第19話 願望は理解の外側

「その魔術師は精霊なんか呼びだして、世界征服でもしようって言うのか?」


 充垣たちは姫ノ宮学園の正門まで戻ってきていた。充垣が拘束した快楽殺人者は精霊の光とやらのおかげで消滅したため、ついでに琴音の相手の魔術師だったものも処理しておこうという考えだった。わざわざ道を戻ってきたのは、月宮の戦いに巻き込まれたくない、と琴音が言ったからだ。


「そうかもしれない」


「断定はできないのか?」


「まあ、そいつ次第。魔術師としての使命を全うしようというのならば、それ以上を求めていて、精霊はその通過点に過ぎない」


「通過点?」


 琴音は蔑むような目を充垣に向けて、溜息をついた。


「少しは勉強したら?」


「帰ったらするわ」


 充垣は適当に流した。


「それで続きは?」


「……魔術師に限らず、人間というのは神界に到達することを目指しているの。魔術師は意識的に、他は無意識に」


「じゃあ、俺もか」


「うん」


「精霊とは関係ないな」


「精霊の話は、つまりこの神界に到達する方法で関わってくる。私たちは簡単に神界と呼んでいるけれど、それがどこにあるのかを知らない。精神的な世界なのか、あるいは物理的に存在する世界なのか、誰も知らない」


「まあ、たしかに」


「諸説の一つに、神界は人間界の外側に存在するとあって、まあ充垣にもわかるようにいえば、地球を包んでいる、くらいに考えてくれればいい」


 充垣は頭の中で、その様子を描いた。丸い地球が宇宙に浮かび、その地球の外側を包むように、卵の殻のようなものがある。


「ああ、なるほど」


「だから人間より上で神未満の精霊は、その間の世界にいるんじゃないかって言われている」


「殻が神界で、白身が精霊界で、黄身が人間界ってわけか」


「…………まあ、そんな感じ」


「つまり月宮の相手は、人間界から神界に直接行くんじゃなくて、精霊界を通って行こうとしているわけか」


「そういうこと。精霊の力を持ってすれば、人間界にいるよりも神界に近づけるだろうって魂胆」


「ふうん」


 正直、充垣は神界だの精霊界だのどうでもよかった。早く月宮が仕事を終えて、家に帰りたいという気持ちが強まるばかりだった。説明してくれた琴音には申し訳ないと思っているし、露見すれば殺されてしまいそうだが、充垣は気持ちに正直で強まるものを抑えられない。


 ハルバードを持つ手を右から左に変えた。


 空を見上げる。まだ午前中だというのに夜空が広がっているという違和感はなかなか拭いきれない。しかし滅多にない体験なだけに、ちょくちょく見上げて意味もなく観察してしまう。もしかしたら精霊の存在に気付いて、緊張しているのかもしれない。空気が最初とは全然違っていた。


 琴音は相変わらず、無表情だ。片手には魔術師の首の入った袋を持ち、ローブの裏にはその魔術師から奪った宝石が大量にある。心なしかご機嫌に見えるのもそれのためだろう。


 琴音の話を聞く限りでは。精霊界に到達することも困難で、人間界に呼び寄せた魔術師は多くはないというのに、彼女は気にしていない。詳しいだけに事態の重大さを理解していそうなものだ。


 充垣たちの所属する事務所は、世界のバランスを保つために動く。表向きには便利屋として街を駆け巡ったりするが、暗殺などの依頼ももちろんあった。《狭間の世界》、《裏の世界》、《表の世界》の三つを監視するのは、そういった理由をつけた方が簡単なのだ。依頼はあくまで建前で、その実は流れや動きを把握していた。


 そのことを考えれば、精霊の召喚などバランスを揺るがすのに充分な事態だ。月宮のペナルティがどうとか言っている場合ではない。明確に崩れたバランスを晒している状態なのだから、その魔術師と同じく利用しようとする者が現れてもおかしくないはず。


(まあ気付いても来ないか)


 事務所の存在を知らない魔術師はいないだろう。なにせそのトップは「最高」の称号を与えられた魔術師一族なのだから。


 しかしその名前だけでは抑止力としての役目を果たせないのも事実である。彼女自身が表に現れることが少ないことも要因の一つだが、それ以上に、魔術師たちがその使命を全うしようとしている。


 なにかを目指そうとする意志は共感できる、と充垣は思った。


「しっかし、月宮は勝てんのかねえ」


「それは月宮次第」


「なんだ? やりようによれば月宮にも勝ち筋があるみたいな言い方だな。相手は精霊で、人間より格が上なんだろ? 月宮の力で勝てるとは思えないけど」


「充垣は未熟なのは、内側を見ようとしないから」


「あ?」


「見たものがすべてじゃないってこと」


「たしかに月宮は得体の知れない奴だけど、あいつ、何度かオレに殺されかけてるんだぜ? それでまだ隠していることがあるっていうなら、馬鹿じゃねえか。それともなにか? オレになら殺されてもいいって意思の表れか?」


 全力を隠して殺される、なんてことは無様でしかない。充垣に限らず、誰でもそうだろう。自分の死が目前まで来ているというのならば、どんなことをしてでも抗うはずだ。それこそ回避する力があるのなら、それを使わない理由はない。


「月宮はそう思ってる」


 琴音は告げた。


「たぶん所員に殺されるのなら構わない、自分の力が足りないんだから仕方ない――そんなふうに思ってる。私のときもそうだった」


「んだそりゃ」


「でも、だからこそ強くなる。自分の弱さを知っていて、どこが劣っているのかに気付き、技術を吸収していく。月宮の頭の中には常に私たちがいて、私たちならどうするかを考える」


「こっちが手の内明かせば明かすほど、あいつは強くなるってか?」


「身体が技術を扱えればね。技術のトレースはともかく、月宮の長所は思考のトレースが的確であること。相手に合わせることも、その場面で誰の行動をトレースすべきなのかも、気持ち悪いくらいにわかってる」


「そうか……?」


 これまでの模擬戦等を思い出してみても、そんなふうに感じたことはなかった。認めたくはないが、たしかに月宮は強くなっている。少し……ほんの少しだ。変化の幅が小さいからこそ気付けないのだろうか。


 充垣は戦いのときにしか使わない頭脳を目一杯使うが、しかし月宮の得意とするトレースを見た憶えはなかった。


 立ち止まっていたことに気付き、琴音のあとを追うように歩く。


「別に月宮は、トレースした動きをそのまま使うわけじゃなくて、自分の色を添えるからトレースされた本人じゃないと気付けない。まあ充垣はどうせ気付かないけど」


「お前、さっきからオレを馬鹿にしてるよな?」


「バカなんだから仕方ない」


 少し前を歩く琴音の背を、ハルバードで引き裂けたらどんなに心地いいだろうか、と充垣は握る力を強めた。だが今の実力では不可能だということはわかっていた。琴音の強さは未知の領域だ。充垣が勝てない咎波ですらお手上げ状態なのだから、どうしようもない力の歴然の差。


 負ける戦いをしてはいけない。


 勝てる見込みがないのなら、手を出してはいけない。


 充垣は自分に言い聞かせて心を落ち着けた。


「ちなみに充垣の長所は、それ」


「あ?」


「心の扱いが上手い。抑える場面ではきちんと抑える」


 振り返りもしないで、簡単に充垣を見透かす琴音。本当は目が背中にでもあるのではないか、と疑いたくもなるが、そうだった場合衣服やローブで視界が塞がっていることになる。


 充垣はただ、化物の後ろをついて歩くことしかできなかった。

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