第2章
第7話 運命に導かれた計画
ミゼット・サイガスタは、姫ノ宮学園とは少しばかり縁があった。
《世界》の研究をしていたために、向こうから情報交換、共有をしないかと持ちかけられたのだ。当時はまだ自身の研究が中盤でしかなく、一人では先へと進めなくなってしまっていた。そのため、ミゼットは学園からの申し出に了承した。
しかし、その情報交換は有意義なものではなかった。
知識、情報量は圧倒的にミゼットが上回っていたし、そもそも学園はミゼットとは異なった研究をしていた。故に、ミゼットが研究成果のすべてを語ることはなかった。学園側からの有用な情報を手に入れ、波風立たせずにそれとなくやり過ごそうと思った。
それとは打って変わって、学園側は自分たちが成そうとしている目的を詳細に語った。話を持ちかけてきたのだからそれくらいは当然であり、ミゼットもそう思って聞いていたが、しかしこれは失敗だった。姫ノ宮学園は、ミゼットを取り込もうとしていたのだ。魅了させようとした。たしかに双方の研究は異なっていたが、それは目的のためであり、根本的には同じだ。どちらもやはり《世界》に関わること。ミゼットは魔術師としての使命を果たそうとすべく、学園は自分たちが崇め称える神のために、研究を続けてきた。
相手が悪かった、とミゼットはそのとき思った。
もっとも、なにより悪かったのは気まぐれを起こした自分自身だった。
魅了されてしまったのだと負けを認めてもいいくらいだ。
《終焉の厄災》の前に敗北した。
そこに自分の求める答えがあるのだと確信した。
交換は有意義ではなかったが、語り合いは有意義だった。
そして気付けば、姫ノ宮学園に技術協力をすると約束をしていた。
あれから数年。
久しぶりに訪れた姫ノ宮学園は、すでに荒廃していた。その形を残したままだが、輝きは失われている。《終焉の厄災》のことを嬉々として語る人間は誰も残ってはいなかった。
彼らは目的を遂げたのではない。
夢半ばに、終わった。
ミゼットは彼らに感謝していた。その夢半ばに終わったことが、ミゼットにとっては好都合だったからだ。運が良かった――いや、計画どおりだった。彼らの目的である《終焉の厄災》の復活は、正直に言えば好ましいものではなかった。世界を滅ぼしかねないその脅威が出現すれば、目的が達成できなくなってしまう。あの現象の前では、あらゆる技術が無意味だ。ミゼットは身を持って体験していた。
当初の計画どおり、世界のバランスを微小ではあるが変化させることができた。姫ノ宮学園がミゼットの助言に従って術式を組み上げていたのなら、こうなることは必然だった。基盤となる術式は与えた。その基盤を捨てて、新たな基盤にした可能性は少ないだろう。
持っていた杖を置き、近くにあった端材に座りこんだ。杖の先端には白墨が装着されていて、今までそれを使って魔法陣を描いていた。十数年以上の時間をかけてようやく辿り着いた答えだ。まだ試行していないが、それはその必要がないからだ。
絶対的な自信がある。
この魔術は成功すると。
本来ならば魔術師が一生をかけて、世代を超えてでも到達したいと願う領域へと、この年齢で足を踏み入れることができるのは、言ってしまえば元も子もないが、運がよかったからに他ならない。
様々な事象が重なり、
人々の想いが交差し、
その結果として今がある。
ある者は「努力の恩恵だ」とか「努力が運を引き入れた」などと言うだろうが、しかしミゼットはそれを否定する。断じて否だ。
運とはただそこにあるだけで、引き入れることも、手放すこともできない。そう生きてきたから、そうなっただけであり、そう生きてきたからこそ、そうなることができたのだ。
それがたまたまミゼットだった――ただそれだけのことだ。
魔術師の願いなど、その程度。
人間の希望など、その程度。
ミゼットは呼吸を忘れていたような気がして、わざとらしく呼吸をした。空気が体内に侵入していく。この感覚はなぜ意識できなくなるのだろう。
辺りは静まりかえっていた。かつて数千もの人間がいたとは思えないほどだ。
二、三度この学園を訪れたことがあった。そのときはたしか、新人教員という表向きの肩書きだったと記憶している。そのような肩書きが必要だったのは、ミゼットがこの学園の様子を見て回りたかったからだ。どのような人間が生きているのかを知りたかった。
しかし、どんな狂人たちが住んでいるのかと思えば、なんてことはない普通の人間たちだった。とても《終焉の厄災》を崇拝しているとは思えなかった。ミゼットは狂信者を直に見たことがあったが、彼らは穏やかな生活など送ってはいなかった。狂ったように叫び、狂ったように自身を傷つけ、狂ったように他者を殺傷した。
そのイメージが姫ノ宮学園の人間には重ならなかったために、ミゼットは余計に彼らに畏怖の念を抱いた。彼らは一線を超えているのだと一目で理解した。
この世界に生きながら、この世界にはいない。
生きながらにして死んでいる。
ミゼットがそれをたしかに感じ取れたのは、ある十二人を見たからである。姫ノ宮学園は彼女たちについて詳細に語らなかったが、他の大多数の人間とは異なった存在であることは一目瞭然であった。十二人の誰もが実力者であることが見て取れたが、中でもミゼットが絶対に相手にしたくない者が一人いた。
水無月ジュン――彼女の名前だけは憶えている。
いや、忘れることができないのだ。
見た目は年相応の姿でしかないのだが、しかしその内に秘められたものが彼女をそう見えさせなくしていた。ミゼットは数多くの魔術師を見てきた。才能のある者、努力を怠らなかった者――誰もが尊敬に値する人物だ。言い換えれば、尊敬ができるレベルの者たち。ところが水無月ジュンという少女は尊敬を超え、ただただ恐怖だけを与えてくる。意図してのことではないだろう。ただ、見る者が見れば、彼女の存在がどれだけ大きいのかがわかる。恐怖を抱いているのに目が離せない――それはただの怖いもの見たさではなく、どう足掻いても彼女に惹かれてしまうのだ。
彼女はミゼットが初めて化物だと思った人物だった。
同じ人間とは到底思えないほどに遠い存在。
しかしそんな彼女ももういない。
姫ノ宮学園は、壊滅した。
ミゼットは生きていることを確かめるかのように、ゆっくりと呼吸をした。肺に空気が到達したとき、まだ生きていることを実感できた。
もうすぐだ。
もうすぐ、研究成果を試すことができる。
気がかりなのは、事務所と呼ばれる組織のことだ。もしミゼットがすでに《狭間の世界》にいることに気付いているのならば、もう行動を起こしていることだろう。魔術機関からなんらかの情報が送られているはずだ。
「まったくもって、面倒だ」
ミゼットは呟いた。
研究に賛同してくれている者や、ただの快楽殺人者などとも同行しているが、はたして彼らはどこまで時間を稼いでくれるだろうか。《欠片持ち》と呼ばれる能力者との戦闘経験は皆無であろうし、高確率でその目で確認したこともないだろう。だからこそ、同行したというのも充分に考えられるが。
まあいい、とミゼットは考えることをやめた。
考えても仕方ない。
結局のところ、最後にものを言うのは運なのだから。
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