第21話 開示が消失させる退路
如月たちが買い出しを終えて天野川高校に戻ると、ちょうど愛栖が正門をくぐるところだった。
「先生!」
如月は走って近づいていった。日神は長月にとってどうかはわからないが、少なくとも愛栖は如月にとって初めて好きになれた教師という存在だった。姫ノ宮学園にいるのは教師という皮を被っていただけだ。
愛栖は如月に気付くと、力なく左手を挙げた。彼女はいつものスーツ姿だが、今まで寝ていたのか、寝ぐせは凄いし、目も半開きだった。よく学校まで来れたものだ、と感心してしまう。
「おーっす……」
「どうしたんですか? 夏休みですよ」
「教師に夏休みはねえの」
「もちろん、知ってます」
如月はにっこり笑った。
愛栖が鼻で笑うと、手を伸ばして如月の頭に手を載せた。そしてわしゃわしゃと勢いよく撫で始める。この感触が好きだった。いつの間にか好きになっていた。優しい感じがして、温かい。
そうしていると、長月が追いついてきた。彼女は両手にジュースやお菓子などが詰まったビニール袋を持っている。片方は如月が走り出す前に押し付けたものだ。彼女はまったく息を切らしていない。
「トモ、荷物を押し付けないでください」
「へへ、ごめん」
「長月もいるのか」
愛栖は撫でる手を離した。
「なにやってんだ? 夏休みなんだから、それこそ部活をやってない学生は家にいるべきだろ」
「今日は秋雨の追試の日です。ご存知でしょう?」
「え、あれ、そうだっけ」
本当にダメな人だなあ、と如月は微笑む。だけど如月たちは知っている。月宮に頼まれて姫ノ宮学園まで来た彼女は、凛々しくてかっこよかった。普段の様子からは想像もできないほど、頼りがいのありそうな人なのだ。
事実、頼りがいはあるのだろう。あの月宮が信頼している人物だ。きっとまだ見ぬ一面が間違いなくある。いつか披露して欲しいと考えていたし、どう披露させてやろうかとも作戦を練っていた。
「まったく……」
長月は呆れていた。
「えっと……、今日が秋雨の追試日ってことは……ん? それこそ、なんでお前たちがここにいるんだ」
「はい?」
「どういうこと?」
二人は同時に訊き返した。まるで愛栖の言っていることがわからない。彼女がただ寝呆けている可能性も否めないが、なにか面白いことを訊き出せそうでもあった。面白いことを言われたら言及しよう、と如月は密かに考えた。
「いや、追試日っていったら、月宮が姫ノ宮学園に行く日だろ」
月宮湊と姫ノ宮学園。
その二つの単語で、空気が一転した。
寝ぼけ眼の愛栖は続ける。
「ペナルティなんだ。お前たちの一件で世界のバランスが崩れかかってな、それを引き起こした月宮に、この事態に気付いた魔術師を討伐させるって話で、それにお前たちを連れて行けと言われていたはずなんだが、どうやらそうしなかったみたいだな。あいつ、どうする気なんだか」
「いっちゃん!」
「わかっています。すみません、これお願いします」
長月は持っていた荷物を地面に置いた。
「先生、ありがとう」
二人は走り出した。
目的地はもちろん姫ノ宮学園だ。
自分たちが望んで、茨の道を歩んで得た当たり前の日常だ。だけどそれは姫ノ宮学園の柵(しがらみ)がすべて消えないことには本当に手に入ったとは言えない。その柵が残っていて、それで月宮が危険に晒されるかもしれないというのならば、如月は今の日常を捨てられる。
月宮湊のためならば、悩む必要などない。
たとえ彼が助けを求めていないとしても、如月たちは向かわずにはいられなかった。
※
姫ノ宮学園に到着した彷徨は、正門から入ろうとしたところ視界の左側に見覚えのある物体を見つけた。それは心歌の履いていた一本足の下駄だった。なぜこんなところに落ちているのかは当然わかっている。
正門から入らずに、外壁を沿うようにして歩いていく。姫の身学園の壁は高く、およそ学校とは思えない。囚人を収容する施設でも、もう少し低い壁だろう。左側は雑木林が広がり、暗いために不気味さが増していた。
そう、暗い。
姫ノ宮学園に辿り着いた彷徨が不思議に思ったのは、この周辺だけ夜になっていることだった。ある境界で昼と夜が分離している。何度か確認してみたが、ある程度学園から離れると、あるいは近づくと景色が一転した。
ここ最近で屈指の不可解さだった。心歌の《欠片の力》の無効に続いてのこともあってか、驚きは小さかった。
この世界には知らないことの方が多い。知らないことがあって当然だ。この不可解さも彷徨にとってはそうだが、別の誰かにとっては当たり前のことなのかもしれない。驚きで思考を停止し、ありえないと決め付けるのは早計である。
こんな学園になにがあるのだろうか、と彷徨は思っていた。しかしそのなにかはすでに出会ってしまった。しかしこれが心歌の見せたかったものだとは思えない。この程度で導いたと言われても、彷徨はどう反応していいかわからなかった。
進んでいると、なんの予兆もなく地響きが起きた。そして一瞬だけ空が明るくなる。壁のせいで原因を確認できなかったが、たしかに空は白んだ。
「なにが起きてんだ、ここ」
御津永の話では最近閉鎖されたらしい。事情は不明だ。それに加え、なにか得体の知れない波動を観測したとも言っていた。その波動の正体がこの夜空なのだろうか。それとも今の地響き、空を白めた現象のことだろうか。
なにもわからないが、一つだけわかることがある。
心歌はすべてを知っている。
ここで今なにが起きているのかを。
ここで今からなにが起きるのかも。
最初は半信半疑だったが、こんな舞台に呼ばれれば多少は信用できそうなものだった。心歌の秘密も、《欠片の力》のこともいずれは明らかになっていくかもしれない、と淡い期待を抱いてしまう。
しばらく進むと、関係者入口と書かれた門に着いた。壁ほどに高く、防犯レベルも高さそうだったが、しかし残念ながら門は開いていた。都市警察の手はまだ加えられてないと考えるべきだろう。もし手が伸びていたならば管理体制が杜撰である。
まあ、たとえ開いていなくても、門の向こう側に心歌の下駄が見えている以上、壊してでも侵入したが。
ようやく学園の構内に入り、心歌の下駄を拾う。
「ん?」
顔を上げると、やけに目立つ人影が見えた。不可解な夜空に瞬く星の光がなければ、もう少し近づかなければ気付かなかっただろう。距離を詰めていくと、黄色の浴衣を着た心歌が、黒いコートを着た人物に捕まっていることがわかった。
「あっ、来た来た」
その第一声に、彷徨は呆れた。早さが大切ならば初めから行き先を言えばよかったし、なんなら一緒に訪れればよかったのだ。
「なに捕まってんだ、お前は」
「彷徨のため、この人のためだよ」
「あ?」
相変わらず心歌の言葉の意味がわからない。同じ言語を使っているはずなのに、飛躍しすぎて理解が追いつかない。
「彼がきみの言っていた《欠片持ち》?」
「そうだよ。ちゃんと来たでしょう」
「そうだね」
黒いコートを着た青年は、彷徨に視線を向けるとにんまりと笑った。気持ち悪いほど感情のこもっていない表情だった。外面だけのもの。
「こんにちは」
「こんちは」
「僕は《欠片持ち》に興味があって、ここに来た魔術師だ。知ってるよね、魔術師。この子も知っているようだし、きみも知っているだろう?」
知っているはずもなかったが、彷徨は知っていることにした。こういう相手は知らないと言えば説明を長々と始める。いらないことを話し、脱線に脱線を重ね、本題を忘れる――彷徨の嫌いなタイプだ。
魔術師と名乗る男は、切り揃えられた金色の髪を手で払う。
「ここにいれば《欠片持ち》に会えると思ったんだけどね、誰も来なかったんだ。他のところでは誰か来ているみたいで羨ましくて仕方なかったけど、一応仕事だから持ち場を離れるわけにもいかない。さて困った、と思っていたところに、この子が来たんだ」
魔術師の視線に合わせて、彷徨も視線を向けた。
心歌は手を後ろに回し、ただ立っているだけだ。
「この子、変な子でね。僕のことを知っているかのように、もうすぐここに《欠片持ち》が来るんだって言うんだ。そりゃあ耳を疑ったさ。だけど暇だったからその話を信じることにした。信じるかわりに、もし来なかった場合はこの子を解体することになったんだ。あっ、僕こう見えて解体趣味があるんだよ」
「そうなのか」
「たとえば、ほら」
魔術師はコートの中から、斧を取り出した。片手で扱っているところから察するに重量があまりない平均よりも小さいタイプなのかもしれない。
その刃を心歌の首元に当てる。心歌は表情一つ崩さない。
「この子くらいならすぐに解体が終わっちゃいそうだけど、まあ暇つぶしくらいになるからいいかな」
「そろそろ戦ったら?」
黙っていた心歌が言った。
「おっと、そうだったそうだった。さ、戦おうか――」
が、そのときには戦いは終わっていた。彷徨の瞳に欠片が浮かび、魔術師は斧を持ったまま地に伏していた。
「なんだ、これは。か、身体が動かない」
「うるさすぎだ、バカ野郎」
能力の影響を受けない心歌は肩を竦めてから、彷徨に近づいた。裸足でぺたぺたと地面を蹴る姿は小学生に見えなくもなかった。
「お前も潰れたらよかった」
「それは残念だったね」
魔術師を襲う重力が強くなり、徐々に地面にめり込んでいく。彼は得意のお喋りもできなくなり、声にならない音を微かに発していた。しかし彷徨にはどうでもいいことだった。大きな鉄球がそこにあるかのように地面が拉げていく。
声が完全になくなり、その代わりに破裂音がした。一人の魔術師が終わった音だ。それは儚いとも思えない、汚いものだった。
彷徨は能力の使用をやめ、踵を返した。
「どこ行くの?」
「魔術師とやらと戦っただろ。それが目的だったんじゃないのか」
というか魔術師ってなんだ、と彷徨は吐き捨てた。今のところ、彼の中ではお喋り好きのバカ、というイメージしかなかった。
「うーん……。そうしたかったんだけど、この魔術師はダメだったね。まさかここまでダメな人だとは思わなかった」
「じゃあ、なんであいつにしたんだ」
「彼しか空いてなかったから」
「あ?」
「他の人はそれぞれ相手がいるの。今この学園にいるのは私たちを含めて“七人”。少し前まで十人いたんだけど三人消えた」
閉鎖したはずなのにずいぶんと盛況のある学園だった。
「最後の一人だったわけか」
「そうじゃないけど……」
心歌は少し考える様子を見せた。
「うん、少し早いけど、次の段階に進もう」
「緩いプランだな」
「仕方ないよ。彷徨が魔術師をああも簡単に潰すとは思わなかったから」
それは明らかに相手の魔術師が悪い。彷徨は戦いたいと思っていなかったが、向こうが好戦的な態度をとったために能力を使うしかなかった。いわば正当防衛だ。やらなければやられていたかもしれない。過剰防衛でもなんでもないはずだ。
心歌が「ついて来て」と言って歩き出そうとしたため、彷徨は持っていた下駄を彼女に向けて投げた。なぜこうも裸足で歩くことに抵抗がないのか。
下駄を履いて軽快に歩いていく心歌のあとを追う。
関係者入口から入ったこともあって、魔術師を潰した場所は駐車場だったようだ。よく見れば白いラインがボックス状に引いてある。駐車場だけでも相当な広さがあった。百台は余裕で停められるだろう。
駐車場を越えたところに、アーチ型の建物があった。それを越えると大型の住宅施設のような建物がずらりと道なりに並んでいた。学園というからには校舎なのだろう。駐車場付近に学生寮を建てるとは思えないため、教師陣の寮かもしれない。
これだけ背の高い建物が両脇に並び、明かり一つ点いていないと、異様な圧力を感じた。重力とはまた違った、地面へと向かう力だ。
彷徨が両端の建物を観察していると、腹部になにかが接触した。視線を向けると、立ち止まった心歌だった。
「なんかあるのか?」
「あれ」
心歌が人差し指を向けた。やや上向きだ。
彷徨がそれを追うように目を向けていくと、光が見えた。下から突き上げるように、集合した氷柱を逆さまにしたような光だ。距離はあるのに眩しいとさえ思えた。
なぜ今まで気付かなかったのか、と彷徨は不思議に思った。あれほどの強い光に気付かないはずがない。駐車場からでも充分に目視できたはずだ。それなのに、彷徨がそれを認識したのは、心歌が指で示してからだった。
「あれは、なんだ。どうして今まで気付けなかった」
「繋がっていなかったから」
心歌が振り向いて言った。
「なにが」
「彷徨と《世界》が」
「どういうことだよ」
「本当なら、あの魔術師と戦って、魔術を知るはずだった。彷徨の世界にはない力を、知識を、あるいは世界そのものを感じられるはずだった。だけど、彷徨が瞬殺しちゃったから失敗した」
「それで次の段階か」
「そう。あれは“精霊の光”」
魔術だの精霊だの言われて、彷徨は理解が追いつかなくなっていた。想像上の力としてしか認識していなかったため、実際にそれらしきものを見、それを説明する者が現れたことにより今までの認識を改める必要があった。
嘘偽りだと疑わずに信じられるのは、やはり心歌の《欠片の力》への耐性と、そしてなにより昼間だというのにさながら海外に移動してきたかのような満天の星が瞬く夜空のおかげだ。
「精霊といっても、あれは完全じゃない。半分ちょっとが現出しているだけ。それでも彷徨が認識をして、世界を繋げるのには充分」
「俺が、知らない世界を知ってどうなるんだ」
「遠くない未来の話、彷徨は《世界》に必要な存在になる」
「世界を平和に導きでもするのかよ」
心歌の言葉を思い出して、そう言った。皮肉のつもりだったが、しかし心歌はあっさりと頷く。
「彷徨がいなければ、世界は崩壊する。今のままだとそれは確定事項だけど、彷徨がいろんな人に出会って、いろんな世界を見ていけば、それは回避できる未来なの」
「そのために、お前は俺の前に現れたのか」
心歌は柔らかく微笑んだ。いまだ得体の知れない少女は世界平和のために動いていた。彷徨のいる世界を知り、彷徨のいない世界をもまた知っている。もしかしたら本当に魔法という幻想を使えるのかもしれない。
そう思えてしまうほどに、彼女は幻想的だった。
彼女自身が魔法であるかのように。
「俺は、なにをしたらいいんだ」
「あの光に、《欠片の力》をぶつけて欲しいの」
「それでどうなる」
「一人の少年の未来が変わる」
彷徨のこと、と考えるのが流れだが、しかしそうは思えなかった。別の誰かがあの光のもとにいて、その少年の未来が変わる、そんなふうに感じられた。いったいそこに誰がいるのかなんて彷徨は知らない。知る機会もないのかもしれない。今ここで、この瞬間に朽ち果ててしまおうとも彷徨にはどうでもいいことだ。
だけど、未来を変えられる、ということは、あるいはその少年はここで精霊に屈してしまう寸前なのかもしれない。
仕方がない、と彷徨は思った。
どこの誰かはわからないが、その窮地を救ってやろう、と。
彷徨の瞳に欠片が浮かび、淡い光を発した。
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