第20話 帰る場所

 いつまで待っても、月宮から連絡がくることはなかった。


 放課後に月宮のアパートに行ったが、部屋に鍵は掛かっておらず、中に入ってみたが誰もいなかった。月宮も、そして日神も。流しには、日神の飲みかけのコーヒーが入ったコップが置かれていた。どうやら一度は戻ってきたらしい。


 今、月宮は日神を助けるために頑張っているのだろう。自分できることは、月宮から訊かれたことを答えることだけ。秋雨はそのために、知っている姫ノ宮学園の情報を自分なりにまとめていた。必要そうな情報だけを抽出したのである。


 月宮の鞄を届け終えたので、家に帰ろうかと思ったが、この部屋で一人になるのは初めてだったため、居座ってみることにした。ここで月宮の帰りを待っているのも悪くない。帰ってきたら驚くだろうか、と秋雨は微笑んだ。


 月宮と出会って、もう四ヶ月になる。出会ったキッカケは最悪だったが、今思うと、最悪でよかった。最悪でなければ、月宮と出会うことはなかったのだから。


 キッカケとなった事件は、すでに月宮によって解決されている。何人もの少女が行方不明となった事件。その最後の被害者になりかけたのが、秋雨である。


 そして依頼を受け、事件を調べていたのが月宮。


 偶然、深夜の街で顔を合わせた。


 秋雨は月宮のことをなに一つ知らなかった。その夜が初対面であり、気まずささえ感じていた。未成年が深夜の街を徘徊していることもそうだが、その理由が誰かに知られるわけにはいかなかった。


 だから、月宮に話してしまったのは、なにかの間違いだったのだ。


 間違っていたが、間違ってなかった。


 秋雨は、春のことを思い出しながらベッドに座った。物思いにふけていたので忘れていたが、ここは月宮の部屋である。秋雨はすぐさま立ち上がった。


 しかし、この部屋にいるのは秋雨だけだ。


 なにをしても気付かれないのではないだろうか。


 秋雨は悩みに悩み、月宮のベッドにダイブした。下の階のことが心配になったが、苦情が来たなら謝ればいいだけだ。


「月宮くんの匂い……」


 ふいに月宮に抱きしめられたことを思い出し、秋雨は顔が赤くなった。あれもたしか春のことだった。どんな状況だったかは憶えていないが、決してロマンチックと呼べる類の状況でなかったのは確実だろう。


 秋雨は誰も見ていないことをいいことに、枕に顔を埋めた。月宮の髪の匂いに包まれながら寝てしまいたいと思った。恥ずかしいことをしていることは自覚している。足をばたつかせている自分が子供っぽいこともわかっている。


 いつまでもこうしていたいと思う反面、誰にも見られたくないという気持ちが強かった。もし、この状況を誰かに見られてしまったら、恥ずかしさのあまり、もう街を歩くことができない。


(……月宮くん。本当に、大丈夫だよね?)


 月宮は普段の様子からは見受けられないほど、無茶なことをする。仕事のこともそうだ。能力を持っていないのに、能力者相手に戦おうなんて自殺行為に近い。いや、ほとんど自殺だろう。月宮はいつだって死ぬ気で仕事をしている。


 今回のことも、なにかが起きているに違いない。月宮が嘘をついていることくらい、秋雨にもわかっていた。彼が大丈夫と言って、大丈夫だったことはない。いつもどこかを怪我していて、痛いはずなのにそれを億尾にも出さない。


 便りがないのは元気な証拠とは言うものの、秋雨に取って連絡がないことは、ただ胸が苦しくなるだけだった。心配でたまらない。


 だけど、秋雨にできるのは待つことだけだ。


 月宮を助けに行っても、足手まといになるだけ。


 どのくらいの時間が経ったのだろう。気付けば、部屋の中は真っ暗だった。


 いつの間にか、足を動かすのも止めている。月宮のことを考えると心配で胸が張り裂けそうだった。日神のことも心配だ。月宮といれば大丈夫だと思うが、それでもちゃんと自分の帰るべき場所に戻れるのかどうかが気がかりである。


「ういーす」


 突然、玄関の扉が開かれ、秋雨は慌てて起き上がった。


 声から察するに愛栖だろう。


 愛栖は部屋にあがりこみ、暗い部屋に電気を灯した。


「なにやってんだ、お前」


 愛栖は秋雨を見るなりそう言った。


「えっと……、休憩です」


「枕を抱えてか?」


 そう言われて、秋雨は枕を大事そうに抱えていることに気付いた。弁明の余地もない。言い訳など思い付かない。


「まあ、いいさ。恋する乙女がなにをしようと私には関係ないからね」


「あの……、月宮くんには黙っていてもらえますか?」


 秋雨は枕で赤くなっているだろう顔を隠しながら言った。見つかってしまったのも、この際どうでもよくなった。


「ああ? 大丈夫。そんな気ないから」


「もっと言えば、誰にも言わないで欲しいです」


「大丈夫だって」


「本当に、本当に、本当ですか?」


「くどい」


 愛栖は煙草を咥えていた。火は点いていない。教え子の部屋ということもあって我慢しているのだろう。彼女なりの妥協策なのかもしれない。


 秋雨はそんなこと思っていた。


 しかし、愛栖は「いっけね、ライターなくした」と月宮の部屋を漁り始めた。もちろん、ライターを探すためである。秋雨が思っているほど、愛栖は煙草を吸うことに妥協を許さないらしい。


 わかってはいたが。


「先生、ここ月宮くんの部屋ですよ? 煙草は控えたほうが……」


 秋雨は一応注意を促した。


「んなことはわかってるって」


 愛栖はそう言っても、ライターを探すのを止めなかった。


「おっかしいなぁ、この間、置いてきたと思ったんだけど」


「この部屋に来たんですか?」


 秋雨は訊ねた。


「ああ。いつだっけな、あれは。なんか用事があって来たんだけど、あいつ、留守でさ、だから部屋に入って、煙草吸って、帰った」


「どうやって入ったんですか? というより不法侵入じゃないですか」


「ほう、お前が言うか」


 秋雨は返す言葉が見つからなかった。自分も不法侵入をして、勝手にベッドにダイブしたことを忘れていた。


「鍵をな、預かってたんだよ。……そうだ、思い出してきた。アイリスの奴に頼みごとされたんだった」


 アイリスというのは、月宮の働いている事務所の所長である。秋雨も何度か会ったことがあるが、同い年とは思えないほど綺麗な人物だった。そして大人びていた。


 愛栖とは昔からの付き合いらしいが、その辺りのことはそれ以上知らない。不思議な関係だといえば、そうである。


「まあ、それだけだ。お前の気にしているようなことじゃなくて良かったな。存分に恋する乙女を続けてくれ」


「……先生、機嫌悪いですね」


「ああ。煙草を早く吸いたくて仕方ないのに、ライターが見つかりやしない。使えねえ部屋だな、畜生」


「あの、火だったらコンロでもいいんじゃないですか?」


 愛栖は無表情の顔を秋雨に向ける。どうしたのだろうと秋雨が思ったとき、「その手があったか!」と秋雨に飛び付いた。


「お前は天才だな! 救世主だ! ああもう、可愛いな、畜生」


「せ、先生。く、苦しいです……」


 身長差があるため、秋雨は身動きを取ることができなくなった。覆いかぶさっている愛栖を退けようとしても、動かせない。そもそも力があまりにも足らなかった。


「お前も吸え、この際吸っちまえよ。高校生だろ? 私は吸ってたぞ」


 愛栖は箱から新しい煙草を取り出す。


「先生、それより早く煙草に火を付けたほうがいいんじゃないですか?」


「ん? ああ、そうか。それもそうだ」


 愛栖から解放され、秋雨は溜息を吐いた。完全に禁断症状が出ていた。秋雨の見る限り、学校にいる間は、一本も吸えなかったのだろう。重度の喫煙者である愛栖とって、その時間は地獄のようなものだったに違いない。


 ときどき、こういうことがあった。


 愛栖の禁断症状に困らされることは、もう何回目だろうか。初めて見たときは、どうしようもなく、なにが起きているのかわからず、泣きそうになってしまったのを不覚にも憶えている。


 そのとき助けてくれたのも、月宮だった。


 対処術を教えてくれたのも、月宮だ。


 いつだって月宮に助けられてきた。


 だが、秋雨は月宮を助けることができない。


 助けたくても、助けられない。


 だからもどかしいし、苦しい。


 なにもできない自分が嫌になる。


「待っているだけは、辛いよ……」


 自然とそんな言葉が零れ出た。


「待っている人がいるから、帰って来られるんだぞ」


 愛栖が煙草に火を点け、秋雨の隣に座った。


「お前が心配しちまうのは仕方ない。待たされている方は、なにが起きているかなんて把握できないからな。あらゆる可能性を考え、そしてどうしても悪い方を思い浮かべちまう」


「どうにもならないんですか?」


「こればっかりはな」


 愛栖は煙を吐いた。


 部屋の中が、愛栖の煙草の匂いで一杯になる。窓は開いていないが、愛栖が換気扇を作動させているため、煙は部屋に留まらず、外に流れ出ていく。


「どうにもならないが」


 愛栖は秋雨の頭を撫でる。


「なにもできないわけじゃない。待っていることができる」


「それってどういうことですか?」


「帰る場所になってやれるってことだ。さっき言った『待っている人がいるから、帰って来れる』とはこのことだ。お前はな、あいつが帰ってきたときに『おかえり』とか『お疲れ様』って言えばいいんだ」


「それだけでいいんですか?」


「充分だろ。今、あいつがなにをしているのか知らないが、きっと誰かのために動いてんだろ、どうせ。もしかしてお前のためか? だったら、『ありがとう』も言わないとな」


「そう、ですね」


 秋雨は微笑んだ。


「話したら、少しすっきりしました」


「そりゃ、よかった」


 愛栖は時計を見る。


「もうこんな時間だが、お前はどうするんだ? 帰らなくていいのか?」


 あと一時間足らずで、日付が変わる。両親には月宮のところにいると連絡してあった。春の事件のことがあって、秋雨の両親は、月宮に信頼を寄せていた。大事な娘を助け、尚且つ改心までさせたのだから、そうなってしまうのも不思議ではない。信頼しない方が、不気味である。


「大丈夫です。待ってます」


「なら、私もここにいようかな」


 愛栖は短くなってきた煙草の処理に困っていた。携帯灰皿などを持ち合わせていないのだろう。悩んだ挙句、流しに煙草を捨てに行った。


「どうしてですか?」


「お前がバカなことをしないようにだよ」


 そう言って、愛栖は新しい煙草を取り出した。


 秋雨は、流しにどれだけの吸い殻が溜まるのか心配になった。

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