第19話 家族のために

 如月は、月宮の背を見届けたあと、力が抜けたように長月の隣に座り込んだ。


 体力的にも、気力的にも限界だったのだが、どうしても月宮の前では気を緩めることができなかった。気が楽になったといえば、彼に失礼だが、しかし本当に楽になったのだ。無理矢理気を張らされていた分、余計に疲労が増していた。さっきまで震えることを忘れていた膝が、今は嘘のように震えている。


 隣にいる長月はなにも言わない。


 長月の腕と足には、丁寧に包帯が巻かれている。長月が自分でやったとは思えないので、これは月宮がやったのだろう。怪我の個所から見て、行動を封じられ、口だけは動かせるようにさせられたのだ。情報を引き出すために、話している途中で倒れてしまわないように、簡単に治療した。


 顔には出ていないが、長月は相当悔しがったと思う。ここまで完膚無きにまでやられ、そして敵に治療されるなど、この上ない恥である。拒みたかったはずだ。治療をされるくらいなら死んだ方がましだ。そう思ったに違いない。


 それでも治療を受けたのは、月宮のどこかに惹かれたのだろう。憧れのようなものを感じたのかもしれない。長月はそういう一面をあまり見せないから、それが事実かどうか図りかねるが、充分に考えられる線だ。


 二人の間に、沈黙が続いた。


 そして、それを破ったのは長月だった。


「メイは……、メイはやはり死んでしまったのですか?」


 それは如月が最も訊かれたくない質問で、最も答えなければならない質問だった。本当ならば、自分から言わなければならないのに、その辛い役目を長月に押し付けてしまった。


 長月の顔を見ることができない。


 どんな顔をしているだろうか?


 いつものように無表情?


 それとも、珍しく感情を外側へと押し出しているのだろうか。涙を流しているのだろうか。それを確認することができない。


 申し訳なくて、できなかった。


「……うん」


 如月は震える足を抱える。


「殺されちゃった。なにも残らず、消されちゃった」


「そう、ですか」


「私を責めないの? 負けるとわかっていて、死ぬ可能性をわかっていて、めーちゃんを連れて行ったことを怒らないの?」


 長月には、ある程度のことは話していた。皐月と共に、月宮の仲間であろう人物を叩きに行くと。その代わりに、長月を月宮に任せると。しかし、如月が抱いていた不安を離すことはなかった。勝敗のこと、生死のことを話してしまえば、長月の行動を縛ることになってしまうからだ。おそらく、自分も行くと、あるいは如月たちを行かせはしないと、その腕を掴んだはずだ。


 だが、それは叶わない。


 月宮も、そしてあの魔術師も、放置しておくのは危険だった。特に魔術師の方は、得体も知れないし、知ることができなかった。月宮の場合、ある一点において、情報が隠蔽されていた。しかし、魔術師はすべてにおいて隠蔽されていた。なにも情報がない。不自然なまでに、情報が一文字も検出することができなかった。


 どんな生き方をすれば、そうなるのか。


 どんな生き方をしなければ、そうならないのか。


 如月にはまったくわからず、ただ気持ち悪さだけが胸の内に残るだけだった。


「怒る必要がありません」


 長月は抑揚のない声で言う。


「私だってわかっていなかったわけではありません。察していながら、止めなかった――いや、止められなかったのでしょう。トモ、気付いていましたか?」


「なにを?」


「トモはあのとき、つまり駅前に行くと告げたとき、私のことを見ていませんでした。トモが他人と目を合わせて話さないときは、大抵、隠しごとをしているときです。それも、本当に言えないことを胸に秘めているときだけ。子供のころからのあなたの癖ですよ」


 長い付き合いだからこそ、如月の秘めごとを看破したのだろう。


 自分自身のことは誰よりもわかっているはずだった。そうしなければ、まともに生きていけるとは思っていなかったからだ。


 姫ノ宮学園に集められた少女たちは、全員が孤児である。両親の名前を知らないのは当然として、自分の本当の名前すら知らない者もいる。


 自分の身を守れるのは、自分だけだった。だから、生きるために、生き残るために、あらゆる技術を得ようとした。その果てが、盗みであり、殺しである。自分たちに合った技術で、生き残るしかなかった。


 自分の得手、不得手を知っておく必要があった。


 姫ノ宮学園に拾われたのがいつのことだったか、如月は憶えていない。そもそも自分が何年生きているのかだってわかっていないのだ。


 何年間、荒んだ生活を送ったのかなんて、憶えようともしていない。日が昇り、日が沈む。一日なんて、そう感じるだけだ。それが何回繰り返されたのか、憶えているはずがない。


 だが、自分がそうじゃなくなったのは、一日を一日と感じられるようになったのは、間違いなく、日神ハルの存在があったからだろう。


 きっと十二人全員がそう感じているはずだ。


 だから、命をかけてまで日神ハルを守ってきた。傍にいた。傍にいさせてもらった。そこが心地よかったから、温かかったから……。


 自分たちを家族だと言ってくれたから――。


 家族だから、他人に目を向けることができるようになった。今まで自分のためにしか生きてこなかった者たちが、他人に目を向けたのだ。


「それにトモ」


 長月は続ける。


「最後に決めたのは、メイの方でしょう? メイが自分からやると言ったのなら、それを私がどうこう言える義理はありません。それはトモだってわかっているはずです」


「わかってるよ……。私は――私はきっと責めて欲しいんだと思う。叱って欲しいと思ってる。あのとき、決断に迷った私を、殺して欲しいと思ってる」


「なにがあったんですか? 『6』の名前を知っていたのは、憶えていたのには、理由があるんですよね。私の中の彼女は、記録での存在でしかないようですが……」


「忘れているだけだよ。そう、忘れさせられているだけ。そして、思い出させないようになっているだけなんだ」


 如月は続ける。


「魔術師と戦ったんだ。黒い、魔術師と」


 風が吹き、如月たちを包み込みながら駆け抜けていく。その冷たさが、如月の頭をクリアにしてくれた。


「見ての通り負けたんだけどね……、いや、負けてないのかな。初めから勝負になってなかった。戦いなんてなかった。あったのは結果だけ」


 如月は、自分の力を過信していたわけじゃない。けれど、力がないとは思っていなかった。ある程度ならば、どんな魔術師とも戦えると思っていた。戦ってきたという実績があったのだ。それくらい思うだろう。


 だが、黒い魔術師は、それをすべて打ち砕いた。


 過信でもない過信を、破壊した。


 住んでいる次元が違っていた。


 見えている世界が違っていた。


 如月が抱けた感想は、それだけだった。恐怖はない。ただ目の前の圧倒的な存在に、自分の中にある感情が、すべて消されていくような感覚があった。


「私たちはなにがあったのか、なにをされたのかもわからないまま、地面に倒れていた。二人してここで死ぬんだろうなって思った。けど、魔術師が言うんだ。『どっちが生き残りたい?』って。生き残った方には有益な情報を与えるって」


「なるほど。その状況では間違いなく、メイは死ぬことを選びますね。即決だったでしょう」


「……うん。すぐさま『私が死ぬ。だからトモを殺すな』って」


「さすがですね。同じ女とは思えないくらい男らしい」


「そうだね。私よりもめーちゃんが生き残るべきだったんだ。私なんかより、誰からも好かれるめーちゃんが生き残れば」


「トモは、どうして自分が今ここにいられるのかわかっていますか?」


 長月は如月の言葉を押し消すかのように言った。


「めーちゃんのおかげでしょ」


「そうです。その通りです。メイが死んでくれたから、トモが生きている。メイはどうしてトモのために死んだんでしょうか。もちろん、私はメイではないので本心はわかりませんが、メイには守りたいものがあったんじゃないですか?」


「守りたい、もの」


 如月は長月の言葉を繰り返した。


「メイは、その守りたいものをトモに託したんですよ。自分では守れないと知ったから、今のトモと同じように自分よりも相手が生き残るべきだと考えたから、ハルを助けられるのは自分よりトモの方だと悟ったから、死ぬことを選んだんです」


 如月は驚きのあまり、長月の顔を見た。いつもの抑揚のない声ではない。たしかに感情のこもった声が、如月の耳に、心に届いている。


「メイの最期の顔を見ましたか?」


「……うん」


「どうでしたか? 苦痛な表情を浮かべていましたか? 憎悪に満ちた表情でしたか?」


「笑ってた」


 そう、皐月は笑っていた。自分がこれから死ぬというのに、如月を不安にさせまいと、自分の選択に悔いはないと、笑っていた。見慣れた笑顔がそこにはあった。


 どんな気持ちだったのか。


 恐怖を紛らわせるための笑顔じゃない。


 あとを任せられる友がそこにいたからこその笑顔だったのだ。


(本当に敵わないなぁ)


 たしかに如月は皐月に魔術を教えていた。魔術だけしか教えることができなかった。それに比べ皐月は、如月に多くのことを教えてくれる。学ばせてくれる。本人には自覚はないだろうが、如月はそう感じている。


 如月の目に涙が浮かぶ。今の姿を、そんな皐月に見せたくはない。

こんな惨めな姿を見たら、皐月は怒るだろうか?


 そんなことはない。


 きっと、笑うだろう。


「なにやってんだ」


 そう言って如月の頭を撫でるだけだ。


 涙を拭い、立ち上がる。足が震えるが、そんなことは関係ない。それでも立てるし、歩けるのだから――前に進めるのだから。


「すみませんが、私はここで待つしかないようです」


「待っててね。必ず助け出してくるから」


「信じていますよ。トモも、月宮湊も。ハルをきっと助けてくれるだろうと」


「つっきーも?」


「ええ。この際、誰でもいいです。今なら誰でも信じます」


「適当だね」


 如月は微笑む。


「しかし、気がかりなのは、その魔術師です。一体なにをしようとしているのでしょう? 姫ノ宮の人間ではありませんが、今回の件について詳しいようですね」


「真っ黒だからね。黒幕なんだよ、きっと」


「だとすると、もう一波乱ありそうですね」


 不穏な予感がしつつも、如月は姫ノ宮学園に足を踏み入れる。


 自分たちの手で、友を、家族を助けるために。

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