第12話 終焉への信仰

「立っていた子はなにか棒状のものを持っていました。先の尖ったものです。剣だと思いますけれど、それにしては少し大きかったです。もちろん私は剣に詳しいわけでも、その演劇の道具にも詳しいわけではないので、そういう剣があっても不思議だとは思いません。


 その子は倒れている子に、剣を突き立てました。倒れている子は震えているようでした。素晴らしい演技だな、とそのときの私は呑気に考えていました。


 しかし、それもすぐに改められました。


 その剣が、倒れている子の体を貫通したんです。一瞬、はっとしましたが、見間違い、あるいは脇の間を通したんだと思いました。外にいた私にもわかるくらい、小屋の中は緊張感でいっぱいでした。二人の演技が演技に見えないくらい……。


 そしてそれは、演技ではありませんでした。


 剣を引き抜いた瞬間、倒れていた子から大量の血が溢れ出てきたんです。


 目を疑いました。


 水だと思いました。


 だけど、それは間違いなく血でした。そう確信できたのは、剣を引き抜いた際に倒れている子の位置が少しずれたからです。


 日も昇ってきて、森の中も明るくなってきていました。そのおかげ、またはそのせいで、彼女の体がはっきり見えてしまいました。私からでもはっきり見えるようになった彼女の体には、傷跡……いえ『穴』がありました。ぽっかり、と表現するのが正しいのかわかりませんが、たしかに『穴』が開いているのが見えました。


 血は止めどなく溢れ、床には血だまりができていました。


 私は声が出せませんでした。声を出してはダメだと、本能的にわかっていたんだと思います。声を出せば、殺されてしまう。


 口を押さえ、その場に座り込んでしまいました。逃げたかったんですけれど、足に力が入りませんでした。逃げなくちゃと思っているのに、体が言うことをきかなかったので、とても焦りました。壁の向こう側には、人殺しがいるのに……。


 これまで見たことを整理するように、頭の中で、森に入るところから座り込むまでの映像が流れました。


 誰が殺されて、


 誰が殺したのか。


 顔はまったく思い出せませんでした。それよりも、そこで人が殺されたという事実で頭がいっぱいだったんだと思います。犯人を見るよりは、自分の身を案じた。


 小屋からは誰も出てきませんでした。死体処理をしているんだろうと思いました。


 逃げるなら今しかない。そう思うと、今まで動かなかった足が、言うことを聞いてくれました。まずは窓から遠ざかりました。四つん這いで、小屋の裏に移動しようとしました。正面から逃げるのは、あまりにも姿を見せすぎてしまうからです。窓から少し遠ざかったところで、立ち上がろうとしました。


 しかし、転んでしまったんです。足はまだ思った通りには動かなかったみたいで。大きな音を立ててしまい、小屋からは足音が聞こえました。私は必死に小屋の裏まで移動しました。匍匐前進のようだったかもしれません。必死だったので憶えていません。


 窓を開ける音が聞こえ、私は息を潜めました。膝から血が出ていましたが、その痛さも気にしていられませんでした。


 気付かれれば、殺される。


 そのことだけが、私の頭の中を支配しました。


 体が震え、心拍数は高まり、嫌な汗もかいていました。


 壁に手をかけ、ふらつく足でなんとか立ち上がりました。走ることはできない。私はそう直感しました。逃げられない。時間が経てば見つかる。できればもう少し、足がまともになるまでは、犯人には出てきて欲しくなかった。


 そんな思いもむなしく、扉が開けられる音がしました。犯人が小屋から出てきたんです。しかも、ゆっくりとこちらに近づいてきていました。


 どうしよう、と私は打開策を死に物狂いで見つけようとしました。そして、ほとんど賭けだったんですが、足元にあった小石をできるだけ遠くへ投げました。犯人の視界に入らないように、放物線を描くように森の中へと。


 森の中で小石が草木に当たる音がして、それと同時に犯人の足音も止まりました。誰かいると思ってくれたんでしょう。これだけは本当に運が良かったとしか言えません。


 犯人は森の中へ入って行きました。草を踏む音でわかりました。遠くなって行く足音に安堵しつつ、私は小屋の中へ入りました。


 変でしょう?


 私も自分がなにをしているのかわからなかった。逃げる絶好の機会なのに、わざわざ逃げ道のない犯行現場へと入って行くなんておかしい。そう思いました。


 けれど、自分の見たものが本当だったのかを、確認したかったんです。


 小屋の中は、血の匂いが充満していました。それだけで充分でしたが、死体も念のために確認しました。誰が殺されたのかを見たかったんです。


 でも、それは叶わなかった。


 殺された子の顔は、原型を留めていませんでした。何度も、何度も、切られた。あるいは刺された。


 あまりにも酷い有り様に、吐きそうになりました。


 ふと、ぐらつく視界にあるものが映り込みました。一見ただの紙の束でしたが、それにしてはこの小屋に不釣り合いなくらい綺麗な紙でした。まるで、持ち込まれたばかりのように。


 私はそれを手に取り、読むことにしたんです。そこには私が知らない姫ノ宮学園のことが書かれていました」


「その紙を持ってるの?」


 星咲が日神の話に割り込んだ。


「話が終わってからでもいいだろ」


 月宮は星咲に言う。


「ここまで聞けば充分だよ。充分すぎる」


 星咲は冷めているポテトを摘まむ。


「あとはその紙束を読めば、全部繋がってくるんじゃないかな。そうでしょ? 日神ちゃんの話に残されているのは、紙束に書かれていた内容と日神ちゃんが姫ノ宮学園から脱出するまでのことだ。後者はいらないよね、どう考えても。話はさっくりと進めないとね。無駄は省こうよ」


 月宮は日神を見た。


「私は構いません。必要なら全部話しますけど、星咲さんの言った通り、問題はこの内容なので」


 日神はスカートのポケットから何重にも折り畳まれた紙を取り出した。二つのポケットに半分ずつ入れていたようだ。紙は全部で十枚ほどだった。


 月宮はそれを手に取る。


「とりあえず、キーワードは『殺人』と『日神の知らなかったこと』だな」


「そうです」


 日神は頷く。


「自分の思ったことを言葉にするのは簡単にはいかないので、こういった形でしか説明できませんでしたが、それがわかってもらえれば充分です」


 月宮は紙に目を通した。そして一ページ目の一番上、つまり題目で目を留めざるをえなかった。日神が殺人現場を見て目を疑ったように、月宮もそこに書かれていることに目を疑った。


「私も目を疑いました」


 日神が月宮の様子に気付いて言った。


「私たちの所属している姫ノ宮学園という組織は宗教団体だったんです」


「宗教?」


 星咲は首を傾げた。


「はい」


 日神は頷く。


「世界を恐怖の底へと陥れた最悪の事件。《終焉の厄災》を信仰しているんです」


「それは……」


 星咲は言葉を失っているようだった。


「とんでもないものを信仰対象に選んでいるね」


《終焉の厄災》は、数十年前に、一週間にいくつもの国が消滅した事件である。


 始まりはヨーロッパにある小さな国。その日、なんの前触れもなく黒い球体が現れ、その国を呑みこんだ。一瞬のできごとだった。初めからそこが黒い球体であったかのような、そんなあっという間のことだ。黒い球体は消えずに、いつまでもそこに存在し続け、幾度となく行われた調査でも、それがなんであるかは不明だった。科学でも、魔術でも、解析はできなかった。だが、どうやらそれは地面を抉り、大地ごと包みこんでいるということが、後の調査で判明することになる。


 その現象は、日を重ねるたびに被害を増やしていった。いつ、どこにその球体が現れるのかが不明であり、始まりの日を境に、人間が安心して住める場所は地球上から消滅した。人々は逃げることができず、いつ呑まれるのかもわからず、ただ恐怖と絶望を抱きながら、生きていくこと余儀なくされた。


 黒い球体は一度だけ消えたことがある。それは六日目のことだった。そのときにはすでに、十三もの国が消滅していた。「呑まれた」のではなく、「消滅していた」のが発覚したのが六日目のこと。呑まれた国は大地ごと地球上から消滅。未確認だった国民の生死も、これがきっかけで明らかになる。


 そして七日目。アジアにある国が球体に呑みこまれるが、それ以降、その現象が起こることはなかった。しかし、消えていた球体が再び姿を現し、消えることなく、現在もまだ消えずに残っている。


 月宮は以前に読んだ、《終焉の厄災》についての資料を思い出していた。細かいことは憶えていないが、詳しい内容が書かれていたはずだ。表には出ていない情報も書いてあった。魔術という言葉が出るのが、その証拠だ。


「でもあれを信仰している人がいるのは不思議じゃない」


 星咲は言う。


「あれは一週間だけ現れたものだ。一週間。それは神が世界を作り上げた期間と同じだ。だから、あの現象を神の仕業として、崇めた人間も多くいる。ただ、人を殺すことが神の教えだと解釈していた」


「そういった人々は疎まれました」


 日神は言った。


「世界を震撼させた現象を崇めるのは異常であると、世界中で信仰者は淘汰された」


「ほとんど虐殺だったと言われているね。そうである可能性があれば、世界中に晒され殺害される。自分の憎いと思っている人間を信仰者であると吹聴することもあった。世界中を混乱させたのは、あの一週間ではなく、そのあとだとも言われている」


「詳しいんですね」


 日神は意外そうに言う。


「教科書にも載っていることですけれど、そういう思想関係の話は添削されているのに」


「まあね」


 星咲は微笑む。


「僕は世界の不思議な現象を調べるのを趣味としているからね。こういうことは好きでとことん調べてしまうんだよ。日神ちゃんもずいぶんと詳しいんだね」


「私の場合、これが普通でしたから」


 日神は言う。


「もちろん使っていた教科書で、という意味です。図書館には他の教科書が数種ありましたけれど、私たちが使っているものより薄かったので、不思議だとは思っていました」


「なるほど。小さい頃から、知らず知らずの内に刷り込まれていたんだね。……異常な学園では異常が普通か。ああ、別に変な意味じゃないよ?」


「大丈夫です」


 日神は微笑む。


「変な学園であることはわかっていましたから。閉鎖的にしてはあまりにも大き過ぎますからね、あそこは」


 で、と星咲は月宮に目を向ける。


「その紙束はどんなものなのかな? いいかげん僕にも見せてもらいたいんだけど」


「あ、ああ……」


 月宮は生返事しかできなかった。


 資料は何度も読み返した。初めのタイトルから目を疑うものだったが、その内容もまた目を疑わざるをえないものだった。姫ノ宮学園が成そうとしていることが、月宮の理解の枠を超えていた。


「日神……、一ついいか?」


「なんでしょう?」


 日神は首を傾げる。


「この資料の内容で憶えていること、思ったこと、気付いたことを言ってみてくれ」


「えっと……」


 日神は手を顎に当てる。


「《終焉の厄災》についてのことくらいでしょうか。十ページすべてに詳しく書いてありました。少し文章がおかしかったですね。回りくどいというか、無駄な文章が多いような気がしました。たぶん、暗号かなにかが書かれているのだと思います」


「わかった、ありがとう」


 月宮はそう言って、テーブルに資料を置く。星咲に渡すつもりだったのだが、その気力は削がれてしまった。


 星咲はテーブルに置かれた資料に手を伸ばす。そして一ページ目を見て、「本当に《終焉の厄災》のことが書かれているんだね」と感想を漏らした。星咲の資料を読むペースは異常に速かった。一ページ目をめくったと思うと、すぐに二ページ目をめくる。全部読み終えるのに、五分もかからなかった。


「日神ちゃん」


 星咲が資料を見ながら、呼んだ。


「はい」


 日神は返事をする。


「きみは、どんな結末を望んでいるのかな? 月宮くんに助けてもらうと言っても、いろいろあるだろう? 日神ちゃんだけが助かっていればいいのか、姫ノ宮学園で行われた殺人の犯人を捕まえればいいのか。きみの中では、どれが恐怖の対象となっているのかによって、結末も、そこに行き着くための道筋も変わってくる」


「私は、真実を知りたいんです」


 日神は言う。


「私が姫ノ宮学園を逃げ出したのは、学園も周りの人たちも信じられなくなったからです。殺人犯が誰だかわからない以上、私にはあそこにいたすべての生徒が殺人犯に見えました。そして姫ノ宮学園という組織は、《終焉の厄災》を信仰していることを知った。私は知らなかった。私だけが知らなかったと思えた。だけど思い出したんです。殺された子は震えていた。信仰者なら、死を恐れません。殺されること、殺すことに意味がありますから」


「賢いってのは大変だね」


 星咲は呆れる。


「きみは、姫ノ宮学園がしようとしていることには生贄のようなものが必要であり、生贄となる者にはなにも知らされない、とでも考えたんだね」


「星咲さんも相当ですよ――ああ、でもこの言い方だと、私自身を賢いと認めてしまうことになるんですね」日神は笑う。「私は賢くないですよ。ただ妄想が行き過ぎるだけです」


「行き過ぎた結果、殺される対象は信仰者でない者ということに辿り着いた。自分もこのままでは殺されてしまう。他の生徒に助けを求めることはできない。だから逃げ出した。逃げ出すしかなかった」


「そうです。その通りです」


「きみは、居場所を求めているのか」


 星咲はつまらなさそうに言った。


「そういうのはお嫌いですか?」


「いや……、嫌いじゃない」


 星咲はいやらしい笑みを見せる。


「むしろ大好きだ。そういうことなら、僕もきみを助けようじゃないか」


「ありがとうございます」と日神が言おうとしたが、星咲が「ただ」と被せてきたため、それは叶わなかった。


 月宮は、店内の空気が一変したことに気付く。クーラーの効いた店内だったが、今はただ、生温さと体中にまとわりつく気持ち悪さが充満している。クーラーの故障では説明がつかない。故障しただけでは、こんなにも早く空気が変わることはないのだから。


「失礼します」


 と日神は席を立った。それだけではない。二階のフロアにいた客が次々に席を立って行く。商品の乗ったトレイをテーブルに残したままのため、帰るというわけではなさそうである。全員どこか無気力のような……。


「おい、星咲。これは……」


「うん? ああ、これ? 魔術だよ、魔術」


 星咲は当たり前のように言う。


「この場に残れたってことは知ってるよね、当然。まあでも、知らない人を退かすことに意味があるんだけどね」

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