第7話「無敵のブレインウォッシュでなんとかする」

「卒業しても続くからな」


 校庭裏でいつものように殴られながらその言葉を聞いた。


「そ、それはどういう……」

「言葉通りの意味だ。最近ヘラヘラしているようだから、宣告しておく。卒業しても続くからな」


 卒業しても続く?


 意味がわからない。


 卒業すれば、もう俺との接点はないはずだ。いじめは、終わる。


 そして、俺はこんな屑達の事は忘れて、心機一転大学でキャンパスライフを謳歌するんだ。


「へっへ、紫門ゆりかどさん、こいつまだわかってないようですよ」


 宮本がニヤニヤと小馬鹿にしたように指さす。


 紫門ゆりかどは宮本の言葉を聞き、鷹揚にうなずく。そして、俺の胸倉を掴み耳元でささやいた。


「まったく馬鹿はあいかわらずだな。お前がどこにいようと関係ない。この制裁は卒業しても続くって言ってんだ」

「な、なんで!?」


 意味がわからない。胸倉を掴まれながらも疑問をぶつけた。


「なぜじゃねぇよ。絶対に許さねぇ。お前は、俺のサクセスストーリーを壊そうとした。下民が上級国民様に逆らってのうのうと生きていけると思ったか!」


 紫門ゆりかどは胸倉から手を離すや、俺を殴り飛ばす。


 地面に倒れ、ふらふらと立ち上がる俺に、


「終わりだよ、お前」


 紫門ゆりかどから冷酷な声で宣言された。


 がくがくと膝が揺れ、


 へなへなと腰が抜けた。


 終わらない? この地獄が続くのか?


「うっ、うぁああああ!」


 思わず大声を上げた。


 あ、あんまりだ。ひどすぎる。


 地面にうずくまり、嗚咽した。


 涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになる。


「お前もバカだな。誰に逆らったかわかってる? 天下の小金沢グループの跡取り、紫門ゆりかどさんだぞ」

「あ~ぁ、無様に泣いて哀れだな。今までのように下民らしくヘコヘコしていたらよかったのによ」


 宮本と佐々木があきれた顔で言い放つ。


「俺はよ。どんな雑魚だろうと立てつく奴には容赦しない。わかるな?」


 紫門ゆりかどが泣きじゃくる俺を上から見下ろして言う。その顔は、悦に浸っていた。


 俺の頭の中では「卒業しても続く」という言葉がぐるぐると回っている。


 立ち直れそうにない。


 その間も紫門ゆりかど達は、俺をどうやっていじめるか算段を立てている。


 そして……。


「……というか、紫門ゆりかどさん、白石が俺達と同じ年に卒業って生意気じゃありません?」

「くっく、佐々木、お前面白いこと考えるな」

「へっへ、そうでしょう。白石には、誰に逆らったのか骨の髄まで教え込む必要がありますよ」

「その通りだ。よし、白石、お前は留年だ」


 はぁ? 何言ってんだ?


 自分の耳を疑う。


 にわかに信じられない。信じたくもない。


「白石、よかったな。お前、三年生を二回も経験できるぞ」


 宮本が俺の肩をポンと叩き、面白そうに言う。


「それとな白石、俺達が卒業してもヘラヘラしてられないぞ。俺の息のかかった後輩にきっちり言い含めておいてやる」

「あ、それなら俺の弟が適任ですよ。同じ剣道部なんで腕っぷしもあります。白石を軽くシメてやれますよ。それに弟にメールすれば、紫門ゆりかどさんが遠隔から遊べます」

「おぉ、それはいいな!」


 佐々木と紫門ゆりかどがげらげらと笑う。


「くっく、白石~紫門ゆりかどさんに感謝しておけ。俺達が卒業しても、後輩がきっちり遊んでくれるそう、だぁ!」


 宮本から強烈な蹴りを食らい、地面に倒れる。


 げほっ、げほっ!


 咳き込みながらしばらくうずくまり、


 顔を上げると、紫門ゆりかど達はいなかった。


 もういないはずなのに、紫門ゆりかど達の下種な笑い声が頭に響いてく。




 ちくしょぉぉぉ!


 あいつら留年させるだと? ふざけるな!


 そんな権限お前にあるわけ――あるわけが――あるんだよな。


 天下の小金沢グループの跡取り息子に不可能はない。教師を買収しても俺の進級を阻止するだろう。


 嫌だ。留年なんて親に顔向けができない。


 そんで紫門ゆりかど達が卒業しても、紫門ゆりかど達の後輩が俺をいじめるらしい。佐々木の弟なんて絶対に屑野郎に決まっている。


 また地獄が続く。


 嫌だ。学校に行きたくない。


 よしんばなんとかいじめに耐え、卒業できたとしても終わらないのだ。


 紫門ゆりかど達のあの様子なら俺が大学に進学しようが、就職しようが、お構いなしだ。紫門ゆりかどの手が緩まることはないだろう。その権力を行使することになんの遠慮もない。


 どうしたらいいんだ?


 俺は、夢遊病のようにふらふらと校内を歩き続けた。


 どこをどう歩いたかわからない。


 家にも帰れず、教室、廊下、下駄箱と移動し、いつのまにか図書室の前にいた。


 ここは……。


 思えば、ここが起因、あいつの告げ口が始まりだった。


 草乃月 麗良……。


 才色兼備の美少女、学年主席の才女で家は大金持ち、高校に入ってからの俺の心のオアシスだった人。

 そして、俺に欠片も興味がなく、紫門ゆりかどに夢中の馬鹿女だ。


 何気なく図書室に入り、奥の資料室に向かう。


 

 麗良がいた。


 また独りでいる。


 前回と同じように難しそうな本を読んでいた。麗良の周りには常に人が集まっている。独りになりたい時、こうして穴場である資料室に来て読書をしているのかもしれない。


 唯一のプライベート時間、邪魔をしてはいけないと考えるべきであろう。


 今はそんなことは考えられない。マナー違反だろうが、どうでもいい。


 元はといえば、彼女が俺のいう事を信じなかったのが悪い。盲目的に紫門ゆりかどを信じた。少なくとも紫門ゆりかどにチクらなければイジメに遭わなかった。


 美人で才女で、憧れていた。こんな人が彼女ならどんなに嬉しいかと何度も妄想した。もうそんな思いはない。麗良はイジメこそしなかったが、イジメを見てみぬフリをした。


 いじめをする屑な紫門ゆりかどを尊敬し、いじめられる弱者な俺をゴミでも見るかのように侮蔑した。同情もしなければ、うっとおしそうな眼差しを向けるだけだ。これでは、百年の恋も覚める。


 もう恋愛感情はない。


 原点に戻ろう。麗良と俺はただのクラスメートだ。いや、違うな。お互いに仲も悪いから、それ以下の関係だ。ただの知人、俺を庇う理由は一つもない。よくわかっている。十分にわかっているつもりだ。でも、それでも、草乃月財閥の一人娘である麗良に縋るしかないんだよ。


「草乃月さん!」


 大声で叫び、麗良の前に駆け寄る。TPOとか周囲とかを気にする余裕もない。


 せっぱつまっている。


 頼む、信じてくれ!


 紫門ゆりかどを止めてくれないと、俺の人生は終る。金持ちで権力がある紫門ゆりかどを止められるのは、同じ財閥の麗良しかいないのだ。


「な、なに? 今度はなんの用?」


 麗良は、俺の必死な形相に驚いたようだ。慌てて本を置き、その場から立ち上がる。


「わかるだろ! 紫門ゆりかどだよ。全部、本当の話なんだ」


 麗良の肩を掴み、大きく揺さぶりながら話す。


「は、はなして」

「嫌だ」


 逃げる麗良の髪をとっさに掴む。


 なりふり構っていられない。


 取り巻きもいない。これが最後のチャンスだ。


 必死に嘆願する。


「お願いだ。お願いします。俺の話を聞いて。信じてくだ――」

「やめてぇええ!」


 強引に振りほどかれた。


 麗良に力任せに押され、尻もちをつく。


「女性の髪を掴むなんて……あなた、頭おかしいの!」

「だ、だって」

「ふん、自業自得よ。紫門ゆりかど君を貶める真似をするから、苛められるのよ」

「だから違うって言ってんだろ! どうしてわかってくれないんだ」

「わめかないで。そんなことより私に暴力を振るったわね!」

「ち、ちが、暴力じゃない。君が話を聞いてくれないから、つい」

「もう沢山。あなたにはきっちりと償ってもらうから」

「えっ、償うって?」

「慰謝料よ。庶民のあなたにはびっくりする額かもしれないけどね!」


 そう言って、麗良が資料室を後にする。


 かなりお冠だ。あの様子だと、紫門ゆりかどはもちろん、クラスメートや教師、麗良の父親にもあることないこと言いふらされるかもしれない。


 まずい。


 慌てて麗良を追いかける。


 麗良は、すたすたと廊下を歩いていた。


「草乃月さん!」


 大声で叫ぶが、歩みを止めてくれない。それどころか歩くスピードが増した。振り向きもせず、速足で廊下を移動している。


 聞こえているくせに……無視かよ。


 俺と紫門ゆりかどでは信頼度が違う。何を言っても無駄なのだ。わかっていたはずなのに。


 麗良は、俺が髪を掴んだことに腹を立て、慰謝料をたっぷり取るらしい。


 絶望が心を支配する。


 胸が苦しい。呼吸するのもつらい。あれはわざとじゃない、わざとじゃないんだ。逃げないで俺の話を聞いて欲しかっただけなんだよ。


 紫門ゆりかどが権力を行使し、庶民の俺をいじめるんだ。同じブルジョアの麗良に助けて欲しい。ただただそれだけなのに。


「無敵の財閥パワーでなんとかしてくれよぉお!」


 大きな声で叫ぶが、すでに麗良はいない。むなしくその声は廊下に響いただけであった。


 あぁ、あぁ……。


 肩を落とし、うなだれる。


 今日俺は、紫門ゆりかどだけでなく麗良にも敵認定されてしまった。


 

 ★ ☆ ★ ☆

 


 家に帰宅し、部屋に入るやいなや内からカギを閉める。


 椅子に座り、今日あったことを反芻する。


 おしまいだ。


 紫門ゆりかどよりも巨大な権力を持つ草乃月財閥まで敵に回したのだ。俺はこの先、生きていけるのか? いや、生きてはいけまい。


 だいたい慰謝料ってどれくらいだよ?


 百万? 一千万? ひょっとして億?


 少なくともはした金ではない。俺が一生馬車馬のように働いたとしても、返せない額だろう。


 まずい、まずい。紫門ゆりかどより麗良が問題だ。


 どうしよう?


 頭をかかえる。


 手がぷるぷると小刻みに震えていた。


 お、落ち着け、落ち着くんだ。


 打開策を考えろ。


 なにか、なにか手はないか?


 意味もなく室内を歩き回り、周囲を見渡す。


 なにか、なにか……。


 だめだ。何もアイデアが浮かばない。


 焦りで頭をがりがりかく。


 そして……。


 ふと爪に自分のではない毛髪がからみついているのに気付いた。


 そっと手に取り、じっと見る。


 金髪の長い髪だ。どうやら麗良の髪を掴んだ時に抜いたらしい。


 毛髪……手に入れた。


 あっ!?


 昔の忌わしき記憶が瞬時に蘇る。


 偶然とはいえ、麗良のDNA情報を手に入れたのだ。


 悪魔がささやく。


 このままだと俺の人生が終わる。いや、俺だけの問題ではない。奴らは、外道だ。このままいじめがエスカレートすれば、大事な家族まで犠牲になるかもしれない。


 それでいいのか? お前は、それで納得できるのか?


 二度と使わないと心に決めていた。だけど、家族に迷惑はかけられない。


 いいだろう。


 もう限界だった。


 あぁ、そうさ俺はお前らと違ってただの庶民だ。本来、泣き寝入りするしかない下民だよ。


 でも、下民だって生きてるんだ。一生懸命生きてるんだぞ。


 下民、下民、うるさいんだよ!


 俺は、怒った。猛烈に怒ったぞ。


 上民そっちが権力を使って攻撃するのなら、俺も持てる全ての力を使って反撃しようじゃないか。降りかかる火の粉は、払わなければならない。


 立ち上がり、押入れの引き戸を乱暴に開ける。


 雑多にある小物類がしまってあるのが見えた。


 近くにある物を一つ一つ取り出し、奥から(それを)取り出した。


 四重にもラップで包んだもの。


 一枚、一枚、丁寧に剥がし……現れた。


 洗脳機械ブレインウォッシュ


 どこにでもあるようで、どこにでもない金属でできた箱である。


 パカッっと開けると、起動ボタンが表れた。


 やってやる!


 怒りの感情に従い、震える指でその起動スイッチを押す。

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