第18話 死を待つ場所

 ナイフが長月の命を奪うことはなかった。


 月宮の長月を殺す意思がなくなったのではなく、その振り上げた腕を、後ろから固定されたからだ。月宮が腕を確認すると、細い腕が二本絡まっていた。日に焼けていない肌、しかし所々に擦り傷などがあった。


「トモ……」


 長月が呟く。


「お願い……、お願いだからいっちゃんを殺さないで」


 その声は、駅前の店で聞いたものと同じだった。しかしあのときとは違い、嫌になるくらいの明るさがない。


 月宮は黙って腕を下ろした。そのとき、自分の頭に血が上ったような感覚があったことに気付いた。


「よかったよ」


 如月は、安堵して微笑む。月宮が如月の顔を見るのは初めてだった。横に髪が撥ねたショートカットで、レンズの上にだけ縁がないタイプの橙色の眼鏡をかけている。顔は小さく、子供のようだった。身長は秋雨より少し大きいくらいだろう。それが子供っぽさに拍車をかけていた。


 月宮が気になったのは、その有り様だった。制服は破けており、いたる個所に傷を見ることできた。痛々しいというよりは、生々しい光景。


「話を聞いて欲しい」


 如月は言う。


「時間がないことはわかってる。だけど、それでも耳に入れて欲しいこと、訂正させて欲しいことがあるんだ。決して無駄な時間を過ごさせない。だから、聞いて欲しい。もう……」


 如月は声のトーンを落とした。


「もう、私たちにはどうすることもできないから。きみしか頼れる人がいないから」


 それは演技ではなく本心だと月宮は判断した。如月たちを信用しているわけではない。むしろまだ疑っているくらいだ。けれど、月宮がそう判断したのには理由があった。それはたぶん他人が聞けば、ひどく滑稽な理由だ。


「……わかった。話を聞かせてくれ」


「ありがと。まずは、はーちゃんから聞いていることを、はーちゃんが考えて導きだした答えを聞かせて」


 月宮は如月の言う通りに、駅前の店で日神から聞いた話を説明した。殺人のこと、《終焉の厄災》のこと、宗教のことなどだ。記憶している限りのことを要約しながら、手短に如月、それに長月に伝えた。


「なるほど。さすがはーちゃんだね」


 如月が感嘆する。


「まったくです」


 長月が同意した。


 如月は話し始める。


「とりあえず、姫ノ宮学園のことから話すよ。この学園が《終焉の厄災》を信仰している宗教組織だということは間違いないよ。訂正しようがない事実。


 外部との関係を遮断しているのは、このことが世間に洩れることを防ぎたかったから。知ってると思うけど、《終焉の厄災》の信仰者は世界規模で疎ましがられるからね。


 それでも怪しまれる。だから創立者は、この街に根城を建てた。《表》も《裏》も関係ない《境界》にあるこの街ならば、大抵のことは容認される。それにどの世界にも属さないということは、反対にどの世界にも属していると言えるからね。


 はーちゃんは、殺される対象が怯えていたから信仰者でないと思っているらしいけれど、それは違うよ。信仰者にだって信仰するレベルってものがあるし、人間は誰もが死を恐れている。


 だから、最初の訂正は殺される対象が信仰者ではないということ。殺される対象はすでに決まっていて、信仰していても、信仰していなくても生贄として殺される。


 ちなみに《終焉の厄災》を信仰していることを学園内で知らなかったのは、はーちゃんだけだよ。


 この学園がしようとしていることは、《終焉の厄災》の復活で間違いないけれど、これは正しくない。もっと上を目指しているんだよ」


「上?」


 月宮は訊いた。


「うん。《終焉の厄災》は神の起こした奇跡と言われている。これより上――つまり、《終焉の厄災》そのものを神にしようとしているんだ」


「そんなこと、不可能だ」


「不可能じゃないよ。神という概念で縛ればいいだけだからね。神とは信仰されるもの。宗教とは誰かを神として崇めるんだよ。ただ信仰者が少ないと、神としての概念は弱まるし、そもそも神とは程遠い存在にしかならない。それを防ぐには、信仰者を増やせばいいんだけど」


「姫ノ宮学園はそれができないのか」


「そう。あまりにも数が増えれば、信仰していることが公になるし、そうなれば端から駆逐されていくだけ。だから魔術の力を借りようというわけ」


「魔術で神にできるのか? そこまで万能じゃないだろ」


「誰もがその存在を神と認めればいいんだよ。あの一週間で、そこに辿り着きそうだったんだけどね、残念ながら、そのあとになにも起きなかった。あと一つでも国が消えてれば、辿り着いたと思うよ。一週間で終わって、そのあとに信仰者が殺されていったのが、神に成りえなかった原因だね」


「それで姫ノ宮はどういった魔術をしようとしているんだ? そこに日神を追う理由があるんじゃないかと考えているんだが」


「随分察しがいいですね」


 長月が言った。


「いや、そういう可能性もあると思っているだけで、あとはなにも考えてない」


「はーちゃんは、今回の魔術において最重要人物だよ。『日神ハル』という名前だけで充分過ぎる意味を持ってるからね。実を言うと、学園が行おうとしている魔術に生贄は、一人で充分なんだ」


「じゃあ、もう犠牲者は出ないのか?」


「これからです」


 長月が言う。


「本来ならば、ハル一人を生贄とし、魔術を発動することが理論的にはできます。日神ハル――日の神、そして季節の始まりである春を名に持つ彼女は、あらゆる器としての素質があります。当然、神としての器も」


「だけど姫ノ宮は、はーちゃんだけで魔術を発動しなかった。それは、やっぱりどこかに不安があったからなんだよ。失敗するわけにはいかない。はーちゃんほどの素質を持った人間がこの先現れるかもわからない。それで集められたのが、私たちなんだ。より安全に安定した魔術を発動させるために生贄として、はーちゃんの守衛としてこの学園に召集された。


 十二人の生贄。十二という数字と、私たちの名前でわかると思うけれど、生贄になる人間には、時間を表す言葉が名に含まれている。如月、長月、皐月みたいにね」


「そんな都合よく揃えられるとは思えない」


 月宮は率直な感想を述べた。


「もちろん偽名だよ。だけど、魔術の生贄なんだから、意味さえあればいいんだよ。名前なんて記号に過ぎない。誰でも良かったんだよ、姫ノ宮は。はーちゃん以外は、誰でも」


「ハルを生贄に魔術を発動することは可能です。しかしそれには不安要素があった。それは時間支配の概念です。復活を銘打っているわけですから、当然過去に干渉しなければなりません。信仰しているとはいえ、実際あれがなんであったのかなんて知りませんからね。だからより時間の概念を強めるために、私たちに時間の名前を授け、生贄にすることで、時間を支配するという意味を術式に組み込ませた」


「馬鹿げてる、と思われるかもしれない。だけど、科学も似たようなものでしょ? 誰だって初めは信じられないんだよ」


 その目で見るまでは、と如月は釘を刺すように言った。


 月宮は、如月たちから聞かされたことを整理していた。姫ノ宮学園の真実、日神の狙われる本当の理由、魔術の詳細。如月の言う通り、聞いといてよかった情報である。ただ、日神のことについては、まだわからないことがある。


 器としての素質。


 それがどういうことなのか、どういったことなのか、月宮には理解できなかった。そもそも素質とはなんなのか、なにがどうしていれば素質があると言えるのか、まったくもってわからない。


 時間の無駄ではなかったが、それでも時間を消費してしまっている。あと二時間もないだろう、と月宮は思った。そして一つ、名案が浮かぶ。


「魔術に関してはわかった。日神のことは……全部終わったら訊く。あとはお前たちのことを聞かせてくれないか?」


「なぜ私たちが、姫ノ宮学園を裏切るような真似をしているかってことだね?」


 ああ、と月宮は頷いた。


「それは簡単なことだよ」


 如月は長月と目を合わせた。それに応えるように、長月はそうですね、と頷く。


「はーちゃんが私たちの友達で、友達を殺すなんてことを、見逃すことはできないからだよ。《終焉の厄災》とかいう幻想より、目の前の友情を取ったんだ」


「まあ、でも」


 長月は言う。


「他の友人たちはもうこの世にはいないかもしれません」


「魔術の準備は着々と進んでいるからね。残念だけど、仕方ないことだよ」


「そいつらは、お前らを助けてはくれなかったのか?」


「それも仕方ないよ。姫ノ宮の命令と私たちの意思を混合させてたからね。どこかで気付かれてたのかもしれないよ」


「姫ノ宮学園の命令でハルを捜し出し、こちらで保護したと同時に、私たちはこの街から出て行くつもりでした」


「ところが、そこに現れたのがつっきーというわけ」


「俺が姫ノ宮に雇われた人間あたりだと思ったのか」


 月宮は思ったことをそのまま発言した。


「そう。普段なら絶対にありえないけれど、一刻を争う事態だし、それに私たちの裏切りの可能性も出てきた。それならば、外部の人間を雇った方が楽だよね。事情に関係なく、命令通り、依頼通り動いてくれるんだから」


 月宮、そして如月たちの中では、二者による対立だった。しかし蓋を開けてみれば、どちらも敵対しているのは姫ノ宮学園だけで、月宮側と如月側が衝突する必要などどこにもなかったのだ。ちゃんと話していれば、と思えなくもないが、一度、敵だと認識してしまえば、それを払拭することは難しい。月宮たちは常に相手を疑って行動している。相手が歩み寄ろうとしても、拒絶するに違いない。


 如月たちの誤解に拍車をかけたのは、月宮の仕事先のことがあったのだろう。「なんでも屋」という漠然とした、けれどわかりやすい仕事先が、月宮を姫ノ宮学園に雇われた人間だと思わせた。巻き込ませないようにしたつもりだったが、飛んだ形で巻き込まれてきたものだ、と月宮は嘆息した。


 本当に、なに一つ上手くいっていない。できれば、これからのことと、もう一つのことだけは、上手くいって欲しいと願った。特に後者のことが気になってしまう。長月と戦っているときも、頭の片隅ではそのことを考えていた。


「もう少し素直に生きてれば、こんなことになってなかったのかもね」


 如月は自虐気味に言う。月宮は、それには同感せざるをえなかった。


「日神を攫った――というより、取り戻したのは誰なんだ?」


「おそらく『6』でしょう」


「『6』?」


「まあ、私たちをコードネームみたいなものだよ」


 如月が答える。


「名前は水無月ジュン。私たちの中で唯一、単独行動が許され、最も強く、そして最も《終焉の厄災》に入信していた子だよ」


「そいつだけなのか? 他の奴らは」


「さっきも言ったと思うけど、魔術の準備は進んでいたんだ。佳境だったと言ってもいい。この学園の戦闘員は、私たち十二人だけ。それ以外はただの信仰者だよ。もちろん、みんなそれが当たり前だと思っているけどね」


「私からはこれが最後ですが」


 長月は言う。


「『6』の強さというのは、魔術を使えませんが、剣術、体術のみで魔術師を圧倒するレベルです。戦うことがあるのなら、それ相応の覚悟が必要とされます」


「戦うことがあるのなら、と言っても、つっきーがこの門の下をくぐるのなら、それは約束された戦いだね。避けようのない、奪還戦だよ」


 奪還戦、そう言われて、月宮は少し違うと思った。これから始まるのは、水無月ジュンの防衛戦だ。日神ハルを守るために、全力で――それこそ、月宮が門を抜けた瞬間に攻撃されることだってあるだろう。今もどこかで狙っている可能性だってある。


 水無月ジュンが戦わない可能性は?


 身を隠すことを徹底されれば、月宮はもう手も足も出ない。自分の無力さを感じることなく、敗北感を味わうことなく、敗退することになる。


 姫ノ宮学園の悲願が成就されることになる。


 そうなれば、この街は、世界は絶望に包まれ、未来に破滅しか見えなくなってしまう。神の器となった日神ハルが、世界を蹂躙するのだろう。一般人は恐怖に心を焼かれ、信仰者は羨望に胸を打たれる。


 もちろん、これは魔術が成功した場合の話である。


 失敗する場合だってある。


 そのときは、無駄に姫ノ宮学園の人間が死んだだけで終わるのだろう。文字通り「無駄死に」である。それが一番、望ましい結果なのかもしれない。姫ノ宮学園という箱庭だけで起きた一つの事件ということで、幕を閉じる。それから先、日神ハルに変わる人間が現れるか、新たな術式を作り上げられるまで、このようなことは起きない。


 ならば、失敗させることがベストなのではないか?


 この魔術で、絶対に必要なのは日神ハルである。やろうと思えば、彼女一人の命で魔術を発動することができるらしい。ただ成功する確率が低い。だから、周りの溝を埋めるように、十二人の生贄を用意した。時間を支配する意味を持たせ、魔術式の補佐的役割を与えた。


 魔術の成功率を上げるために。


 月宮は、如月と長月を交互に見た。長月は月宮が戦闘を行えないように、ある程度の負傷を負わせている。立ち上がることはできるだろうが、走ることはできないだろう。傷口を完全にふさいでいるわけでもないため、歩くこともままならないはずだ。


 そして如月は、どこでなにをしていたのかは見当もつかないが、かなり疲労しているようだ。反撃さえしてくるだろうが、それでも、今の月宮なら、赤子を捻るような簡単さで彼女を仕留めることができる。


 この二人を殺せば、魔術の成功率を下げることになる。それは悪くない手だ。しかし、問題なのは、どのような条件があるかを把握していないことだ。殺害されたという事象があれば、魔術式に組み込まれてしまうのか、それとも、どこか決められた配置でなければならないのか。


 月宮は、自分の血の気が上がってきていることに気付き、深呼吸をした。目先の特に、惑わされてしまっている。落ち着かなければならない。


「魔術のことで一つ訊きたいことがある」


 月宮は二人に問い掛けた。


「お前たちが生贄になる場合、指定の位置があるのか? その場所でなければ生贄としての意味はなくなるとか」


「ないよ」


 如月が答えた。


「どこで殺されようと関係ない。私たちが死んだという事実があれば、生贄としての価値が発生する」


 どうやら、姫ノ宮学園も考えているようだ。だとしたら、予備の存在はいるのだろうか。こういう事態に備えて、一人につき二人くらいの予備を作っていそうな気もする。むしろ、そうしていることの方が必然だ。万策を用意しているのなら、それくらいは当然。


 だが、どうしてこんなことが起きている?


 なにが間違っていたのだろう。


「あー、そうか。ここで私たちを殺そうとしたんだね? 魔術の成功率を下げるために」


 如月は月宮の考えを見抜いた。


「着眼点がいいね。ますます気に入ったよ。あとはそう、私たちの予備のことを考えていると思うけど、それはいないよ。これは間違いない」


「どうしてだ?」


「これは相性の問題なんだけどね。日神ハルという器に適合しなければ、反発が起きちゃうんだよ。私たちを使うことで、魔術の成功率は上がる。だけど、その背景には、血の滲むような努力があるんだ。そう、おいそれと名を与えられたわけじゃない。だから、世界中から相性のいい人間を連れてきた。つまり、私たちは十二人の相性もいいし、はーちゃんを含めた十三人でも相性がいい。これ以上ないってくらいにね」


 そう聞くと、如月たちが、月宮の存在を誤解していたことにも繋がっているようだ。今回を逃すわけにはいかない。如月たちはそれをわかっていたから、姫ノ宮学園がどんな手を使ってでも――外部の人間を使ってでも、日神ハルを取り戻そうとするだろうと考えても不思議ではない。


 やはり不思議なのは、姫ノ宮学園の対応だ。


 対応というよりは、その真意だ。


 月宮には、彼らが万全を尽くしているとは到底思えなかった。


「とりあえず、日神を助ければいいだけか」


 月宮は如月を見る。


「なにかな?」


「お前、まだ動けそうだな」


 疲労しているとはいえ、見た感じだけならば際立った外傷もない。戦えるかどうか、逃げられるかどうかはともかく、歩くことはできそうだ。


「つっきーの考えていることを当てようか?」


 如月は微笑む。


「私にはーちゃんを助け出させようとしてるね」


「まあな」


 月宮は頷く。


「お前たちは自分の力で友達を救いたくないのか? 救いたいよな。だからこうしてここにいるんだもんな」


「だけど、私たちはもうなにもできないよ」


「長月はそうだろうな。だけど、お前は違う。歩けるだろ? 立てるだろ? 俺にすべて任せるのは構わない。でも、それでお前たちは満足するのか? 日神を助けたくて頑張ってきたのに、こんな外部のわけのわからない高校生に手柄を横取りされていいのか?」


「…………」


「日神が助かれば、その過程はどうでもいい。そんなことを思ってるなら、お前は、お前たちは、あいつの友人でもなんでもねえよ。力がないわけじゃないだろ。情報がないわけでもない」


 月宮は昔の自分を思い出していた。無力で、無知で、どうしようもないくらい普通の高校生だった自分を嫌悪した。呆れていた。


 たった一人の少女も助けることができず、自分のことすら助けられなかった。


 無知は罪である。


 そして、無力もまた罪。


 なにかをしようとしたとき、達成しようとしたときに、自分の本当の弱いところ、脆いところを痛感するのは、愚かな人間がすることだ。平和な人間が、どうしてもしてしまうことだ。平和すぎる世の中が悪いのではない。平和を当たり前だと思っていることがおかしいのだ。


 月宮も、その一人だった。


 月宮は、能力でナイフを取り出し、門の前に立つ。能力を使うことを禁止されていたが、もう使ってしまった。きっと怒られて、仕事を増やされるだけだ。極秘事項も知ったことではない。今後の仕事に支障が出るかもしれない。見知らぬ相手に情報が漏れようと、そのときはそのときだ。今の月宮には一切関係ない。


 ナイフを振り、鉄格子の門を切断する。人一人が通れる程度の大きさだ。けたたましい音を立てて、残骸は地面に落ちていく。そのすぐ近くには、長月が投げたハンマーが横たわっていた。


「水無月とかいう奴の相手はするし、できれば日神を助ける。できればじゃないな、日神は助けるつもりだ。だけど、これは俺じゃなくてもいいはずだ。むしろ、あいつは――」


 言いかけて、月宮は口を閉じた。これ以上話すことはないだろう。如月がこのあとどうするのかなど関係ない。月宮はやるべきことをやるだけだ。


 月宮は如月たちを一瞥もせず、学園内に入った。


 残り時間は少ない。

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