面喰ってしまう。いつもの彼とは似つかわしくない姿がそこにあったからだ。歪んだ表情からは焦りを感じられた。


「逃げろお!」


 シグナルが喉を切ってしまいそうなほどの声で叫ぶと、ほぼ同時に彼の背後で激しい光が瞬いた。熱気と耳を劈く音が狭い路地裏に充満した。


 茜奈は両腕で顔を隠し、爆風をやり過ごした。土埃が舞い、水道管が破裂したのだろうか、水が勢いよく流れ出す音も聞こえてきた。


 視界が晴れるのを待ち、その後、シグナルの姿を見つけた。俯せに倒れている彼の背中が露わになっていた。程度は低いが、火傷を負っている。鮮やかな髪も今は煤汚れていた。


「大丈夫か!」


 茜奈はシグナルに駆け寄り、彼の身体を起こした。なるべく背中の火傷には触れないように細心の注意を払った。


「……気をつけろ」


 シグナルは額に汗を浮かべていた。


「なにがどうなってる」


「嵌められたんだよ、俺たちは」


 ゆっくりと、その言葉をはっきり伝えるためのようにシグナルは口を動かした。先ほどの爆発でなにかが彼の左腕を切ったようで、血が流れていた。


「誰に?」


「ウィンクだ……」


「なんだと」


「あいつが、組織の命令で俺たちを消そうとしている。どうやら、都市警察に手を出したのがまずかったらしい」


 シグナルは力なく笑う。


「かはっ。まあトカゲの尻尾切りってやつだ」


 ここでもまた切り捨てられるのか。


 茜奈の胸が少しだけ痛んだ。


「しかし、無茶苦茶じゃないか。命令というか仕事を回してきたのは組織だろう? たしかに仲介屋が間にいるとはいえ、その仕事を回すように許可を出したのは組織じゃないか」


「だから、それが理由作りだったんだ」


「初めから私たちを消したかったと?」


「ああ。だから都市警察に手を出せなんつう、無茶な仕事を回した。仕事は失敗に終わる算段だったらしいが、俺たちは生き残っちまった。だから直々に消しにきたんだ」


 茜奈は仕事が舞い込んできたときのことを思い出していた。あのときに感じた違和感の正体はこのことだった。


 そう定義してみたが、しかしその違和感を拭い去ることはできなかった。正体が明らかになってなお、どこか不安定さを感じさせる。シグナルの言葉を信じないわけではないが、感覚の話でいえばどこかズレが見え隠れしていた。


 ただこの現状は信じるしかない。あのシグナルが火傷を作り、息も絶え絶えになっている。彼の地盤を揺るがすことがなければ、こうも傷つくことはないはずだ。ウィンクの行動が、彼に動揺を与えた。


 彼にとって予想外だったのは、ウィンクが組織に通ずる者だったことだ。たしかにこれだけは想像もつかない。見抜く方が無理な話だ。


「ウィンクは?」


「あいつは、アクセルとどこかへ消えた」


「どうしてアクセルと」


「お前を利用するとかどうとか言っていた」


 茜夏を人質にするつもりなのか。たしかにそれは茜奈にもっとも通用する策だ。誰よりも――自分よりも茜夏を大事に思う茜奈にしてみれば、この状況は最悪でしかなかった。


 しかし悪いだけではない。彼女が人質をとったのは、確実に茜奈を仕留めるためであり、逆に言えば、茜夏さえ助け出せばウィンクは確実に勝つことができない。


 月宮たちに手伝ってもらえば少し手間はかかるかもしれないが、それでも茜夏を救い出すことはできるだろう。彼らの方が、動きが洗練されている。戦うということを熟知している。シグナルや茜奈たちはただ殺すということしか知らない側だ。そこに活路がある。


 茜夏が今後の展開を模索していると、シグナルは信じられないことを言った。


「しかも、どうやら事務所と手を組んでいるらしい」


「それは本当か?」


 月宮たちとは違う事務所の人間だとは思うが、しかし身内どうしを衝突させるミスもないだろうと考えると、導き出される答は一つしかなかった。月宮は初めからウィンクと手を組んでいた。


 否定はしたいがそれはできない。ありえないことではないからだ。たとえ茜奈の命を救っていたとしても、それが演技だとしたのなら、茜奈の信用を勝ち取るためなのだとしたら、なにも不自然ではない。


 あの都合のいいタイミング。


 そう、なぜウィンクはあのとき都市警察を襲わず、その前を通り過ぎるだけだったのだろうか。別の場所から襲撃するにしても、それならば別に通り過ぎる必要はない。


 考えがまとまらず、どう動くべきかもわからなかった。自分のことならばすんなりと答を出せるのだが、やはり茜夏の命が関わっていると脆くなる。簡単に揺らぐ。


「お前が、俺の話を信じないのはわかってる……。だが、アクセルを救いたいのなら、俺たちがいた倉庫に行け。ウィンクはそこに向かっているはずだ」


 そこへ向かう理由は一つ。痕跡を消すためだ。おそらくはその倉庫だけではなく周囲一帯を破壊し尽くすつもりなのだろう。


「もう行け。俺から少しで離れろ」


 茜奈はその言葉を受け、すぐに察した。


「まさか触れられたのか?」


「一度触られてしまえば、あとはあいつの思うがままだ。いつ爆発するのかも、その威力もあいつがしたいようにできる。だから早く行け」


 シグナルの手が弱々しい力で茜奈の肩を押した。その拍子に、彼の身体から手が離れてしまい、彼の身体はコンクリートの地面に打ち付けられた。


「早く……、行け……」


 痛みに耐えながら言うシグナルの痛々しい表情に、茜奈は意を決した。立ち上がり、振り返ることなく彼から離れていく。


 背後から強い光が差し込んできたが、それでも茜奈は振り向かず来た道を戻る。

爆発音とざわつく声。そして強い熱気が通路を辿るように夜の空気に混ざり、茜奈の動きを止めるように纏わりついてきた。身体中から汗が溢れ出てくる。


 茜奈は足を止め、踵を返した。


 さっきまでシグナルがいた場所は焼き爛れ、そして焦げ付いた臭いが充満していた。シグナルの姿は跡形も残っていない。


 あのシグナルでさえ、こうも簡単に死ぬ。


 それを確認した茜奈は倉庫を目指した。

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