暴食の絆
序章
第0話 淀み腐ったその繋がり
本格的に夏休みが始まった八月の駅前商店街は、いつも以上に学生の姿が多かった。制服を着ているのは見たとおり、着ていないとしても、いかにも夏を楽しんでいる姿からそれが容易に判断できる。
今が幸せの絶頂だと言わんばかりに騒がしいその姿は、見ているこっちが恥ずかしい。
茜夏(せんか)は露出の多い女子の姿を目で追いながら思った。女性のファッションというものを理解していない彼からすれば、女性のその露出の多い格好はなにか罰ゲームでも受けているのではないか、と思えてしまう。もう下着姿で歩いても同じだろう、と言えるような服装もあった。
かくいう茜夏の隣にも、恥ずかしい人物がいた。
黒いその髪は肩の少し下まで伸び、かなりの細髪のため清涼感がある。それなのに、上着はボロ切れを纏っているようである。右肩は露出し、丈も足りずに臍が露わになっていた。おそらく豊かな胸のせいだろう。下はパレオでその中がどうなっているかは知らない。どれも色は黒で、夏の暑い日差しを吸収できるだけ吸収していた。
両手には指が出るタイプのグローブをしていた。もちろん黒だ。
格好はまだ許容できる。ファッションの一つとして捉えれば、誰も不思議がらないだろう。なんならもっと変な服装をしている奴を紹介してもよかった。
問題は挙動だった。大人しくしていれば凛々しい顔立ちも、得物を狙う猛獣のようにその瞳を動かしていれば台無しだ。
「なあ、もう少し静かに品定めしてくれないか?」
茜奈(せんな)、と茜夏は呼んだ。似たような名前だが血は繋がっていない。ただの偶然である。その名前と、茜奈の方が、身長が少し高いこともあって彼女はよく姉に間違われた。つまり茜夏はよく弟に見られていた。
せっかくのオフだというのに、こうしてこの変態と過ごさなければならないのは茜夏にとって嘆きたいことなのだが、ただどうしても一人にしておくわけにはいかなかった。
「ああ、すまん」
茜奈はその眼光を治めた。
「最近、欲求不満なのだ」
「不満だぁ? 冗談はよせよ。一昨日済ませただろ」
「それが、なんというか、全然済んでない」
「おいおいマジかよ」
まったく……、と茜夏は呆れた。
まだ日中ということもあって人通りは多い。多過ぎるくらいだ。この中に都市警察の関係者がいないはずがなかった。学生たちが夏休みということもあり取り締まりを強化している。たしか今日はその強化にさらに強化を重ねた日だったはずだ。不審な行動を見せることはできない。
「夜まで我慢できそうか?」
「無理だな。あ、あの子とか食べてしまいたい」
茜奈の視線を追うと、そこには四人の女子がいた。眼鏡をかけた活発そうな奴、綺麗な黒髪の人形みたいな奴、普通を装っている奴、そして一際背の低い奴。おそらく最初の三人は高校生で、残りの一人が小学生だろう。茜奈が狙っているのはその小学生だった。たしかに彼女好みの可愛いらしい、いかにも女の子といった感じである。
ただどうしてか、彼女たちに関わると危険な気がした。見るかぎりでは普通の女子の集まりなのに、ただ一人、異質の存在が混じっていることで全員がそう見えてしまうからだろうか。
隠し切れていない異端が、あの中にいる。
一番可能性があるのは普通を装っている彼女だ。同じ風景にいるようで、彼女だけまったく別の場所に入る――そんな印象があった。
「あの四人はなかなかレベルが高いな」
茜夏の危惧も知らず、茜奈は嬉々とした表情をした。
「……あっそ。自己責任で頼む」
「なにか彼女らに問題があるのか?」
「俺は関わりたくない」
「茜夏がそう言うなら、やめておこう。私はそういう勘が鈍いから、茜夏がいると本当に助かる」
「たまにはお前が俺を助けろよ」
「なにか助けて欲しいことがあるのか? 構わない。言ってくれ。私は茜夏のためならば、この命、惜しくない」
冗談のような言葉だが、この茜奈にかぎっては違う。本当に命をかけて茜夏を助けるだろう。それだけじゃない。茜夏の言うことなら、すべて聞いてしまう。茜夏たちの関係は主従関係のそれに近かった。
「別にねえよ」
「そうか。なら私は欲求を晴らしてくるとしよう」
「見つけたのか?」
「今日は男にしておく。夏だからな」
そんな台詞を吐いたあと、茜奈はお目当ての男に近づいていった。体格のいい短髪の男だった。茜夏は茜奈が言葉巧みにその男を誘うのを眺める。もう何度も見た光景だ。慣れ過ぎて感情などなかった。
どうやら交渉は成立したようで、二人は歩き出した。そのほんの前に、茜奈が茜夏に向けて成功の合図を出していた。今日の合図はウインクだった。
「あんな身体をしてんだ、成功しないはずがねえよ」
豊かな胸にくびれた腰、露出した肩に臍。背も高く顔も悪くない。そんな女が誘ってきたら断れないだろう。普段ならば断われるのかもしれない。まともな思考をできているのなら、怪しむはずだ。だけど、それをさせないのが夏という季節だ。
茜夏は茜奈にあとを追わず、近くにあったアイスクリーム屋でバニラ味のソフトクリームを買った。日陰にあるベンチは空席がなかったが、日向で熱せられたベンチには空きがあった。茜夏は迷わず座った。
しばらく人の行き交う様子を眺めながらアイスを食べていると、茜奈が肌をつやつやさせて戻ってきた。
「ただいま」
「きっちり解消してきただろうな?」
「無論だ。きっちり食べてきた」
そう言って茜奈は茜夏が食べていたアイスにかぶりついた。クリームの部分がごっそりとなくなった。
「誰にも見られてないな?」
「行為はな。交渉している姿は知るよしもない」
「ならいい」
茜夏は立ち上がり、残りのアイスを茜奈に渡した。
「ありがとう」と彼女は受け取った。
もう何回こんなやり取りをしてきたかわからない。
ただあの日、あの施設から抜け出してから始まり、今に至っている。何度もこの腐り切った縁をどうにかしようとしてきたのに、結局はなにも変わっていない。溝川のような腐れ縁は、血の繋がりよりも厄介らしい。
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