第3話 正義の瞳

 日差しの眩しさに、茜夏は目を覚ました。彼の一日はたいてい、太陽のうっとうしい光が睡眠を妨害することによって始まる。


 身体を起こして、首を鳴らした。


 茜夏たちが寝泊りをしているのは七番街である。春の大火災により、街としての機能を完全に失った場所であり、開発が途中で中断した六番街とは違い、まともに壁や天井が残っている建造物は三棟くらいのものだった。


 すべてが焼き尽くされ、鉄骨などは融解している。


 現実から乖離した黒色と灰色の世界が、ここにはあった。


 茜夏はその風景が好きだった。なにもかもが終わっている、今後始まることすらないだろうと直感的に理解できるこの世界の中で眠れることが心地よかった。


 ただ残念なのは、寝心地が悪いことくらいだ。布切れ一枚を敷いたところで、硬い床で寝ているのと大差はない。


 人目につかないメリットを捨て、ホテルなり漫画喫茶なりに泊まるべきなのかもしれない。文句を言わない茜奈でもそろそろそう言い始めるだろう。彼女は思い立ったら勝手に行動をしてしまう恐れがあるため、きっちり監視していないといけない。


 彼女は特殊な能力者ではあるが、その実態は不明だ。


 彼女が能力を持っているのか、能力が人の形をしているのか。


「……あ?」


 そんな危うい茜奈の姿がないことに、ようやく茜夏は気付いた。彼女が自分よりも早く起床することなど皆無に等しかったため、どうやら油断してしまったようだ。


 身を潜める場所などないフロアで寝ているため、一見すれば所在の有無の確認は簡単に終えることができる。


 置き手紙が置かれていることに気付くことだって容易だ。


「ご飯食べてきます」


 そう書かれた紙を拾い上げることなく踏み潰し、茜夏は溜息をついた。


 はたしてこの「ご飯」とはなにを指しているのか。


 それは彼女に確認しないとわからない。


(余計なことをしていなければいいが)


 茜夏はそう思うばかりだった。



     ※



「月宮くん、なんかいつもより疲れてない?」


 秋雨美空が覗きこむように見ながら、そう言った。


 結局昨日は朝まで琴音と店を渡り歩いた。彼女の胃袋は底を知らないようで、最終的には十四件目で勘弁してもらった。


 静かに食べているはずなのに、彼女はいつの間にか皿を空けてしまう。咎波曰く、琴音の動きに見とれているせいで時間の感覚が狂うらしい。さすがに何度も奢っているだけあって、咎波は分析をしっかり行えていた。


 月宮が家に帰り寝たのが午前七時ごろのことだ。そして九時に起床し、シャワーを浴びて、十時には秋雨と待ち合わせていた場所に到着していた。


「まあ、大丈夫。慣れてるから」


「嫌な慣れだね」


「それで、今日はどうする?」


 月宮としては、秋雨の追試突破記念とそれにおける満点取得を祝いたいところだったが、どうやらそれは先日如月たちと終えてしまったらしい。月宮は月宮で祝いたいと思っているけれど、秋雨は二回も祝われると申し訳ない気持ちになる、と言って断った。


 つまり予定はない。待ち合わせたものの、なにも決まっていない。


「月宮くんはしたいことないの? いつも仕事ばっかりで、たまには気晴らしに違うことがしたいって思うでしょ?」


 普通の日常を送れるだけで月宮としては大満足である。魔術師など関係なく、こうして秋雨といることで充分に気晴らしになっていた。琴音が横にいたときとは大違いだ、とは口が裂けても言えない。


 駅前商店街は相も変わらず賑わっている。夏の厳しい暑さよりも仲間と過ごす楽しさなどが勝っているのだ。どこかで子供が大きな声を上げている。普段ならもっとよく聞こえるだろうが、この人の多さであれば喧騒によって掻き消されることもあった。


 この雑踏の中でしたいことなど、はたして見つかるだろうか。


「俺は……、お前がしたいことでいい」


「私がしたいことかぁ」


 秋雨は唇に指を当てて考え始める。今日の彼女の服装は実に夏らしいもので、色合いが爽やかだ。ただどうしても彼女を知らない人が見れば、中学生程度にしか見えないのが難点だろう。彼女の成長は、彼女の想いとは裏腹に止まってしまっている。


 しばらく待っていると、秋雨の顔が赤くなっていた。考えているというより、恥ずかしがっているような仕草をしていた。


「大丈夫か?」


「だ、だだ、大丈夫!」


「……どっか入るか。外にいても仕方ないわけだし」


 ただどう考えても、席が空いている店を探すのには時間がかかる。月宮たちと同じようにこれからの予定を考えるグループや夏休みの宿題等をやっている人も少なくないだろう。


「そ、そうだねっ。行こっか」


 やはりどこか様子のおかしい秋雨の一歩後ろを歩く。横に広がって歩けば通行の邪魔になるし、かといって三歩後ろ歩くなんて月宮のすることではない。秋雨の前を歩いてもよかったのだが、この人の流れに呑まれてはぐれる未来が容易に想像できた。


 秋雨はきょろきょろと入れそうな店を探していた。本当に確認できているのかは彼女にしかわからない。


 月宮も秋雨に倣って店を探した。ただ仕事の癖でつい行き交う人を目で追ってしまう。外見からでは相手の思考を読みとることはできないため、無意味といえば無意味だ。『シュレディンガーの猫』よろしく、どちらでもありどちらでもない。


 今は一般人であっても、些細なことで殺人鬼に変わることも、「神の力」を扱うことになることもある。月宮はよく知っていた。


「おっと――悪い」


 考えごとに耽っていると、立ち止まった秋雨に追突してしまった。席の空いている店が見つかったのだろうか。見つかったのなら早く移動しなければ埋まってしまう。


 だが、秋雨は動かない。


 ただ一点を見つめるばかりだ。


「どうした?」


「あれ見て」


 秋雨が腕を伸ばさずに指で示した方向を見やる。そこにはベンチがあった。駅前の商店街は入口から出口までが長いため、途中途中で休憩できる場所が設けられている。場所によって特徴は違うが、秋雨の指の先にあるベンチはこの時期では苦しい、日光を集中的に取り入れる場所だった。冬ならば暖かいが、真夏ともなると地獄に近い。


 そんな場所に、黒い女性が倒れていた。肌が黒いわけではなく、衣服が上から下まで黒色で揃えられていた。まるで死体のように動かない。


 通行人たちも気になって目を向けるが、声をかけない。たまに不動のパフォーマンスをしている大道芸人がいるため、それだと思っているのかもしれない。


「月宮くん、行き倒れだよ!」


 秋雨は月宮を見上げた。正義感溢れた眼差しだった。


「違う。あれは太陽電池で動く人形だ。人間があんなに熱いところで動かないわけないだろ。充電中なんだから邪魔しない方がいい」


「そんなのわからないよっ。ね、行こう」


「でもなあ……」


 月宮はもう一度、倒れている女を見た。間違いなく関わったらいけない部類の人間だ。せっかくのオフが台無しになるような面倒事が舞い込んでくるに違いない。


 視線を秋雨に向け直す。大きな瞳を輝かせている。月宮のことはともかく、秋雨の中では決心がついているようだった。


 日神のときを思い出しながら、月宮は溜息をついた。


「わかった。お前がしたいことでいいって言ったからな」


「ありがとっ」


 秋雨は満面の笑みを見せ、人混みの中を縫うように進んでいった。知り合いが近くにいるときの人見知りのしなさは考えものだった。彼女の知り合いが増えれば増えるほど、いろんな厄介事に首を突っ込んでいってしまうのだろう、と考えると気が滅入った。


 あるいは、「彼女」がそうさせているのかもしれない。


(まあ、いいか……)


 秋雨のあとをついていき、ベンチの前に辿り着いた。彼女は倒れている人物に優しく声をかけている。


 近くで見るとやけに露出が多い服だということがわかった。服と言っていいのだろうか、と戸惑う。特にスカートのようなそれは、一枚の薄い布を巻いて腰で縛っているだけだ。布と布の間から健康的な太腿が露わになっている。


 月宮の中で、この人物の要注意度が跳ね上がっていく。


 念のために折り畳み式ナイフでも生成しておこうかと考えたが、ここでナイフを出すのは不用意だ。いざとなれば徒手空拳、あるいは逃走の二択だろう。月宮としては後者が望ましかった。


 やがて、その危険な女が反応を見せた。まるで寝起きのような仕草だ。


 秋雨が振り返って、嬉々とした表情を見せた。


「う、うぅん……。なんだここは……。熱い、熱いぞ……」


「あの、大丈夫ですか?」


「ああ、すまない……。問題は、ない、はず……」


 女は身体を起こして、右手で額を押さえた。二日酔いだろうか、と月宮は生徒の部屋で酔い潰れる担任教師を思い出していた。


「とりあえず、日陰に連れて行かないと」


 秋雨が月宮に言った。


「熱中症かもしれない」


「だとしたら動かさない方がいいんじゃないか? そのままそこで眠っていてもらおうってのはどうだ」


「月宮くん」


「はいはい」


 月宮は本当に観念して、その女に話しかけた。


「あんた、歩けるか?」


「いや、どうだろう……。歩いてみないとそれはわからない」


「じゃあ歩いてみろよ」


「無理みたいだ」


 立つ素振りすら見せない女。


 この面倒くささと黒さに、嫌でも連想してしまう人物が月宮にはいる。ここが街中でなく、秋雨が関わっていなければ、と心の底から思い、ナイフを作り出そうとした自分を抑え込んだ。


「おぶってくれ」


「図々しいな……」


「お願い、月宮くん」


 自分の発言を後悔しながら、月宮は女に向けて背を差し出した。すぐに女は乗りかかってくる。身長がそう変わらない高さのため、背負い辛かった。背中に柔らかさ湿っぽさを感じながら立ちあがった。


「ふふ、きみは力持ちだな」


「楽しそうにしてんじゃねえよ」


 秋雨に先導してもらい、商店街を歩く。なにが楽しくて仕事のない日にどこの誰かもわからない女を背負わなければならないのだろうか――だからといって仕事の日なら耐えられる、といわけでもないが。


「きみはおんぶが上手いな」


「上手い下手があるのか」


「さあ? 実は、生まれて初めておんぶをしてもらった。きみは私の初めてを奪った悪い子だな」


「叩き落とすぞ」


「冗談だよ。でも本当にきみはおんぶが上手いと思う。なんていうか温かい」


「暑さのせいだろ、それは」


「いや、優しさという意味だ。思いやりを感じる。私にではないな、これは。普段、彼女にしてあげているのか?」


「…………」


「だんまりか。可愛いな、きみは」


 しばらく歩いていると、秋雨が休めそうな場所を見つけた。小さな喫茶店で、外のテーブル席が空いたようだ。室内の涼しさはないが、日陰である。さっきのベンチに比べれば体感温度は幾分も低いはずだ。


 秋雨が注文に行っている間に女を椅子に下ろし、月宮も席に着いた。


 汗で背中が濡れている。もちろん自分のだけではなかった。相手がいる手前、気持ち悪いとはさすがに言えない。シャツの裾を引っ張り、通気性を上げ、肌と密着しないようにする。


 そんな月宮の心遣いもむなしく、女は楽しそうに言う。


「はたして、きみに付着したのは汗だけかな?」

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