第8話 導くのは底知れぬ歌
雪柳彷徨(ゆきやなぎかなた)の瞳には、欠片が浮かび上がっていた。《欠片持ち》の証であるそれが発現するのは、覚醒時と能力使用時のどちらかであり、現状は後者だった。相手を目で追いながら能力を使用するが、一向に当たる気配を見せない。それどころか、直撃させることができないとさえ思い始めた。
「だから言っているでしょう。私にはあなたの能力が効かない」
その少女は能力を避けようとはしていない。その場に直立して、彷徨の目を見据えているだけだ。
自分の能力が発現していないということは、少女の周囲のものが見事に粉砕されていることが証明していた。テーブルや椅子など、ほとんどがその原型を留めていない。それなのに、少女は当たり前のように立っている。
「まだ試すつもり?」
少女が問い掛ける。
「そろそろ私の話を聞いて欲しいんだけど」
彼女の瞳には欠片が映し出されていない。つまり能力を能力で相殺しているわけではないということ。
目の前でなにが起きているのか理解できない。
なぜ、なにも起きていないのかがわからない。
突如として現れた少女の話に耳を傾けるのは気が引けたが、どうやらそうしないといけないようだ。彼女も話したいことがあり、こちらも訊きたいことが山ほどある。彷徨は下なく能力の使用をやめた。そのときには家具のほとんどを粉砕してしまっていたが、また買い直せばいい。たいした損害ではない。
「ようやく話を聞いてくれる気になったみたいだね」
「名前は?」
「心歌(しんか)。心が歌うで心歌。年齢はたぶん十四くらい」
心歌と名乗る少女は、淡い赤色の和服を着ていた。帯は黄色い。たぶん浴衣だろうとは思うが、詳しい名称はわからない。顔はやや丸顔で、幼さを表していた。黒髪は輝き、後ろ髪が逆立っており、バレッタかなにかで留められていると思ったが、ときおり見える小さな光で、簪(かんざし)で留めているのかもしれないと思い直した。
「なんの用でこの家にいるんだ」
「あなたに話があるから訪ねたんだよ」
「親父の差し金か?」
彼方の父親は、この街で《欠片持ち》の研究をしていた。そのため《欠片持ち》である自らの息子を度々、研究室に呼び出すこともあった。今回もその類であろう。
彼方の父親にとって、彷徨という人間はただの研究対象でしかなく、それ以外のものには見えていない。それ以外に見えていないから、大切にされている。彼方の望むことは叶えられてきたし、おそらく平均以上の生活環境を与えられている。
不満に思ったことはなかった。運が悪かったとも思っていない。
「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える――あ、ここ、座ってもいい?」
心歌は無事に生き残っているソファを指差した。彷徨が頷くと、上品に座った。
「詳しく話してくれ」
彷徨もソファに座った。テーブルを挟んだ、対面した形だ。
「あなたに話はあるんだけど、まだ詳しくは話せないの」
「いつなら話せるんだ」
まだ、という言葉を受けて、彷徨は言った。
「お前はなんなんだ」
「私はあなたを助けるために、あなたの未来を――」
心歌は首を横に振った。
「あなたを導くためにここに来たの」
「助ける? 導く?」
「信じてはもらえないと思ってる。だけど、近い将来にあなたの本当の力を必要とする人が現れる。だからそのために、そのあとのために、私はあなたとともにいないといけない」
「未来視ができるのか?」
「そう、それに近いことはできる。だけど結局見ることしかできないから、そのために今私ができることを少しずつやるしかない」
「それが俺を導くこと」
「あなたを正しく導くことは、この世界の今後に大きく影響することになるわ。今でも充分にその『重力』は、世界に影響を与えかねないんだけど」
彷徨の能力は『重力』は、たしかに力の加減を間違えれば大災害クラスの被害を出すことができる。父親が研究者でなければ、一度は確実に起こしていただろう。力の使い方を、制御の方法を子供のときから、言い聞かされ、憶えさせられていたために、いまだに重力で押し潰された街はない。
研究者たちが彷徨を実験体、被験体として選ぶのは、研究者の息子であることもあるが、その最たるは『重力』という力の珍しさ、神秘さからである。この星で生きている限りは逃れることのできない力。圧倒的で、絶対的な力。科学技術の進歩のために、ある分野では彷徨は重宝されている。
人間相手に使ったことがないはずがなかった。初対面の心歌に対して使用したように、彷徨は誰であろうとその能力を発揮する。もちろん、強弱は考えている。後に面倒にならないようには配慮していた。
「お前は何者なんだ。なぜ能力が効かない」
「ごめんなさい。それもまだ話せないの」
「……他に話せることは?」
「しばらくここに住みます」
予期していない答えに、彷徨は眉をしかめた。
「さっきも言ったように、あなたを導くのが私の役目の一つで――ううん、そうじゃなくて……でも、うん、やっぱり、そうなるのかなあ」
「頼むから自己解決だけはやめてくれ」
「あなたに選ぶ権利があるわ。私を信用してくれるかどうか、それだけを決めてくれればいい」
薄々勘付いていたけれど、目の前の浴衣少女との会話は成り立っていない。なにも知らないこちら側に対して、信じさせようという気が感じられなかった。信用を勝ち取ろうとする気もない。一方的に話すだけで頷いてもらえると思っているのだろうか。
彼女の言葉を思い出す――たしか、十四歳だと言っていた。見た目からしてそのくらいの年頃である可能性は高い。もちろん彷徨には、見ただけで相手の年齢がわかるなどという愉快な技術はない。あくまで一般的に見れば、という話である。仮に告げた年齢であるとして、この話術のなさが、はたして年相応であるのかも判断できない。
彷徨の観察の視線から、彼女は逃げなかった。なるほど、と彷徨は思った。
心歌はおそらく、彷徨が頷くと確信している。出会いがしらの接触によって、すべてが決定していたのだ。
最初から、信用を勝ち取ろうとは思っていないのだ。それは彷徨が彼女を信用するはずがないとわかっているから。明らかに不審な少女を、赤の他人がそう簡単に信じるわけがないと高を括っている。
彼女が求めているのは、信頼や信用で繋がる絆ではない。
互いを利用し合う関係だ。
なぜ能力が効かないのか話さないのはそのためだ。そう考えると、彼女が話せないのは、嘘ではないらしい。意地でも彷徨の傍にいようとするためのカードを保持している。交渉の段階で少しずつ切っていくつもりなのだろうが、しかしそれですべてを打ち明けることはしない。そのカード群も切り札ではない。まだなにかを隠し持っていると考えるのが妥当であろう。
さて、と彷徨はさらに思考を巡らす。
自分の推論が間違っているとは思わないが、それが完全な答えではないこともわかっている。わかった上で、どう返答するのかが大切だ。
まずは認めることが先決だろう。
静かにこちらを見据える十四の少女が、自分よりも上である、と。
この数十分の対面で、彷徨の脳内は彼女のことで埋め尽くされている。そこにあったはずの純粋な彷徨の思考はすでに失われているのだ。汚染されたと換言してもいいだろう。
気付いたときには手遅れ。
彷徨は心歌に捕縛されていた。
逃げ道などない。
「わかった。お前を信用して、この家においてやる」
もちろん嘘である。信用などしているはずがない。けれど、そう言わなければならなかったし、いずれそう言う状況に持ちこまれてしまうのなら、今の内に観念した方が、時間的に有意義だ。
「本当に? ありがとう」
そう言って、心歌は軽くお辞儀をした。
「部屋は、俺の部屋以外は好きに使ってくれ。親父のことを知っているようだったからわかっていると思うが、基本的に親父は家には帰ってこない」
「わかってる。雪柳博士が研究で多忙なのは周知のことよ」
「それで、お前に能力が効かないのはどうしてなんだ。俺の能力だけが効かないのか?」
「私には《欠片》の能力は効かない。それは《欠片》が不完全な存在であるから……簡単に言えば、弱点があるのね。私はそれを知っていると思ってくれればいい」
「そんなものがあるとは聞いたことがない」
「そうね、もうしばらく発見には時間を要すと思う。だからこれは他言しないでもらいたいの。それに、私があなたに見つけ方を教えることもない」
「お前についてはなにを聞いても無駄ってことか」
「ごめんなさい。でも、あなたが私を見て、学び取ることは構わないわ。それはもう私がどうこう言えるようなことではないし、あなたが私のレベルに達することができたってことだもの」
どうやら、彼女のレベルに達することができないようだ。それは彼女の態度、言動から読みとれた。
「じゃあ俺の能力については、どの程度教えてもらえるんだ。導いてくれるんだろ」
「名前で呼んでもいい?」
心歌はいきなり訊ねた。
「あなたって言うの、あまり好きじゃなくて」
「呼び方は好きにしてくれ」
「彷徨も私を好きに呼んでくれていいよ」
「お前はどのくらい先の未来を知っているんだ」
「素晴らしい返答だね」
心歌は、そこで初めて微笑んだ。
「見えても一年くらい。知っているのは、その一年が一年ではないこと」
「どういう意味だ」
「それはまだ話せない」
「話を戻すぞ。導くというのは、具体的にどうすることなんだ」
「彷徨にはいろんな出会いが必要だと思う。だからその手伝いを私がするの」
「出会い?」
「まずはもっと《世界》のことを知ってもらおうと思ってる」
「どういうことだ」
「答えは明日」
心歌は微笑んだまま告げる。
こうして、彷徨と心歌の不思議な関係が生まれた。
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