第4章

第18話 現実と願望の狭間

 周囲に反響音が鳴り、意識が不安定になりそうだった。


 月宮は突き出した二本の長剣でなんとか精霊の攻撃をやり過ごしたが、「破壊」の力が宿っていたそれは使命を果たして崩れ落ちた。あと少しでも攻撃が長引いていたら、月宮の姿は残っていなかっただろう。


 足もとの地面は月宮を始点に二本に分かれて抉り取られていた。


 たったの一撃で体力を根こそぎ削がれていた。いつもどおりならば、ただ能力の纏った武器を突き出すだけで魔術などを破壊できるのに今回は違った。握る手に力を込め、向かう勢いに負けまいとふんばった。全力を注いで、ようやくなんとか防げるレベルだ。


 胸に締め付けられたような痛みが走っていた。無意識のうちに「破壊」の力を強めたのだろう。その結果、月宮は人間としての枠を少し外れている。《欠片持ち》や魔術師と戦うために得た力が、月宮自身を蝕っていく。


「その瞳の色――どうやら本当にきみのようだな」


 月宮の瞳が赤く染め上がっている。警告を示されているが、しかし瞳の色を戻すわけにはいかなかった。今、能力を弱めれば間違いなく月宮は敗北する。現状でようやく「破壊」が精霊の攻撃を処理し切れている状態だ。少しでも弱めれば押し負けてしまうし、かといって強めてしまうと月宮湊という器が壊れてしまう。見た目の傷は完治しているが、しかしまだ「神の力」の器としては回復しきれていない。


 精霊が出現したことで、月宮はこのペナルティの意味を知った。ただ単純に月宮が苦手意識を持つ魔術師と戦わせるだけではない。


 どこまでできるのか、それを測ろうとしている。


 どれだけの価値があるのか、を。


 日神ハル、如月トモ、長月イチジクのためならば、月宮がどこまで自分を犠牲にできるかを。


「だが、あまり力を感じない。まだ全力ではないというわけか。いや全力を出せないわけがある、と考えるべきか」


 月宮とは打って変わり、余裕のあるミゼット。精霊の相手など無論初めてのため、月宮は状況を掴めていなかった。


「その赤い瞳というのは、あの事件を思い出すな」


 月宮の思考は一瞬停止し、ミゼットに向ける視線が強くなった。「あの事件」と聞いて月宮が連想するのは言うまでもなく、春の事件だ。月宮が「神の力」を得るきっかけとなったそれを、嫌でも思い出していた。


「お前、知ってるのか?」


 あの事件は、表向きは大火災として処理されているが、そもそもあの場にいたのは月宮湊と秋雨美空、そして“もう一人”だった。渦中にいたのはその三人だけれど、他に詳細を知っているのは愛栖やアイリスくらいだろう。事後処理の情報の隠蔽はすべて事務所が行っていた。


「知っているさ。魔術師ならば、あの事件を知らない者はいない。魔術機関を襲撃した赤い瞳を持った影のことを」


「か、げ……?」


「おや? その反応は、もしかしたら私たちが連想したのは別の事件のようだな。しかし私の知るかぎりでは赤い瞳が登場する事件はそれくらいだ。特にきみが驚くような事件となれば最近のことだろう。さて、きみはなにを連想したんだ?」


 もちろん言えるわけもない。思い出すだけでも心が押し潰れてしまいそうなのに、言葉にしてしまえば、また引き起こされてしまうような気がしてしまう。月宮にとってそれは命をかけてでも回避したいことだった。月宮に守らなければならない約束がある。


 秋雨美空を守ること――その約束が、月宮の行動理由のすべてだ。


「答えない……か。きみはそればかりだな。今ならば無理にでも言わせることができるだろう」


 月宮はその言葉で、身を強張らせた。次の攻撃の準備を、あるいは攻撃を受ける準備を整える。


「――が、しかしきみはそれでも無回答を貫くだろう。無回答のまま消滅するのだろう。それはいささかもったいない。私はきみに興味がある。もう少し話してもいいかい?」


「好きにしろよ」


 月宮はそう言って駆け出した。右手にナイフ、左手にハルバードを出現させる。


 黙っていても、月宮の魂は神界の色に染まり、身体に戻したときに深刻なダメージを与える。ならば長期戦覚悟で、短期戦を挑むまでだった。短期戦の戦い方でも、長期戦を意識すれば自然と体力の無駄な消費を抑えられる。これは琴音との模擬戦で学んだことだ。


 ミゼットはまったく動じない。


「それならば、勝手に話そう。まずはどうやって精霊を出現させたか、だ」


 ミゼットの背後にいる精霊の翼が月宮に向けられ、また光が収縮されていく。ミゼットは距離を詰められているというのに動じない。精霊の力を信頼しているために、自分で手を出す必要もないと思っているのかもしれない。


「宝石には星の魔力が宿っている。星の魔力は、人が持つ魔力よりも純度が高く、そして強力だ。簡潔に例えれば、魔力を水とするならば、人の魔力の1リットルは、星の魔力の1ミリリットルにも満たない。故にこれは、ほとんど別物だと考えるのが普通だ」


 翼の先に収縮された光が放たれる。空気を裂き、その神々しい光が月宮の視界を埋めようとしていた。


 月宮は右に飛びこみ、身体を光に向ける。耳を劈くような高い音と衝撃が月宮を襲った。


 この放たれた光は、月宮の回避速度では直撃は免れない。普通に飛び込んでも下半身が呑み込まれてしまうだろう。そのため、月宮は身体の正面を向け、そしてハルバードの刃をぶつける。


 精霊の攻撃をやり過ごすためには、身体のすべてに力を込めなければならない。今の「破壊」では処理が追いつかないためだ。だがそれは、正面から防がなければ体力を消費しなくていいということだ。


 精霊の光と、「破壊」が宿ったハルバードが反発し、月宮の身体は勢いよく後退した。これにより射線から大きく外れることになる。


「宝石を使った魔術は見てのとおり、広範囲に夜を再現することも可能だ。綺麗なものだろう。しかし、これを狭範囲にした場合、あることが起きる。強過ぎる力故に、空間を歪めてしまうのだ」


 ハルバードを地面に突き立て、後退する勢いを殺し、殺しきったところでまたミゼットに向かって駆け出した。左側ではまだ光での攻撃が続いている。


「もともとこの地は、きみによって歪められていた。空間に、世界に穴を開けることは難しくなかった。夜空に広がる星の力、宝石の持つ星の魔力を持ってすれば、“精霊界”とこの世界を繋げられることが証明された」


 目前にまで迫ったミゼットに向けて、月宮はハルバードを振り下ろした。だが、その直前に精霊の下段の翼がミゼットの前に広げられ、刃を遮る。


「それで、お前はなにをしようと言うんだ」


 月宮はハルバードに込めた力を強める。


「なにを? 変なことを訊くんだな。きみならわかっているだろう? 魔術師の願望、人間の進化の到達点、そのすべては“神界”に行くことだ。きみには、わからないのかもしれない」


「わかりたくもない」


「きみは、すでに到達しているから、理解する必要がないんだ。ああ、やっと理解した。精霊との一体化によって新たな知識を得たようだ。きみのその力が、神のものだということも、今の私ならば受け入れられる」


 私もすぐにそこへ行こう、とミゼットは言った。


 その言葉には絶対の自信、そして確信が感じられた。迷いなどなく、ただひたすらに目的地に向かっている。


「まさか、お前……」


「さっきも言っただろう。神界への到達は、魔術師の願望だと」

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