第20話 理解が開示する本性
心臓の鼓動は、その運動量とは反比例し、遅くなっていた。通常の人体の構造ならば運動をすれば、多くの酸素を必要とするためにそれを運ぶ血液の流れを速くする動きを心臓がする。だが、月宮の場合は違う。人の身にしては大き過ぎる力が身体を蝕み、身体機能を低下させていた。
長期戦はできない。
月宮はあのときと同じように、自身の崩壊をリスクとした戦いを強いられた。
相手は魔術や《欠片の力》のような人間の力ではない。神の使い、世界の意思などの呼称を持つ精霊だ。無茶をしなければ勝てないだろう。
魔術師本体を狙う戦いをしてきた月宮は、精霊を消滅させる戦いに切り替えた。
「むっ――」
ミゼットは変化に気付いたようだった。しかしその瞬間にはミゼットを防護していた翼が消滅した。ここで“精霊”そのものを破壊できたのなら良かったのだが、しかしそう上手くはいかない。相手は人間より上の存在だ。
接触していた「破壊」の力が強まったのと同時に、精霊はその翼をリングから切り離していたのだ。月宮の力が本体まで伝わることがなかったため、当然反撃の猶予を与えてしまったかたちになる。
この一連の動きで、一瞬だけ攻防の間が生まれた。ミゼットは翼の破壊に、精霊は切り離しのために、月宮は翼の切り離しのために、それぞれ思考が停止した時間があった。
だが、次の瞬間には、また戦いになる。
最初に動いたのは精霊だった。翼が消滅してできた一瞬の間に、上段の翼での攻撃を中断してその先端を、腰の周りに浮いていた剣の切先を月宮に向けた。
月宮は左に回避をしようとしたが、ミゼットが宝石で狙っていることに気付き、左に動くと見せかけて右に回避した。
月宮が避けなかった先は宝石の散弾が飛び、月宮がいた場所は四本の剣が地面を貫いた。一瞬の静寂の後に起きた反撃と回避。月宮の集中力は増し、そして内側からのダメージも徐々に進行していた。
精霊の裏側に回ろうとした月宮だったが、残った下段の翼が行く手に光を放つ。しかもその光線は地面を焼きながら月宮に迫ってくる。
今の状態の月宮なら問題ない攻撃。
さっきの攻防から考えて、なにか裏があると思うのが自然。
しかし、月宮は進むしかなかった。
長引けば、命はない。
生き残ったところで、その後に能力の副作用で終わりを迎える。
ハルバードを構え、向かってくる光線に振るう。
光は粒子となり消滅する。
だが、当然次の攻撃が待っていた。
光の帯。
月宮の目の前を通過したそれは四本あり、波打ちながら複雑に動いている。上下左右、そして斜め。残っていた本部の瓦礫を砕き、それは進行する。
ハルバードを前に構え、横目でミゼットたちを確認する。四つの帯は剣の刃の部分が開き、その間から放出されていた、上段の翼は月宮の進行方向に向き、次の攻撃の準備をしている。
ミゼットと視線がぶつかる。少し、表情が柔らかくなっている……気がした。
「他所見はいけないな」
その言葉に月宮は視線を戻す。光の帯が地面を貫き、そして勢いよく向かってきていた。光の帯の直撃はないだろうが、しかし足場を崩されていく。
「人の身にしては大きな力だ。だが、扱うのは人間。身体能力が人間を超えているわけではないんだろう?」
月宮は引こうとして、気付く。帯の数が減っていることに。
二本の帯が足場を崩し、残った二本と翼が月宮を射抜く算段。それだけではない、ミゼット自身もまた動けるのだ。
一対一の戦いに慣れていた月宮にとってこの状況は芳しくない。相手の切れるカードが多過ぎるため、考えが上手くまとまらないのだ。月宮は常に考え、行動する。それは相手を観察し、動きの癖を把握できているからこそできることだ。だからこそ回避も、反撃も瞬時にできる。
しかし問題なのは、精霊である。思考をトレースできる相手ではなかった。たしかに召喚者はミゼットだが、ミゼットが指示を出している様子はない。おそらく「月宮の排除」など簡単な指示を最初に出しているだけなのだろう。
さらにおそらくミゼットが月宮と同じスタイルという点も大きい。相手の思考パターンを把握し、活路を潰していく。この手のタイプというのは下準備に相当時間を入れ、だからこそ不意の事態に驚くことがある。
だからこそ、月宮は「月宮湊」であることをやめた。
右足が地面に接触したと同時に、進行方向をミゼットへと変更する。裏側に回るなど小賢しいことはやめて、直接対決に切り替えた。
「きみらしくない行動だな」
ふいに視界がぐらついた。足場が壊れたにしても、光の帯が近づいた形跡はない。ぐらつきが強くなり、すぐにその正体を掴んだ。足場ごと光の帯に持ち上げられていたのだ。月宮がハルバードで地面を突くよりも速く、帯は掴みとった地面を投げ捨てた。
足場だったものを破壊したが、そのときにはすでに正面の位置に戻されてしまった。
「あの場面、きみならば引くと思ったが、意外だった。私は完全にきみの思考パターンを掌握していたと思っていたから驚いた。まだまだ秘密がありそうだ」
月宮は持っていたハルバードを振り投げ、すぐさま新しいハルバードを出現させる。そして駆け出した。
投げたハルバードは光の帯に砕かれ、その破片が地面に落ちていく。
月宮は向かってきた光の帯を切り伏せた。
「それほどの力を持ち、なぜ神界に辿りつこうとしない。意識的、無意識的の差異はあれ、生きとし生ける人間すべてがそこを目指すというのに」
向かってくる精霊の攻撃をハルバードで裂くが、その質と量の多さに左手にナイフを出現させた。二本ともハルバードではやや動きが鈍くなってしまうからだ。
攻撃を掻い潜りながら、徐々にミゼットとの距離を詰めていく。
ただひたすらに。
余計なことを考えず、力でねじ伏せていく。
「どうしても私を潰そうというのか」
あと少しでまた刃が届く、という近さまで来たとき、月宮にとって一番有効な手を打たれてしまう。
翼は月宮ではなく地面にその先を向け、そして収縮した光を放った。その衝撃で地面が盛り上がり、一気に破裂した。月宮にとって大きな一撃は、たった一度だけ武器を振るえばいいが、細かい攻撃は対処しきれない。
衝撃自体を破壊することもできる。だが、それでも衝撃に乗った瓦礫は容赦なく月宮に襲いかかる。
月宮は左手のナイフを、顔を防ぐように構え、右手のハルバードを横一線に振るい、飛んでくる大地の散弾をなぎ払った。細かい攻撃は受けるしかなかった。内部からのダメージがあるだけに、外部からのダメージは避けたかったが、勝利への代償としては安いものだ。
勝利こそがすべて。
きっと彼ならそう思いながら戦っているはずだ。
予想以上にダメージを受けてしまい、月宮はハルバードを立てバランスを保った。ミゼットとの距離が少し開いていた。気付かない程度に仰け反っていたのだろう。
「誰もがなにかを背負って戦っている。きみもその一人だろう。そうでなければ――ただ生きたいのならば私と戦うことも、そもそも戦うということもしなくていい。そういう世界で生きればいいだけだ」
「お前は、なにを背負ってるんだ」
「人類の使命」
「……神界の到達か」
「そう。そして私がそれを達成すれば、人類は進化をやめる。この意味がわかるか? 無駄に命を狩り合うことも、消耗することもなくなる。人類の進化には命の代償が付きものだ。動物然り、植物然り、そして人間然りだ。それらがなくなることがどんなに素晴らしいことか、きみにはわかるか?」
神界に到達することは、神になることではない。魔術師は神にも等しい英知を求めているのだ。この世すべてを知り、この世ではないものを知る。人類の知識では何百、何千年とかかる夢を得ようとしている。
「わかるさ」
不治の病は不治でなくなり、飢餓で苦しむ人間もいなくなり、住む場所のない者に住む場所があり、会えない人に会えるのかもしれない。
「ならば、私の邪魔をしないでくれないか? 神界に到達したあかつきには、きみの背負っているものも、私が解消してみせよう。失ったものを取り戻してみせよう」
不幸の存在はなくなり、誰もが幸福になるのかもしれない。
答のない問題はなくなるのかもしれない。
いいことなのかもしれない。
いや、きっといいことだ。幸福で充満した世界は、誰もが望んだものに違いない。
だけど――。
「わかる……わかるさ。だけどお前が神界に到達し、神にも等しい英知を得たからといって、そういう世界にするとは限らないだろ」
「なに?」
「お前は、俺に言った。精霊の強さと美しさを見て欲しい、と。お前は力を得たとき、そうやって誇示しようとする。そんな奴が人のため、世のために力を使うとは思えない」
それこそがミゼットの本質だと、月宮は指摘した。月宮がこの戦いで彼を観察したかぎりでは、そうとしか答が出なかった。
「ふふふ――」
ミゼットがそれを皮切りに高笑いをする。
今までの落ち着いた彼からは想像もできない笑い方だ。月宮を馬鹿にしたような感じはしない。むしろ嬉々とした感情を受けてとれた。
「ああ――素晴らしい。きみという人間に出会えた運の良さに、私は感謝したい。初めてだ。初めて私という人間を理解する人物に出会えた。それがまさか機関の老いぼれジジイ共じゃなくて、まさかこんな子供とは」
「悪かったな、子供で」
月宮はハルバードを抜き取った。
「いや、悪くない。最高だよ」
今までミゼットの背後で位置を固定されていた精霊が前に動いた。ミゼットを守るように、あるいは攻撃に徹するために。
「いいだろう。きみが全力で私を止めるというのならば、私もそれに応え全力で抗わせてもらおう。殺す気などなかったが、きみをそれだけの脅威と認める。きみに勝てば、あるいは私は先へ進めるのかもしれない」
「残念だが、それはない」
「どうかな」
「お前の野望はここで終わる」
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