第6話 疑惑の傷跡

 秋雨美空は、校門付近に突如として現れたという二匹の大蛇が這ったような傷を見て、声を出すことができなかった。秋雨は月宮に背負われて登校した。そのため、今朝の校門付近の様子を知らない。目が覚めてからは、校舎から出ていないため、この傷がいつからあるものなのか判断できなかった。


 他の生徒や、教師が驚いていたのを見て、今朝から昼休みにかけての時間には、この傷はなかったことがわかった。ほとんどの者たちが秋雨と同じように、目を丸くしている。行動力――というより、対応力がある者は「それ」を見て驚くものの、すぐに都市警察に連絡をした。ある者は、携帯電話で撮影をしている。


 驚きのあまり気付かなかったが、今朝からある傷ならば、クラスメイトが騒いでいたはずだった。いや、校内中で騒ぎになっていたはずだ。騒ぎにならないはずがないということは、周囲の反応を見ればわかる。


 そこに気付くと、この傷は、あの謎の騒音が聞こえたときにできた可能性が高いと連鎖的に気付いた。他の生徒や、教師は初めから勘付いていたようだが、今朝の現状を知らない秋雨には少し思考を巡らせる必要があった。


「いったい誰がこんなことをしたんだ?」


 秋雨の隣にいる愛栖愛子が呟いた。愛栖の身長は月宮よりも高く、近くで話すときは見上げなければならない。同じ女性の目線で見ても、愛栖の抜群の体型には目が釘付けになってしまう。秋雨は素直に羨ましいと思うのと同時に、密かに目標にしていた。


 普通なら、今の時間は授業の最中なのだが、謎の騒音のせいで一時中断、混乱を避けるために、生徒は教室から出ることを禁止されていた。この場にいる生徒は、愛栖の受け持っているクラス、つまりは秋雨のクラスメイトたちである。しかし秋雨の見る限りでは、顔の知らない生徒が何人かいた。おそらく抜け出してきたのだろう。愛栖もそれに気付いているだろうが、他のクラスに対して口を出さないと決めているらしく、なにも言わない。秋雨のクラスメイトたちがここにいる理由は、愛栖が授業の一環として連れてきたからだった。愛栖の言うことはなんでも通るらしい。愛栖の教師陣での地位は割と高いようだ。


 数人の教師がカラーコーンと何重にも巻かれた紐の束を持ってきた。傷に近づくことを防ごうとしているのだろうが、その傷は長く続いている。どうやって紐を使うのか、秋雨は不思議でならなかった。それは隣にいた愛栖も同じで、「バカだろ……」と声を漏らしていた。


「やっぱり能力者の仕業なんでしょうか」


 秋雨は愛栖に訊いた。


「可能性は高いな」


 愛栖が煙草を吸おうとしたが、秋雨はそれを止めた。


「ん? ああ、そうか。つい癖でな、ダメだとわかっていても手が出ちまうんだよ」


 飽きてきたのか、クラスメイトたちが校内に戻っていく。熱しやすく、冷めやすいのがクラスメイトたちの特徴だった。もともと興味がなかったのかもしれない。傷を見て驚きはしたが、それだけだったのだろう。


「能力者だとするとなにしに来たんだろうな」


 愛栖は煙草を吸いたそうに指を疼かせている。


「なんの能力かは知らないが、大抵の能力ならあの騒音を出すことができる。だが、この傷と音は関係なさそうだ」


「関係ないんですか?」


 秋雨は愛栖を見上げた。


「雷みたいのが、ばーっと出てあんな音が出たんだと思いましたけど」


「その可能性がないとは言わない。まあ、とりあえずこの傷を辿っていくことが、今、すべきことだな。向こうはとても楽しそうなことになってる」


 秋雨は愛栖の見ている方向を見る。傷を辿ったその先には、数人の教師がいた。カラーコーンや紐を持っていた教師とは別の人だ。その教師たちは傷を見ているようだった。全員が見下ろしている。


「あれ?」


 秋雨は気になった。


「そういうことだよ」


 愛栖は秋雨の背に手を当てた。


「さあ、行こうか。私もあそこにあるものが気になってるんだ。ま、予想はつくが、間近で見たいからな」


 秋雨は愛栖と共に傷を辿って、その場所へと行く。傷は長く続いていたが、途中で切れていた。そして、そこから数メートル離れたところに、愛栖の見たがっていたものがあった。


 大きな穴だった。まるでなにかで刳り抜かれたような、またはなにか隕石のようなもの降ってきたかのようである。直径は五メートルほどだろうか。中心部にいくほど穴は深くなっていき、一番深いところで一メートル以上はあった。


 さらに穴には奇妙な跡があった。二つの凹みがあり、その近くからまた、大蛇のような傷が穴の外まで伸びている。


 その先には生物部などが利用しているという雑木林があった。普段目にする機会はなかったが、その異常には誰でも気付くことができるだろう。木が倒されている。それも一本や二本ではない。何本もの木がなにかで折られたかのように倒れ、まるで道を作っているようだった。


「本当に大きな蛇が通ったのかも……」


「んなわけあるか」


 愛栖は言った。


「だとしたらこのなげえ跡はどこまでも続いてなければいけないし、途切れてもダメだろ。校門付近を最終点として考えて、その大蛇はどうしたんだ? 飛んだとでも言うのか?」


「違ってることくらいわかってますよぉ。どうせ私なんかじゃ、答えを見つけることはできませんよ……」


「落ち込むなって。当たってるところだってあるんだから」


「先生はどうやってこれができたのかわかったんですか?」


 秋雨は目を輝かせた。


「いや、全然」


「怒りますよ?」


「そうだなぁ、能力による跡じゃないと断言してもいいかもしれないな」


 愛栖は秋雨を無視した。


「どうしてですか?」


「あそこから能力を使ったとして」


 愛栖は指し示して説明する。


「ここで爆発のようなものが発生する。音もここまでの傷も、そう考えるのが普通だよな」


「そうですね。『大きな蛇が通った』よりも説得力があります」


「だが、この穴の中には変な窪みが二つあるよな? それが能力によって付いた跡だとは考えにくい。どちらかといえば、着地をして付いた足形であるほうが、よっぽど納得できる。だけど、足にしては大き過ぎる。まあ、靴が大きいと考えればありえないことではないんだが」


 秋雨は愛栖の説明を聞きながら、何度も頷いた。愛栖の言っていることは正しいと思えたし、なにより現実的だ。秋雨の気になっていた凹みの説明もあって、自分の着目点が合っていたと内心で嬉しがった。


「その凹みからまたなげえ傷ができて、雑木林まで続いていく」


 愛栖が雑木林を指したとき、秋雨もつられて雑木林を見た。


「でも雑木林にはその傷はなく、代わりに木がぶっ倒されてるってわけだ」


「なるほどぉ」


「わかってんのか?」


「いえ、全然わからないです」


「……つまり、だ。能力者が付けた傷にしては、断裂的なんだよ。考えてみろ。雷を出したとして、あそこで途切れさせる意味はなんだ? そして少し間を開けて、ここででかい穴を開ける意味は? その中から能力を使う奴がどこにいる」


「そう言われるとそうですね」


「極めつけは、雑木林でぶっ倒されている木だ。能力者なら、削り倒すとかだろ? 折り倒すってのは、なかなかいない」


「いないわけじゃないんですよね?」


「いたとしたら、そいつはバカだろ。調べれば一発でバレるだろうが。近くにいけばわかりやすいんだが、あれは折り倒されているというよりは、叩き折られていると思う。木に付いた跡を見れば、正しいか判断できるだろ」


「ううん……」


 秋雨は顎に手を当てた。


「先生の話を聞いた限りでは、犯人が能力者である可能性が低いってことはわかりました」


「なにか言いたげだな」


「でもやっぱり能力者じゃないと言い切れないですよね」


「そうだな」


「これが私の勘違いならいいんですけど」


 秋雨は愛栖の顔を見た。


「先生、実はなにも考えてないですよね? というよりは興味ないですよね、このことに」


 愛栖は驚いた表情で、秋雨の顔を見た。凄惨に笑うか、怒るかばかりの愛栖にしては、珍しい表情だった。この傷を見たときですら、驚かなかったくらいだ。


「よくわかったな」


 愛栖は感心した。


「ぶっちゃけ、どうだっていいんだ。こんなこと都市警察に任せておけば問題ない。私がこうしてるのも、授業を潰せて嬉しいからに他ならない」


「えー。それって教師としてどうなんですか」


「教師だからこそ、だ」


「当たってるというのも、嘘だったんですね」


「いや、私は、犯人は能力者じゃないと思ってるよ」


 愛栖は改めて傷と穴を眺めた。秋雨も追うように眺め、修繕するのが大変そうだ、と思った。


「『能力者じゃない』という点では、お前の言った『大きな蛇』とやらも、あながち間違ってないだろ」


「それってほとんど不正解じゃないですか……」


 秋雨は肩を落とした。


「秋雨は本当に可愛いなぁ。抱き枕にしたい。どこで売ってる?」


「非売品ですよ」


「能力者といえば」


 愛栖はすぐに話題を変えた。


「能力者を相手にバイトをしているあいつの姿が見えないけど、離婚でもしたか?」


「まだ結婚してません」


「まだ? これからなの? 式には呼んで」


「結婚式とかないです。これからも……」


 秋雨は自分の頬が染まっていくのがわかった。自分でなにを言っているのかわからなくなる。


「これからも? なんだ、私はてっきり、あいつとくっつくと思ってたんだけどなぁ」


「いや、あの、あるかも……しれないです、けど……」


 秋雨は愛栖に表情が見えないように俯いた。恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。


「本当にお前は素直で可愛いなぁ。あいつにはもったいない」


 秋雨は手で顔を仰いだ。すごい勢いで体温が上がっているのがわかる。もしかしたら頭の上から湯気が出ているかもしれないとさえ思った。


 カラーコーンを設置していた教師たちが次々に撤退していく。立ち入り禁止と書かれた札が、カラーコーンに通した紐にぶら下げてある。どうやら何本も紐を使って、どうにか一周させたようだ。


 もうすぐ授業の終了を知らせる鐘が鳴る。そうすれば、教室に待機していた生徒たちが一斉にここに集結するだろう。しかし、数百人にも及ぶ生徒がここに集結するとなれば、それなりの危険が伴うため、もしかしたら放課後までは待機かもしれない。


 この傷を作った犯人はなにをしたかったのだろう?


 なにかを追いかけていた?


 なにを?


 ……誰を?


 秋雨はそこまで考えて、愛栖に促され、その場をあとにする。教室まで戻る間に、愛栖に何度もからかわれ、秋雨はその考えを忘れてしまった。ひたすら愛栖に対抗することに精一杯だった。


 だから突然、愛栖が廊下で「重量のある鈍器……それが二つ。なるほど。それならいけそうだ」と呟いたが、それがなんのことかわからなかった。

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