第15話 待ち受ける地獄

 如月トモは、駅前にある小さな公園のベンチに座っていた。そこは月宮たちのいる店の近くでもある。公園にあるのは、ベンチが二つ、ジャングルジム、ブランコ、滑り台と、如月の知識では、普通のものばかりだった。


 姫ノ宮学園が特殊であるが故に、如月には普通の公園というものがわからない。テレビもあまり見なければ、インターネットでわざわざ調べることもない。ただ、昔読んだ絵本で見たことがあるくらいだった。


 普通の知識が、普通ではない。


 それは、自分の所属している場所がどんな場所なのかを表現するには、一番スマートであるだろう。これほど、わかりやすい説明はない。二十にも満たない文字数で、ここまで表現できてしまうのが、姫ノ宮学園という場所だ。


 普通ではない――それは学園そのものだけでなく、生徒のことも指していた。生徒だけじゃない。あの敷地内にいる人間はおかしい。ただ一人を除いて、他の者は到底、普通とは言えない人間ばかりだ。


 そう、日神ハルを除いては……。


 だからこそ、彼女はあの檻の中に閉じ込められていた。


 如月は、携帯電話を取り出し、履歴から番号を選択する。コール音が二回鳴る前に、通話は繋がった。


「おっす、トモ。こっちは異常なし」


 ハキハキとした口調で、相手は応答した。


「うん。それはわかってるよ」


 如月は横に目を向ける。


「同じ場所にいるんだもん。当然だよね」


 如月の横には、腕を背もたれに垂らしている少女が座っていた。髪は肩まで伸びており、手入れはされていないのか寝ぐせが残ったままだ。如月と同じ夏の制服だが、腰には冬用のセーターが巻かれている。


 電話をする前までは、たしかにそこに人はいなかった。それどころか、この公園にいたのは如月ただ一人のはずだった。


「だよねー。あたしも自分で言ってバカみたいだった」


「めーちゃんはさ、そうやっていきなり隣に現れるけど、怖いからやめてっていつも言ってるの忘れたの?」


「トモの怖がってる顔を見るのが、あたしの趣味なのだ!」


 皐月メイ。それが少女の名前だ。如月を怖がらせるのを趣味とし、自分がやりたくないことにはとことん無関心なのが特徴と言える。


 二人は、隣同士だが、通話を切らないでいた。


「やめてよ、小さいころからそうやって私を怖がらせようとするけど、なにか恨みでもあるの? 私、めーちゃんになにかした?」


「ときめかされた」


「ときめかされた!?」


「というのは冗談で、そうさね、トモが友達だからだよ。いや、イチジクたちも友達だけど、トモは師匠でもあるわけだし、なんていうかな……、友達のくせに上から目線が気にいらない」


「そこに落ち着いちゃうんだ……」


 如月は、姫ノ宮学園の生徒の中では、一際優れた魔術の技術を持っている。魔術師を管理している機関に申請すれば、魔術師として認められることが間違ないほどだ。しかし、申請をしてしまえば、機関の監視下に置かれてしまうため、如月は魔術師の称号を得ることはできない。姫ノ宮学園という組織が、いかに狂った組織なのかを、隠さなければならないからだ。


《表》でもなく、《裏》でもない。《境界》に拠点を置いたからこそ、今の姫ノ宮学園は存続することができている。どこからも迂闊に手を出せない。出すことなど許してはいない。


「嘘、嘘」


 皐月は、携帯電話を持っていない方の手を顔の前で振った。


「反応が一番面白いからだよ。うん、これが真実。ちなみに、真実が一つとは限らないから気をつけて」


「いいさ! 私だっていつか……」


 如月はそこで口ごもった。


「そう」


 皐月は通話を切った。


「そういうことね。わーったよ。わかりました。わかっちゃったよ。そういうことなんだな、トモ」


「……うん」


 如月はゆっくり頷き、携帯電話を下ろした。


 皐月はこういうときだけ、ものわかりが良かった。察しがいいと言った方がいいかもしれない。言葉にしなくても行動や表情で、言葉にすれば声のトーンで、すべてを見透かしてしまう。それが彼女の特技であった。能力でも魔術でもなく、才能の領域の話だ。


「なら、行こうか。それしか、あたしにできることがないんだろ? なにを迷うことがあるんだ。ドーンと胸張って行こうぜ。ま、トモの胸は可哀想だけどな」


「大きなお世話だよ」


「ああ。もう世話することなんてできないんだからな。これくらい大きなお世話をしてやらないと」


「いいの?」


 如月は訊いた。


「なにが?」


「私が行こうとしてるのは、たぶん地獄かなにかだよ。それでも、来てくれるの?」


「もちろん。あたしたち、友達だろ? それに友達のためだろ? ここで首を横に振るなんてことできない。あたしは、たとえ死ぬことになっても、それが友達のためだったら悔いはない。あたしにとっては、友達のためがあたしのためなんだ」


 やっぱり、と如月は思った。皐月はこれから自分が死ぬことを知っている。まだなにも話していないのに、勝てないと答えを出している。


 それをわかっていても、如月は彼女を連れて行かなければならない。少しでも勝率を上げるにはそれしかない。勝ち目を潰すわけにはいかないのだ。


「トモ。あんたは魔術師並みの力を持ってるんだ。それなのに自信をなくしたら、それはただの宝の持ち腐れだろう。力があって自信が生まれるし、自信があるからこそ力が発揮できるんだ。それを教えてくれたのは、トモじゃなかったかな?」


「そうだね。やるだけやろうか」


 如月はベンチから立ち上がった。


「そうそう。まずはやらないとな」


 皐月は満面の笑顔を如月に向けた。


「めーちゃん」


「ん?」


「私と――死んでくれるかな?」


「当たり前だ」


 二人は、肩を並べて歩き始める。


 自分たちがこれから死ぬことはわかっている。それは駅前を包み込んでいる異様な魔力が力の差を思い知らせてくるからだ。こちらを誘っていることも明白だ。罠があってもおかしくない。何度も魔術が発動しているのだから、それくらいの可能性は充分にある。最初の人払いの魔術からの重ね掛け、あるいは他の効果が付随された人払いが発動している。


 けれど、二人は行かなければならない。


 かけがえのない友のために。


 失いたくない家族のために。

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