第7話 不透明な敵

 長月イチジクは雑木林の中でなにを見ているのでもなく、ただ真正面を向いていた。その先にあの少年が逃げて行ったという保証はない。完全に撒かれてしまった。


 あの少年を甘く見ていたわけではない。あらゆる可能性を考慮して、万全とはいかないとしても、それなりの成果を上げられるはずだった。この街に能力者がいることもわかっていた。そして魔術というものが認知されていないことも知っていた。だから魔術を見せた。振り向いたときを見計らって、わざと使用した。


 しかし、少年は動揺することも、思考が停止することもなく、走り続けていた。その証拠に、長月の上からの攻撃を、空を見上げることもなく、自分の考えが正しいとして、この雑木林に飛び込み回避した。それは常人にはできないことだ。不可解なものは確認しなければいけない、少しでも迷いがあればタイムラグを生む「見上げる」という行動をしてしまう。自分の力を過信していたとしても、あまりにもできすぎている。


「初めから逃走だけを考えていたとしも、答えに辿り着くのが早すぎます」


 長月は二つのハンマーを「向こう側」へ召喚した。


 雑木林は、奥へ進むほど木が密集して生えていた。太い幹のものよりは、細い幹のものが多かった。そのせいか木々に生えている葉が重なり合い、空から差し込むはずの日の光がまったくといって入ってきていない。外側は湿気が酷く蒸し暑かったが、内側に進むほどそれは感じられなくなった。日の光が入ってこない分、涼しかった。


 長月は近くにあった一番太い幹に背を預け、携帯電話を取り出す。電波がきているのか不安だったが、その必要はなかったようだ。


 記憶している番号を押し、電話をかける。


 三回コールが続いた後に、通話が繋がった。


「もしもし、トモですか?」


「そうだね、番号を間違えていないか、私の声を真似している人じゃなかったら、私だよ」


 陽気な声で如月トモは話し始めた。二日ほど寝ていないはずなのだが、テンションの高さはいつも通りだった。


「どう? 目標の方は確保できた? もちろん、最終目標じゃないよ。まあ、それならそれで御の字だけど」


「いえ、見失いました。完全に敗退したようです」


「わざと逃したんじゃなくて?」


「どうでしょうね。案外、私は全力を出していたのかもしれません」


「ふうん」


 如月トモはどうでもよさそうに相槌を打った。


「ま、いいよ。全力であろうとなかろうと、逃げられたことには変わりないんだからね。どうせ、いっちゃんのことだから、全力を出せずにいたんだよね? 優しい子は大変だね」


「そうですね」


 長月は、如月の嫌みにも聞こえる言葉を肯定した。


「少し人間を捨てきれなかったみたいです」


「仕方ないよ、相手が相手だからね。住んでいる世界が違う相手だと、少しやりづらいところもあるよ」


「そのことなんですが、月宮湊については、どの辺まで情報を得ることができましたか? 新しい情報があれば聞きたいのですが」


「うーんとね」


 如月は少しの間黙った。電話の向こうでマウスのクリック音が聞こえているため、情報を引っ張り出していることがわかった。


「特に目新しいものはないかな。なんか資料とかめちゃくちゃなんだよね、彼。親族の個所に親族じゃない人がいたり、重要書類ってなんだよ! って感じ」


「ハッキングをしている私たちが言えることじゃないですけどね」


「そうだね」


 如月は笑った。


「能力とかも、わからなかったってことですよね?」


「とか? それは不思議、不思議ちゃんだよ。いっちゃんが気になっているのは、そこなんだね?」


「そうです」


 長月は見えない空を仰いだ。


「無能力者だよ。まあ当てになるかどうかって言ったら、ならないけど。これは酷い情報操作だね。なにが彼を守っているんだろうね」


「彼は魔術のことを知っているようでした」


「見せたの?」


「意味はなかったですけれど」


「でも、それはわかってたことじゃない? というよりは想定の範囲内。取るに足らないことじゃん」


「問題はただの一度も使用しなかったことです」


「人目が気になるからでしょ。だって、そこは学校じゃん」


「学校であるのは、そうですが、私が今いるのは、敷地内にある雑木林の中です。人目などつくはずがないくらい、生い茂っていますよ」


「じゃあ、ただ逃げるだけに徹底されたんだね」


「そうです」


「それはちょっと不思議だね。攻撃してこないということは、時間稼ぎの線も考えられるね」


「とりあえず、私は一度そちらへ戻ります。少し急ぎ過ぎたのかもしれません。次で終わらせるために、優しさを捨てる時間が必要です」


「りょーかい」


 通話を切って、携帯電話をしまう。


 そろそろ行かなければならない。


 長月は改めて周囲を見渡した。辺り一面に草木が生い茂り、とてもじゃないがハンマーを振り回せるような場所ではなかった。木を折り倒すこともできない。だからといって相手がなにを仕かけてくるかわからないため、ハンマーを手放すわけにはいかなかった。


 もしあの少年がここまで考えていたとしたら?


 だが、長月が武器を魔術で取りだしたのは、彼が走り出してから。つまり彼は初めからここに向けて走っていたということになる。雑木林に逃げ込めば、たしかに視界の悪さを利用することができる。それが彼の策だったはずだ。


 普通に考えれば、ただの偶然である。


 しかし長月はその偶然を見過ごすことはできなかった。


 どんな戦闘であれ、偶然が重なれば戦況がひっくり返ることがある。その 偶然が、最悪の状況下という最高のタイミングで発生するかは、誰にもわからない。それこそ神のみぞ知る、だ。


 偶然とは、奇跡とは、不確定な要素でありながら、必ずしも念頭にいれなければならない厄介なものである。


 力がないための逃走か。


 力がある故に逃走か。


 結局、長月は月宮湊の情報を、なに一つ得ることはできなかった。魔術に動じないからといって、どうとなるわけでもない。あって損することはないが、得をすることもなかった。


 長月は歩き出す。天野川高校の関係者が集まっているかもしれない、という考えから、来た道は戻れない。かといって初めて来た雑木林の中を闇雲に歩いて出られる保証もない。


 これも月宮湊の策だとしたら、敵ながら見事だ。


 長月イチジクは迷子になった。

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