第2話 透明な出会い

 資料整理も終盤になり、月宮たちは休憩をとることにした。


 時刻は十六時。まだまだ外は明るい。


 部屋にいるのは、月宮を含めて四人だ。如月、長月、そしてアリス。アリスは特に仕事をするでもなく、月宮たちの仕事ぶりを眺め、会話に参加した。彼女に非番というものはない。今日も当然仕事があるのだろうが、その素振りをまったく見せなかった。おそらく彼女の手腕から考えて今日の分を午前中に終わらせている可能性も充分にあった。


 月宮はアリスの仕事内容を詳しく知らない。所員に仕事を言い渡し、その報告を聞く――それくらいだ。それが彼女の普段の仕事であり、たまにある「特殊」な仕事はいつ行われているのか不明だった。


 月宮がそれを見たのは、今年の春が最初で最後だ。とある人物の記憶を自分の都合で書き換えてもらったのだ。


 今でもそのときの光景を夢で見ることがあった。後悔していないと思っていても後悔しているのかもしれない。月宮は自分の小ささ、弱さを知っている。


「そういえばさあ、アリスさんはどこに住んでいるの?」


 ふと如月が疑問を口にした。呼び捨てでいいと言われた結果、敬語ですらなくなっている。あだ名で呼ばないのは不思議だった。アリスとの関係の浅さで遠慮しているのだと月宮は考えたが、彼自身、初対面の前にあだ名で呼ばれていた。だから、深浅は関係のないのかもしれない。ただそうすると、その基準が気になるところだった。


 カップに口を付けていたアリスは急な質問に驚くこともなく、静かにカップを置いた。彼女は紅茶をよく飲み、今も優雅な香りを漂わせている。


「この街に住んでるわね」


「この街のどこ? まさかここ?」


「これ以上は言わないわ」


 アリスは微笑んだ。


「せっかく増えた所員を減らしたくないもの」


 その言葉に、さすがの如月も黙った。アリスが所員の誰かに命令すれば、如月トモという人間は簡単にこの世界から消滅する。抵抗もできない。悲鳴も上げられない。


 それを理解した上で連想される人物は、琴音だろう。純白の生地に金色の刺繍が施されたローブを着た彼女の果てなき力を、如月は先日の姫ノ宮学園で目の当たりにしていた。“理解を超えた人間”の姿を見て、この街はおかしいと笑っていたのを、月宮は憶えている。


 異常な学園にいた如月がそう言ったのだ。


 月宮はおかしいという言葉の裏にいる人物を知っている。“理解を超えた人間”というのならば「彼」もまたそうだろう。どうしようもなく黒く、どうしよもなく曖昧なあの魔術師にはなにが見えているのか。


 ただ言えるのは、おかしいのはこの街ではなく、やはり魔術師だ。月宮はこれまでに出会った魔術師を思い返していた。


「知りたいなら尾行なりするといいわ。私の耳に入って来なければ、問題はないのも同然だからね」


「そう自信あり気に言われると無理なんだってことがわかる」


 如月はソファの背もたれにもたれかかった。


「私も訊きたいことがあるんだけどいい?」


 アリスが訊いた。


「なにかな」


「私が大切な人を殺すように言ったら、如月はきちんとできる?」


 如月と長月の動きが一瞬止まり、ゆっくりとアリスを見た。月宮は二人だけを気にし、アリスの様子を窺わなかった。どうせ悪戯そうな笑みを浮かべている。


「上の命令は絶対でしょう? 姫ノ宮学園でもそうしてきたんだから、ここでもできるわよね?」


 命令に従うということなら同じだが、その命令の内容が真逆だ。姫ノ宮学園では日神ハルを守るという名目で如月たちは戦っていた。大切な家族を守っていた。しかしアリスの命令は、日神ハルを殺すよう指示しているようなものだ。命をかけてでも守りたいものを壊せと。


 命令に従う、といっても、最終的に実行するかを決めるのは如月たちだ。だからアリスの質問の答は明らかである。


「できないなあ」と如月は答えた。


「できませんね」と長月も答える。


 アリスは二人からの返答を受けても驚かない。当然、その答が返ってくるとわかっていたからだ。それ以外に答がないことを訊いている。いや、アリスが本当に訊きたいのは、その答の理由だろう。それは如月たちを動かす尺度となる。どこまでなら彼女たちが命令に従うことができるのか。


「どうして?」


「どうしてって、そりゃあ」


 そんなことするくらいなら私が死ぬ、と如月はつまらなさそうに言った。特に緊迫した様子もない。ただそうすることが当然として、そう答えるのが当然としている。


「そんな命令を下されるってことは、私たちになんらかの非があったのは明らかだし、もし私たちの大切な人をそうすることが目的なら、別に私たちじゃなくてもいいわけじゃん。だったら、私たちはその人を守って死ぬ。この事務所と戦って死ぬ」


「守れないのが悔やまれますが、黙って殺されるよりはいいです」


 月宮の想像どおりだった。それもそのはずだ。日神のときに重ねれば、彼女たちの思考、行動パターンともに寸分狂うことなく合同だろう。大切な人を守るために如月たちは死力を尽くして、月宮たちと戦った。負けてなお、砕けなかった意志があった。


 彼女たちの強さは、屈強な意志だ。


「ただまあ、そうなったときは面白いかもね」


 如月は笑った。


「なにが?」


「私たちが殺されるようなことがあれば、つっきーが黙ってないでしょ」


 視線を感じて、目を向けた。如月が満面の笑みを浮かべている。なんという憎らしさだ、と月宮は思った。完全に信用されている。


「なんといっても、我らがチームのリーダーだからね。きっと颯爽と現れてくれるに違いないよ。この間の私たちみたいに……この間の私たちみたいに!」


「なんで二回も言ったんだ」


「まあ、そうですね。きっと月宮湊なら私たちを窮地から救ってくれることでしょう。私たちがそうしたように」


「なんで重ねて言ったんだ」


「じゃあ、つっきーは助けてくれないの?」


「行っても瞬殺されるだけだ」


 如月は月宮の方が、実力が上だと見ているようだが、実際のところは明らかではない。たしかに異能力では月宮は誰よりも強い。もともと能力者や魔術師に対抗するために借りているものなのだから当然だ。


 しかしこと実戦に置いては、如月の方が圧倒的に場数を踏んでいる。特に死線を潜ってきた回数は比べものにならないだろう。経験による対応力も優れているはずだ。


 手の内がほとんど明かされている月宮では、如月に勝つことは難しい。


 あくまで月宮が得意なのは奇襲戦。相手のプランを崩していくやり方で戦うため、最初から月宮の能力を考慮した上で戦われた場合、あっさりと負けてしまう。あの魔術師のときもそうだった。


 最近では遠距離からの攻撃の対処法を考えている。「破壊」の能力付与の効果が、手元を離れても続けばいいのだが、それはできない。一つ制限を解除することは、他のすべての制限が綻びる可能性があり、なにより負荷が大きくなってしまうかもしれない。制限を設けて今ですら相当なダメージを受けるために、そうすることはできない。


 月宮の強くなりたいという思いが強くなればなるほど、「神の力」の強大さが壁となった。頼りたくないと思って特訓をしても、月宮の前に現れる敵はその甘さを許してはくれない。


 理想を現実にするためには、まだまだ時間がかかりそうだった。


「来てくれるだけでいいんだよ?」


「来てくれますよね?」


 元姫ノ宮学園の二人からの脅迫ともとれる力強い視線に、月宮は仕方なく頷いた。長月は如月に我が強いと言っていたが、彼女もまた相当である。


 月宮はアリスに向かって、視線を送る。「いいかげんにしろよ」という意味合いを込めたそれを受けたアリスはにっこりと微笑んだ。意思は伝わったようだが、了承はされなかったようだ。もしかしたら世話をかけている腹いせなのかもしれない。


 そうならば、月宮はなにも言えない。


 休憩を終えて、また作業に戻る。あと少しで終わる、という現状が如月のモチベーションを上げたようで、彼女の作業効率は跳ね上がっていた。アリスが「パソコンいらないじゃない」と言うと、如月は「あった方がもっと速い」と答えた。


 月宮と長月も作業を順調に進めていく。


 ふと、長月が一枚の資料を見て、手が止まった。如月はともかく長月の手が止まることは珍しかったため、月宮は彼女を見た。


 視線に気付いた長月が月宮に資料を渡してきた。《欠片持ち》の資料のようで、そこには一人の男の顔写真が貼られていた。雪柳彷徨(ゆきやなぎかなた)というらしい。能力は「重力」とのこと。


「こいつがどうかしたのか?」


「月宮湊が精霊と交戦した日に出会ったんです。姫ノ宮学園と言い残した少女を追い掛けていました」


 話を聞いていた如月が首を伸ばして、資料に目を滑らした。ほとんど月宮に寄りかかるような体勢だった。


「お金持ちの人!」


「どういうことだよ」


「その少女の情報を教えたら、一万円をくれたんですよ。それでトモはその人を『お金持ちの人』で記憶しているようです」


 ふうん、と月宮は改めて資料に目を通す。特に変わった印象は受けない。だが、なにか引っかかることがあった。


(雪柳? なんだっけ?)


 どこかで聞いたことがあるような名前だった。姫ノ宮学園と同等くらいには有名だったような憶えがあったが、まるで思い出せなかった。よく見る文字列なのは間違いない。だけどどうやら、他に記憶すべきことで靄がかかっているようだ。


 月宮が頭を悩ませていると、部屋の扉が開いた。


 開けたのは琴音(ことね)だった。


「月宮、いる?」


 彼女は今日も純白の生地に金色の刺繍が施されたローブを見に纏っている。月宮としては水無月ジュンの持っていた剣を彷彿とさせる白さだ。


 アリスが月宮を指さし、琴音の目が向いた。


「なんの用だ?」


「約束、忘れてないよね?」


「そりゃあ憶えてるけど、もう夕方だぞ?」


 事情を知らない三人が月宮と琴音の様子を窺っていた。


 琴音との約束とは、先日のペナルティの件を手伝ってもらう代わりに昼食を奢る、というものだ。


「関係ない。私が今って決めた」


「仕事残ってるし」


「今」


「…………」


 どうやら聞く耳を持ってくれないようだ。月宮はアリスに視線を送る。所長代理の彼女が仕事をほったらかしにすることを許可するはずがない。姉であるアイリスに代わって、琴音を説得してくれるだろう、という算段だった。


 しかしアリスは「諦めなさい」と肩を竦めた。


 それでいいのか、と言う前に、月宮は襟首を掴まれ連行された。抵抗をすることを許されないのは、先輩所員である咎波(とがなみ)が身を持って教えてくれていたため、月宮もそれに倣い、抵抗を諦めた。

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