第14話 決裂と強襲
「こちらの要求はただ一つ。日神ハルを渡して欲しい。そうすれば、きみに危害を与えるつもりはない。いっちゃん――長月イチジクに追いかけられることもなくなる。こちらがこれまでに入手した、きみの情報もすべて破棄することを約束する」如月トモは業務的に言った。
店内に設置してあるデジタル時計が、十六時を表示しようとしていた。月宮はフロアの反対側にある大きな窓から外の様子を見たが、人払いの魔術の影響なのか、少し緑がかっていて、日が暮れているのかわからない。
魔術の影響で、ここの店員はどうなっているのか気になったが、今はそれどころではなかった。
「ちなみに、どれくらいの情報を入手しているんだ?」
月宮は訊いた。
「必要最低限のことだけだよ」
如月は言う。
「学校、住所、能力の有無、交友関係、これまでに関わってきた事件、仕事先などなど。私が手に入れられる範囲のものはすべて、だね」
「ただの苦学生だったろ?」
「そうかな? 実際にきみを相手取ったいっちゃんは、そうは思わなかったみたいだけど。私のもとにある情報によると、仕事先では情報管理をしているらしいね。実に高校生らしい仕事と言えるかな? 言えないのかな? 怪しいよね、ここが」
長月がわざわざ天野川高校に来たのには、そういう意味もあったのか、と月宮は思った。あのときは、校内にいる者に見つからずに逃げることだけを考えていたため、長月が天野川高校に訪れた理由を深く考えなかった。あくまで長月は、月宮から日神の情報を訊き出すために来たのだと思い込み、逃げることだけに集中したが、それが裏目に出ていた。いや、あの状況では、なにをしても情報を与えてしまう。むしろ、与えた情報がそれだけであることに安堵すべきなのかもしれない。
それに、長月の言うことを月宮は信じていない。長月が月宮に告げた言葉のどれが真実で、それが虚実であるかを判断するのは難しい。そしてそれを考える時間が惜しかった。
ふと、月宮の記憶に違和感があった。正確には、「思い出す」という行為にだ。数時間ほど前のことなのに、記憶に靄がかかっているように曖昧になっていた。長月との会話も断片的にしか思い出すことができない。
「……まあ、普通ではないことは認めてやるよ」月宮は自分の身の違和感を無視した。
「認めなくてもいいよ」
如月は言う。
「それはもう立証済みなんだからね。本人の太鼓判なんていらないんだよ」
「ごもっともだ」
「ものわかりのいい人は好きだよ。いっちゃんなんて頑固すぎて……、頭から液体窒素の入った容器に飛び込んだんですか? って感じだよ」
「あー」
月宮は長月を思い浮かべる。
「たしかにそんな感じだよなぁ。一度しか会ってない奴のことを言うのもあれだが、得意科目は体育ですって感じがあった」
「そうそう」
如月は笑う。
「バカではないけれどバカ。それがいっちゃんなんだよね」
「器用貧乏みたいなものか」
「それだよ、それ。人間なら頭を使っていかないとね。柔軟な発想は大事だよ。ね? いっちゃん」
「……なんの話ですか?」
電話の向こうから微かに長月の声が聞こえた。
「交渉中かと思えば、楽しそうに話していますけれど、どんな話をしているんです?」
「いっちゃんはバカって話」
如月はオブラートに包み隠すことなく言った。
「トモ、あなたって人は……」
長月は溜息を吐いた。
「相手は敵なんですよ? そんな井戸端会議みたいなことをして、私からすれば、あなたの方が相当なバカに見えます」
「おーっと、それは聞き捨てならないよ。いっちゃん。この会話は、一見無駄であるようで、決してそうじゃないんだよ。逆探知って知ってるかな? ……逆?」
「いいですよ、探知で」
「今、私はつっきーのいる場所を探知しているんだよ。ある程度は絞れているとはいえ、時間がかかる。だからこうして、無駄話に花を咲かせてるんじゃないか」
「時間稼ぎをしている、ということですか」
「そういうこと」
「つまり、この会話も時間稼ぎということですか」
「…………うん、そうだよ」
「トモ、どうして目を逸らすんです?」
月宮は二人の会話を聞きつつ、今度のことを考えていた。探知をされることくらい想定の範疇内だ。わかっていても、この通話を切ることができない。それは、月宮からは姫ノ宮学園側にコンタクトする手段がないからだ。もちろん、学園に赴くという手段はある。しかしそれは自殺行為に等しい。月宮が知っている姫ノ宮学園の情報は、公表されていることばかりである。誰もが知っているような情報、そこに価値はない。
故に、今、月宮がしなければならないことは、情報収集である。些細なことでも必要とされている。相手の口から聞き出せないのであれば、周辺の音を拾う。品定めをせず、すべてに可能性が秘められているものとして、情報をかき集める。
如月たちが姫ノ宮学園にいないことはわかっている。月宮の通う天野川学園から姫ノ宮学園までは相当な距離がある。長月が姫ノ宮学園から来たとしても、戻るのはそこよりも近い場所に違いない。どこかに中継地点を作っているはずだ。そこが彼女たちの拠点となっている、そう考えるのが妥当である。
できることならばそこを割り出して、先に潰しておきたい。いきなり姫ノ宮学園に行ってしまうと、挟み撃ちになる可能性もある。
学園全体を敵として考えると、月宮が囮になるのが良さそうだった。星咲のことは相手にはまだ知られていないようだし、月宮には魔術書を判別することができない。
しかし、それはどう考えても、数で負けてしまうだろう。
数で押し切られてしまう。
逃げることが得意な月宮でも、囲まれてしまえば動けなくなる。星咲にしても、学園内という最も危険な場所で、一人で行動して生き残れるとは思えない。たとえ、星咲が凄腕の魔術師だったとしても、対応をしているたびに魔力が削られ、最後には一般人と変わらない強さになってしまうだろう。
月宮としてはあまり嬉しくないが、相手に自分の情報を与えてしまうデメリットを考慮した上で、生き残るしかないようだ。
「あー、と。ちょっといいか?」
「おっとっと」
如月はすっかり忘れていたという調子だった。
「なにかな? もしかして交渉成立? それだと私はとても嬉しいな。あんまり手荒な真似は好きじゃないんだよ」
「交渉は決裂だ。それくらいわかってるだろ」
「まあね。ほらほら、物事には順序ってあるじゃん? それに従ってまずは優しい交渉から入っただけだよ。今のはレベル1ってところ」
「だとすると、次はレベル2か」
「違うよ」
如月は否定した。
「わからず屋のつっきーには、一気にレベル5くらいまでいってもらうよ。これは交渉というよりは、脅迫だね」
「一応、聞いてやるよ」
月宮は話を長引かせる。この間に、如月のいる周辺の音を確かめているのだが、これといって決め手になるものはなく、かといって、積み上げていけば決め手になるものもなかった。
「つっきーのいる場所がわかったので、そちらにいっちゃんを送ります。今度は逃げられないからね」
「いいのか? 一人で行かせて。こっちが複数人だったらどうするんだ」
「どうせ二人か三人でしょ。多くの人に知られるわけにはいかないからね。まあ、そのくらいなら、いっちゃん一人で大丈夫。それに、ピンチになったとしても、そっちの場所はわかってるからね」
「救援を呼べる状態ってことか」
「うん。それにそっちが考えないといけないことは、いっちゃんのことじゃないでしょ? もっと他にもあるはずだよね」
「お前は、わざと相手にヒントをやるタイプなんだな」
如月が言っていることは、長月が本当にここへ一人で来るのか、ということだ。提示してきた警告は、長月を単身で攻め込ませる、とのことだが、それが真実であるかどうかを月宮が知る手段はない。今も、こうしている間に囲まれていることだって、充分にありえることだ。
つまり、今の警告で、月宮たちは後手に回ることしかできなくなった。これからどんな行動を起こすのだとしても、その可能性を考慮しなければならない。
そして、それを気付かせたのが、如月という事実。これがなによりも面倒であった。今は、相手が優位に立てる状況だということ。下手なことをすれば、狩られてしまうだろう。
この檻から出るのは、一筋縄ではいかないようだった。
月宮が試行錯誤していると、今まで黙りを決め込んでいた星咲が、「伏せたほうがいいよ」と静かに言った。発言と行動が一致していない星咲を見て、聞き間違いではないかと自分の耳を疑ったが、それはすぐに払拭された。
勢いよく、店の壁が吹き飛んだ。
月宮たちのいた席の反対側、通りに面した側の壁が吹き飛び、窓ガラスの破片などが、店内に飛散した。壁の近くにあったテーブルや椅子はなぎ倒され、隣にあるテーブルにぶつかり、さらに被害を広げた。
月宮は顔を上げた。少し遅れて頭を伏せたが、身の安全は確保できていたようだ。五体満足。かすり傷一つない。
店内の様子は、以前のそれとは比べるまでもなく、悲惨な状態だった。フロアの半分が被害に遭い、テーブルや椅子は無残にも壊れてしまっている。今後、数週間は機能を戻すことはないだろう。
これだけのことがあったのだが、このフロアに上がってくる者は一人もいなかった。外から悲鳴などが聞こえることもない。あまりにもおかしいと思ったが、ここに一人、おかしなことができる人物がいることを、月宮は思い出した。おそらくだが、星咲が魔術で隠蔽工作をしているのだろう。そうでなければ、騒ぎになるのが普通だ。
そもそもこのフロアには星咲の魔術により、魔術の知識がない者は入って来られないようになっている。今もそれが継続されていて、さらに星咲が新しい魔術を使ったと考えうべきだろう。
その星咲はというと、煩わしそうに舞っている埃を手で払いながら、喉を潤している最中だった。
「ひえー、すごい音だったね」
如月が言った。その声で、月宮は自分が電話をしている途中だったことを思い出す。
「まったく、いっちゃんは仕事が速いなぁ。惚れ惚れしちゃうよ」
「いえ、私はまだ、ここにいますけれど」
「うん? あれ? なんでいるの?」
「まだ出立していないからでしょう」
「じゃあ、今のは?」
「今の、と言われても、私は向こうの様子がわからないので、返答をすることができません」
如月たちの会話では、どうやらここに来たのは、如月、長月のどちらでもないようだ。如月がここに来る――最前線に立つということは、月宮の中では選択肢から外れているため、初めから可能性として視野に入れていない。
それどころか、如月の口振りでは、自分たちの知らないことが起きているらしい。如月が意図して、誰かを送ってきたのではなく、まったくの不確定要素がここにやってきたのだ。
もちろん、その口振りが演技でなければの話だが。
考えなければならないことがたくさんある。ただそれらを一人の頭脳で整理、処理できるかどうかが問題だった。
仕事柄、こういうのには強い方だと思っていたが、どうやらそれは勘違いだったようだ。現場では、自分で考え行動しなければならないときがあるが、しかし考えてみれば、それができていたのは前知識を持っているからであって、月宮が自分で収集していたわけではない。
こういった無力さを大きく感じたのは、二度目だった。
ただの高校生だということを痛感させられる。
「じゃあ、めーちゃんかな?」
如月は、新たな名を口にする。
「どうでしょう? メイが自分から動くなんてことあるのでしょうか? 今もきっと命令通りにしていると思いますよ。ケータイを弄りながら、ですが」
だとすると、と如月が次の言葉を繋げる前に、通話が切れた。もちろん、月宮が切ったわけではない。相手の情報を聞き出すチャンスにそんなことをするはずがない。
やったのは、星咲だった。
「お前、なにを……」
「きみこそ、なにをしてるのさ」
星咲は言う。
「敵さんと仲良く話している暇があるの? ないだろ。気付けよ、時間稼ぎだってことに。それが自分に有益な情報を得られるチャンスだとしても、それまでに相手が行動を起こしたら、こっちは手詰まりなんだ」
「わかってる。だけど、だからこそ、だろ」
「きみはさ、情報に惑わされ過ぎなんだよ。たしかに情報は大切だ。あって損をすることはないし、むしろ有益になる。だけど、今はそれどころじゃないだろ。目の前で起きたことを無視してまで、情報が欲しいの?」
「だから、その犯人を」
「犯人? そんなの姫ノ宮学園に決まってるじゃないか。第三者が日神ハルを攫って行く理由なんてない」
月宮は、なぜか星咲の言葉に違和感を抱いた。不思議なことは言っていないはずなのだが、なにかしっくりこない。
いや、そうじゃない。足りなかったピースが当て嵌まったような、忘れていたことを思い出したような感覚。しっくりしていたからこそ、違和感が生まれている。
なにが抜け落ちていた?
なにを忘れていた?
月宮は、思考の渦へと呑み込まれていく。いつの間にか落としてしまったものを拾うために、いつの間にかわすれていたなにかを取り戻すために、記憶の引き出しをひっくり返す。
そして見つける。気付く。なにを落として、なにを忘れていたのかを。
「日神……」
月宮は星咲に目を向ける。
「日神はどうした」
なぜ、忘れてしまっていたのだろう。たしかに一緒にいたはずだ。日神が席を外したときも憶えていた。そんな短期間で、人を忘れることができるような特技は持ち合わせていない。
「だから……」
呆れる星咲。
「攫われたって言ったよ、僕は。聞いてなかったの? なら、もう一度言うから、よく聞いてね。第三者が日神ハルを攫って行く理由なんてない」
「……回りくどいんだよ、お前のは。姫ノ宮学園が攫ったって率直に言え」
「言ったつもりなんだけどなぁ」
「つまり、時間稼ぎをされたわけか」
月宮の思考チャンネルはすでに切り変わっていた。今は考えていても仕方がなく、時間があるのなら行動を起こすべきなのだ。そのためには、焦ってはいけない。あくまでも冷静に……。
「さすがに取り乱したりはしないね」
星咲は微笑む。
「ここで焦るようであれば、きみはきっと日神ちゃんを助けることなんてできないよ」
「まあ、タイムリミットまではまだ充分に時間がある。こうなった以上、時間ギリギリで助けるべきだ。そのときが来るまで、周りから潰していく」
「そう。じゃあ、きみはもう行った方がいいよ。こっちに向かってくる敵は、僕がなんとかする」
「できるのか?」
「これでも魔術師なんだ。それなりの力はあるし、魔術書の回収もしないといけないからね。僕としても、周りのちょこまかしているのは、潰しておきたい」
「そうか、なら任せた」月宮は立ち上がる。
「うん、気を付けてね」
月宮が一階へ降りると、店は何事もないように営業をしていた。誰も二階へ行けないことを不審に思っていない。それは時間帯が夕方なので、客が少ないために気にならないのかもしれない。
外へ出て、新鮮な空気を吸う。魔術の発動していた空間の纏わりつくような空気がなくなったおかげか、月宮は体が軽く感じられた。
日が暮れ始め、空が赤くなっていた。
「赤、か」
そう呟いたあと、月宮は日神ハルを救出するために、姫ノ宮学園に向かい始める。
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