第6話 宣告された言葉の重み
頭に疑問を、心と身体に疲労を残したまま、月宮湊は事務所へ戻った。月宮の体力が戻ったことに気付くと、充垣は苛立ちの目を向け立ち去り、咎波は気をつけて帰るようにと促し、琴音は無言のままその場をあとにした。
灯りがあったが、誰一人としていなかった。不用心とは、いまさら思うこともない。いつも通りなのだ。単に鍵をかけることを知らない者たちばかりなのか、あるいはそれなりの監視体制ができているのか、それは月宮の知る由もない。
ソファの背もたれに首を預け、目一杯に脱力をする。誰もいないからこそ気を抜けないはずなのだが、誰もいないからこそ気を抜きたくなる。緊張の糸が徐々に緩んでいくことがわかった。張り過ぎていた反動なのかもしれない。元の形状に戻ろうとしている。それとも、それ以上か。
なんにせよ、今日も今日とて疲労困憊だと言うことだ。
目を閉じた。
咎波の言葉が思い出される。
充分な休息が必要なことはわかっている。身体が、強くなりたいという思いについていけていない。いつ崩壊してもおかしくはないのだ。もしかすれば、すでに崩壊は始まっているのかもしれない。
琴音の言葉が脳裏を過ぎる。
まったく……、と月宮は口には出さずに呟いた。
あの二人に敵う自身はなかった。人の心を見透かしているかのようだし、あるいは少し未来が見えているかのようでもある。簡単に相手の本質を見抜く。それは相手にもよるだろうが、しかし見抜けない相手の方が少ないのではないかと思えた。
咎波は琴音を別格として見ている。月宮たちには見えていないなにかを、彼女から感じ取っているのだろう。生命を揺るがすそれが見えているために恐れている。月宮と充垣にはそれが見えないために、彼女からなにも感じ取ることができない。もちろん、琴音本人が本質を隠している可能性も充分にある。むしろそちらの方が可能性としては高い。
もし彼女の内側を見てしまったとき、月宮は今のままでいられるだろうか心配だった。これまで通りの付き合いを続けられるのか、彼女に刃を向けるという愚かな行為を犯してしまうのでないか。
生命の危機を感じ取ったときに、相手に刃を向ける傾向があるかもしれないと月宮は思っていた。今日はそうだった。たしかに充垣の命を狩り取ろうとした。
水無月ジュンにはどうだっただろうか。
刃を向けていただろうか。
本気で生き残ろうとしただろうか。
闘っていたのか。
なにと?
誰と?
水無月ジュンは闘っていたのか。
刃を向けてきていただろうか。
本気で生き残ろうとしていたのだろうか。
巡る思考を、月宮は簡単に遮断し、流れを止めた。あのときのことは、月宮にとっては苦いものだった。できれば思い出したくないことだったが、それは容易に、脳裡に姿を現す。やはりそれは、彼女の存在が、月宮の中であまりにも大き過ぎることが要因だろう。
三人目だった。
心に深く刻みつけられたのは。
目を開くと、目の前が真っ暗だった。真っ暗だと思った。しかし、鼻先をくすぐるもので、それが人であることがわかった。金色の髪が垂れ下がっているのだ。そして文字通り目と鼻の先に顔がある。
「起きた?」
アリスが訊いた。
「初めから寝てない」
「考えごと?」
「ああ」
「当てましょうか?」
「いや……、いい」
「そう」とアリスはつまらなそうに言い、顔を退けた。照明の光を遮るものがなくなり、その眩しさに月宮は目を細めた。
「どこに行ってたんだ?」
月宮は正面に向き直した。ちょうどアリスがソファに腰掛けていた。
「資料室?」アリスは首を傾げた。
「なんで疑問なんだ」
「あまり深く訊かない方がいいわよ? 湊はまだ綺麗でいたいんでしょうから」
「俺は……、そんなんじゃない。お前もわかってるだろ」
「そうかしら。私から見れば、全然綺麗な方だわ。私だけじゃない。所員たちからすれば、あなたはまだその辺の高校生と大差ないのよ。いくら人外の力を持とうとね」
「お前はそうは見えないな」
「私は、彼らみたいに前線に立つわけじゃないし、湊みたいに陽動の役割を持っているわけでもないから、それは仕方ないわ。ただ、私は人を傷つける以上のことを、傷心することなくやってる。私は、自分の役割が、あなたたち以上に外道だと思っているわよ。人として外れ過ぎている」
そうかもしれない、と月宮は思ってしまった。アリスの能力は、相手の存在そのものを脅かし、さらにそれに繋がる者たちにも影響が及ぶ。今までの時間を、これからの時間を、左右する力だ。
記憶とはそういうものだ。
彼女の能力は『記憶』の操作。
抹消することも、閲覧することも、改竄することもできる。
月宮はその力を目の当たりにしたことがあった。
能力の使用を頼んだことがあった。
それも、個人的な理由で――。
月宮の思考を察してなのか、アリスは笑みを浮かべた。そこにどんな感情が内在しているのかはわからない。この事務所にいる人間で、アリスと同様の笑みを浮かべるのは充垣だけである。そもそも所員たちは笑みを浮かべることが多くない。皆無とさえ言える。充垣とアリスは別枠なのだ。ただ充垣の場合、その笑みに含まれる感情が如実に表わされるために、彼がどう思っているのかを把握するのは容易である。彼は決して感情を押し殺そうとはしない。しかしアリスはその逆だった。笑みを浮かべても、そこに感情などない。ないように見せている。
月宮たちはこうした相手と対面することで、その相手がなにを考えているのか、なにを思っているのかを察していくようになる。あるいは、それは月宮だけかもしれないが。
「まあ、私の外道っぷりの話はこの辺にしておいて」
アリスはそう言って立ち上がった。そして棚から一つのファイルを取り出し、月宮に渡した。
「これが姫ノ宮学園についての資料よ。まだ目を通していなかったでしょ」
ファイルを受け取り、順当に目を通していく。そこには姫ノ宮学園のその後、つまり月宮が関わった事件の後処理についてまとめられていた。情報操作があったのは知っていたが、表向きにも、すでに学園が閉鎖していることは知らなかった。あれだけの異質を放っていた組織が閉鎖したところで、大きな騒ぎになることもないようだ。
ページを捲っていくと、それを見て、思わず手を止めてしまった。
落書きのようだと思った。
「これは?」
「それは姫ノ宮学園に残されていた数少ない資料の一つね。それとあと二枚、同じようなものがあるわ」
たしかに植物や動物などが描かれたものがあった。なにかの暗号だろうか。しかしそれにしてはあまりにも複雑すぎる。この絵から繋がりを見出すことができるのか疑問に思った。
「隅っこの方にページ番号みたいなのがあるでしょ? それ、なんだと思う?」
「そのままページ番号じゃないのか?」月宮はその番号を見た。『6』、『9』、『12』の三つの番号がそれぞれの用紙に記されていた。
「そうじゃなくて、なにか思うことはないかってこと」
「ああ、そういうことか」
月宮は言う。
「『3』がないんじゃないか?」
「どうしてそう思ったの?」
「いや、ぱっと思いついたことを言っただけで、深い意味があったわけじゃない」
「そう」
アリスは顎に手をあて、少し考える。そして頷いた。
「ありがとう。その意見は参考になったわ」
「なるのか?」
「ええ。湊は気にしなくていいわ。これは私の仕事だから」
月宮は壁に備え付けられている振り子時計を見た。今でも動いているのが不思議なほど古いもののように見えるが、そういうデザインなのかもしれない。
「帰るわ」
月宮は、資料の整理をしているアリスに言った。
「お疲れ様――あのこと、きちんと愛子から聞いてる?」
アリスは資料から目を離さずに言う。
「ああ、聞いた」
「準備だけは怠らないでね」
「……わかってる」
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