第13話 黒色の密話
《欠片持ち》という存在は、世界中で知られている。
今の科学では能力の発生する原因はわからないが、近い将来に解明できると信じられている。能力者と一般人を比べても、変わった個所は見つからない。能力がどこから発現するものなのかわからない。だから研究者たちは、いまだに解明ができていない脳に、なにかあるのではないかと考えた。
脳の解明が、能力者の解明に繋がる。
その結果、能力者を集める箱庭として作られたのが、月宮たちの住む街である。研究という名目で各地から《欠片持ち》を集めていた。
そして、見方を変えれば、この街は《表の世界》から隔離されたのだ。正体がわからないものは、人々に恐怖や疑惑、嫌悪感を抱かせる。差別から守るという名目で、区別されたのだ。
その区別からも切り離されているのが、《裏の世界》である。古くの時代から存在する魔術を現代まで遺し続けた世界。歴史から淘汰されたが、今もまだ根強く世界に蔓延っている。世界のルールにより、今はその影でしか存在できない。
《裏》の問題は、《裏》で処理されるため、決して《表》に出るとはない。
その影が今、《表》に出ようとしている。
月宮は顔に手を当てる。
「やっぱり、そっち側の人間かよ……」
「残念だったね。きみの日常はこうやって壊れていくんだ」
「もう壊れてるよ……」
月宮は心底嫌そうな顔をして言う。
「お前、魔術師なのか?」
「うん、それ」
星咲は頷く。
「きみはなんだか魔術師が嫌いなようだね。なにか理由でもあるの?」
「魔術師が嫌いなんじゃない。魔術が関わっていることが嫌いなんだ。俺が手を出すと、境界を超えることになる。今回の姫ノ宮のことは、《裏》で処理されるべきことじゃねえか」
「そうでもないよ。姫ノ宮学園は、この街の中にあるんだからね。僕たち、『裏側の人間』が手を出せば、きみたちがやってくるだろう?」
「つまりは、どっちも手が出せないってわけか」
「そうかな?」
星咲は言う。
「姫ノ宮学園のことは、《裏》でもこの街でも知られていない。これは周りとの関係を完全に遮断した学園に感謝だよ。表に出なければ、なかったのと同じだからね」
「この馬鹿げた魔術が発動する前に、俺たちが止めるってことか」
「その通り」
日神が姫ノ宮学園から持ち去った十枚の資料には、一見、《終焉の厄災》についてばかり書かれているだけだが、日神の言っていたように、回りくどい無駄な文章が並べられている。しかし知識がある者が見れば、その羅列は無駄ではなく、意味を持っている。
「魔術書、魔導書というのは、基本的には文章が暗号化されているんだよ」
星咲は資料を指で弾いた。
「その暗号化に使われる用法は、特殊であるのが普通だ。暗号というのは、解読されてはいけないからね」
「お前はいくつ見つけたんだ」
月宮は言う。
「俺の知っている知識でも……、最低、四つはあるよな?」
「いい線いってるよ」
星咲は微笑む。
「でも、きみの知っている知識はどうやら、広く浅くのようだね。いつもあと一歩届いてないんじゃない?」
「まあ、俺は誘導の役目だけだからな。暗号解読とかは得意な奴がいるし」
「下っ端中の下っ端だね」
「新入りだから仕方ないんだけどな」
月宮は言う。
「それに能力者の街で無能力な奴なんか使いものにならない」
「そうだね、その通りだ」
「…………肯定するなよ」
「まあ、とにかく、この資料にある暗号は八つ。広く、浅い知識で四つ。これはきっと間違った解釈をするためのブラフだね。しかしだからと言って、無視してはいけない。このブラフも暗号解読には必要になる」
「手の込んだ文章だな」
「魔術書や魔導書ってのは、例えるのなら日記帳みたいなものだからね。誰にも読まれたくない、あるいは特定の人物にだけわかるようにしたい、みたいな感じ」
「魔術書が、魔術書であるとわからなくするってことか」
「厳密には、本が世間に出回る可能性を加味して、魔術という存在を隠しているんだけどね。まあ、だいたい当たってるよ」
魔術は学問である。そのため、魔術の本が存在してしまうのは止むを得ない。本にしなければ、後世に遺すことはできなくなる。口頭で伝えることなどできるはずがない。伝える側の記憶情報が一文字でも間違っていれば、それだけで魔術として成り立たなくなる。それに、口頭で伝えるには魔術というものは情報が多過ぎる。多すぎるが故の結果、文字に起こさなければならない。人間の記憶とはそれほどまでに信用ならないものだ。
「ところで、当たり前のように話しちまったけど、こんなところで魔術を使ってもいいのか? 俺みたいに、この街には魔術の知識がある奴がいるんだぞ。魔力反応で気付かれるだろ」
星咲の使った魔術は、人払いの魔術だ。星咲はなにも説明しないが、おそらく魔術の知識がない者が払われたのだろう。
「大丈夫」
星咲は言う。
「この魔術はそれほど魔力を使わないし、範囲もこのフロアだけと狭い。店の前に通られたとしても、たぶん大丈夫。というか人による」
「まあ、気にするのは俺じゃないからいいけど」
月宮は腕を組む。
「それで? その資料にはどんなことが書いてあったんだ?」
「《終焉の厄災》を起こしますよー、だってさ」
星咲は軽い調子で言った。
「ちょっと待て。それだと、俺が解読した内容と同じだぞ」
「うん」
星咲はあっさりと頷く。
「でも、問題はそこじゃないだろう? 魔術というものに大切なのは術式だ。きみが解読できなかったのは、術式に関わること。術式というか儀式だね」
「初めに訊いておくが、俺でもわかるか?」
月宮の持っている、魔術に関する知識は最低限のものしかない。最低限――基本中の基本のみだ。たとえば、魔術に必要なのは術式と魔力であること、使用する魔力の量で発動する魔術の強さが変わる、などである。一般人が知っている知識と変わらない。無論、一般人は、魔術を空想上のものであると信じているため、それが真実であることは知らない。
「わからないんじゃないかな」
星咲は言う。
「どう説明しようと難しくなる……いや、難しく聞こえてしまうし、か。簡単に言うのならやっぱり、《終焉の厄災》を起こしちゃうぞー、だね」
「そんなことしてどうするんだよ」
「知らないよ。信仰者でも増やすんじゃない? というか、これが成功したら、信仰者しか生きられない世界になるね。信仰しない者を集めて、魔術で殺せばいいんだからね」
「それは、ありえそうで怖いな」
「だから、止めるんだ。きみは単純に日神ちゃんを助ければ問題ないし、僕はこの魔術書の原典を回収する。それが魔術師としての仕事だ」
「じゃあ、それはコピーなのか」
「だから、日神ちゃんは追われているんだろうね。重要書類を盗み取っているわけだから――しかも、それが僕みたいな魔術師の目に触れられるのは芳しくないでしょ。魔術書の存在を知られるわけだし」
「ま、なんでもいいさ」
月宮は言う。
「魔術書とかはそっちでやってくれ。街の問題――日神の問題はこっちがやるから」
店内の空気は、相変わらず気持ちの悪いものだった。魔術の影響とはいえ、いくら時間が経っても、この体に纏わりつくような空気に慣れることはない、と月宮は思った。
魔術が発動している間の外の状況を見たかったが、あいにく月宮たちの座っている席の近くには窓がなかった。移動することは避けたかった。それは、この空気に触れながら動きたくないと思ったからだ。
「タイムリミットは零時だ」
星咲は告げた。
「日付が変わるから、明日の深夜零時までに、日神ちゃんが姫ノ宮学園にいなければ、きみの勝ちだ」
「なにか条件があるってことか」
「例の如く、きみには理解するのは難しいかもしれないから、簡単に言うけれど、星の位置やその他もろもろが関係しているんだ。その時刻を逃すと、次は数十年くらい先ということになる。それに日神ちゃんを追う理由が、他にもあるんだと思う」
「日神でないといけない理由、か」
「そう。もしかしたら、姫ノ宮学園が狙っているのは、この魔術の発動だけじゃないかもしれない。そういう可能性もある。そう考えると、魔術書の回収と日神ちゃんの保護が一番の良策だ」
月宮が頷こうとしたとき、スラックスにしまってある携帯電話が鳴り響いた。もしかしたら秋雨に考えを見抜かれてしまったのかも、と月宮は携帯電話を取り出し、ディスプレイの表示を確認した。知らない番号だった。
間違い電話の可能性を否めないため、着信を無視してみる。星咲がどうして電話に出ないのか不思議そうに見てきたが、気にしなかった。
しばらくしても、着信音が途切れることはなかった。
試しに電話に出る。
「もしもし、つっきーですか?」
相手は女のようだ。
月宮は答えなかった。その声に聞き覚えがないのもそうだが、見ず知らずの人物にあだ名で呼ばれるのが気にくわなかった。
「あれ? 違う? 違っ……ちゃった?」
女の声に少し不安の色が出てくる。
「私、見ず知らずの人に、つっきーって言っちゃった! 恥ずかしい! すごい恥ずかしい!」
月宮はなにも言わない、というよりは向こうが一方的に喋り過ぎて、相槌を入れる暇がないのだ。それはまるで、アパートの隣人のようだった。
「あ、えっと、その、すいませんでした!」
通話が切れ、月宮は携帯電話をテーブルの上に置いた。どうせまたすぐに電話がかかってくるだろうと思ったからだ。
星咲が「どうして電話に出たのに喋らないの?」と言いた気な眼差しを月宮に向けていたが、月宮はそれを無視し、携帯電話に注目する。
そして、再び着信音が鳴り、月宮はすぐに出た。
「いやー、さっきね、違う人に電話かけちゃったんだよ。今度は間違いないよね? はろはろ、つっきー」
「……どうも。どこかの誰かさん」
「うんうん、これだよ! これが電話だよね。さっきの人なんて、一言も喋らなくて焦っちゃったよ。どんな人だったんだろう……。もしかして、あれかな? メールの方じゃないと嫌ってタイプかな?」
「別にそんなことはないと思うけど」
「なんで?」
「いや、さっきの俺だし。お前は間違ってなかったぞ」
「どうして? どうしてなにも話さなかったの? 不安になるじゃん! こっちのことを思って、違いますよー、って言ってくれればいいじゃん!」
「いや、だって、知らない奴に『つっきー』なんて呼ばれたら黙るだろ。お前、なに様だよ、って言いたくなるよな?」
「同意できないよ……」
ふと、星咲が、「どうして知らない相手とそんな仲良く話してるの?」と訴えかける目を月宮に向けていた。それはその通りだった。
「あー、まあいいや」
月宮は話を無理矢理変えた。
「どちらさんですか?」
受話口から溜息のようなものが聞こえてきた。実際、溜息だったのだろう。月宮のいい加減な対応に、呆れているに違いない。
「私の名前は如月トモ」
女は調子を変えずに言う。
「姫ノ宮学園の生徒だよ。これだけ言えば、要件は伝わるよね?」
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