第4話「いじめのストレス解消法」
教科書を隠された。
筆箱を開けると、中にあるシャーペンが二つに折られていた。
後ろからゴミを投げつけられた。
エトセトラ、エトセトラ……。
現在、俺はイジメを受けている。
こんな進学校でもあるんだ。いや、表面化していないだけで、いじめは、人間社会のどこにでもあるのだろう。
もう誰も信じられない。
甘かった。
カースト上位が動くとここまで凄いのか。
俺と一言でも話をしたクラスメートは、ハブにされる。それが日直とか委員会とか業務上最低限必要な連絡さえも対象だ。誰だって我が身がかわいい。次々とクラスメートがよそよそしくなっていき、次々と攻撃的になっていく。
つらい。日本では年間の自殺者数が年々増加しているという。そんなに死んでいるのか、という疑問を持ったが、なるほど今ならわかる。何もかもが嫌になる。生きることが苦痛になる。死にたくなる気持ちというものがわかる。
やめたい、つらい。
でも、学校に行かないと家族が心配する。
学校に行く。
いじめられる。
耐える。
なんとか終わる。
この繰り返しだ。
まるで拷問である。今日もなんとか終わった。
長かった……。
一日が本当に長かった……。
何も考えたくない。ただただ泥のように眠りたい。
ぼろぼろの精神で帰宅する。
「あ、父さん」
父さんが帰宅していた。父さんは、リビングで夕刊を広げながら夕食ができるのを待っている。
今日は、帰宅が早いな。いつも残業で夜九時を過ぎるのに。
父さんは、草乃月財閥の系列会社に勤務するサラリーマンだ。草乃月財閥の系列会社というと、大企業で働いているイメージだが、父さん曰く、実態は違うらしい。系列の系列のそのまた系列の会社で普通の中小企業という話だ。
それでも社員は数百名を越えているし、福利厚生も充実している。大学生の働きたい企業ベスト百にもランクインしたことがあるし、世間から見ても優良企業だと思う。
そんな会社で一昨年、三十九歳の若さで父さんは課長に昇進した。給料は増えたけど、その分責任も増えて大変だと言っていた。
俺も大変だと思うし、凄いかっこいいと思う。
家族四人を養い、一戸建てのマイホームも購入して、毎日残業続きでも、嫌な顔をせず家族のために働いてくれるんだから。
俺は、どれだけ父さんに甘えていたか身に染みてわかった。
人は、苦境に陥って初めてわかることがある。それは、自分がどれだけ恵まれて生活していたか、だ。
もっと勉強をしておけばよかった。
もっと運動しておけばよかった。
もっとクラスメートと話をして友達を作っておけばよかった。
そうすれば、このいじめも違った結果になったかもしれない。
俺が自己嫌悪に陥っていると、父さんが俺の帰宅に気づいたようだ。
「どうした、翔太? 早く上がれ。もうすぐ飯だぞ」
「うん」
靴を脱ぎ、リビングに向かう。通学カバンはそのまま廊下に置き、テーブルの自分の席へと座る。
台所からおいしそうな匂いがしてきた。
今日はカレーか。
母さんが作るカレーは俺の大好物だ。
家に帰ってきたんだ、そう実感し涙が出そうになる。こんなところで泣くわけにはいかない。ぐっとそれを耐え、代わりにふーっと大きくため息をついた。
「学校で何かあったのか?」
父さんが新聞をテーブルに置き、声をかけてきた。
さすがに大きなため息だったか。
このところ俺の顔があからさまに暗いのもあり、心配しているのだろう。
「べ、別に」
「本当か?」
父さんの問いに答えられない。
いじめられているとはとても言い出せない。親に心配をかけてしまう。かといって、なんでもないよ、というほど精神に余裕があるわけでもない。
つまり、答えられないのだ。
長い沈黙が続く。
いつまでも息子が返事をしないことに、父さんは、疑いの目を増していく。
これはさすがに、いじめられているのがばれたかもしれない。
父さんも事情を察したようだ。
「先生に父さんから言う」
父さんは、ズボンのポケットから携帯を取り出そうとする。担任の先生に直接電話で抗議をする気だ。
「い、いや、ちょっと待って」
「息子が悩んでいるのなら、解決するのは父親の役目だ」
「やめて、そんな事されたら余計に酷くなるよ!」
担任を頼っても解決にならない。担任は、いじめを見て見ぬフリをしている。なにせ
噂によると、ウン千万円だっけ?
それこそ、校長をはじめ教職員が最敬礼で迎えてもいいぐらいのとんでもない額だ。
学費を払うだけ、成績もパッとしない俺と比べるまでもない。学校側は、
いじめを訴えても、聞き入れてくれないだろう。逆に名誉棄損で訴えられるかもしれない。
必死に父さんを止める。
はじめは、学校に乗り込んでいく気まんまんだった父さんも、俺が一つ一つデメリットを説明すると、考えを改めたようだ。
父さんは、ふーっと大きくため息をつく。
「そうだな。翔太の言う通りだ。こういう問題は、親がでしゃばって解決するものじゃないよな」
「……うん」
「転校するか」
父さんがポツリと言った。
「別に今の高校が人生の全てではないんだ。そこで
「他って、この時期じゃ無理だよ。少し調べたことあるけど、近くの高校は編入の募集はしていなかった」
「なら遠くでもいい。県外まで探せば募集しているだろう」
父さんは、遠くでも今の家を売って家族皆で引越しをしていいと言ってくれている。
うちは新築だ。俺が高校に入学すると同時に買った。近所には便利なスーパーもあるし、隣近所とも仲が良い。妹も自分の部屋ができて友達を呼べるってはしゃいでいた。両親は、安住の地を見つけたって喜んでいる。引越しは絶対にしたくないだろうに。
家のローンもたっぷりあるだろう。
俺が独りで遠くの学校に下宿するって手もあるが、それでもお金がかかる。
これ以上、親に心配をかけたくない。
これ以上、父さん達に甘えてどうするんだ。
心を奮い立たせろ。何でもないように言うんだ。それが家族にとって一番いい選択だ。
笑顔を見せろ。根性を出せ、俺!
腹に力をぐっと入れ、表情筋をフル活動させた。
せいっぱい顔に笑顔を張り付け、父さんに言う。
「あはは、冗談だよ。転校なんて父さん深刻になりすぎ。確かにクラスメートと喧嘩をして少しだけブルーになってたよ。でも、ただそれだけだから」
「本当か?」
「うん、喧嘩しただけだよ。そいつがこれからつっかかってきても、無視すればいい。そうだよ、いちいち反抗してたから喧嘩になってたんだ。これからは無視する。大丈夫。クラスには嫌な奴もいるけど、俺を心配してくれる友達も大勢いるんだ。俺は独りじゃない、大丈夫だから」
「本当なんだな?」
「本当だ!」
俺も男だ。はっきりと父さんの目を見て断言する。
父さんは俺の言葉を頭の中で反芻しているようだ。腕を組み、目をつむり考えている。
俺は、そんな父さんに向けて必死で説得する。
そして、根負けしたのかしぶしぶではあるが、納得してくれた。
よかった。これでいいんだ。ほっと胸をなでおろす。
ただ、父さんからは、どうしても我慢できなくなったらすぐに相談するように、約束された。転校していい、逃げるのは恥じゃないと、何度も力強く励ましてくれたのである。
☆ ★ ☆ ★
あの日以降、父さんとは色んな話をしている。父と息子のコミュニケーションだ。父さんは、最近仕事が忙しくて息子と話ができなかったことを悔いていたみたいだ。どんなに疲れて帰ってきても俺と話をする時間を作ってくれる。
久しぶりに楽しい時間だ。
父さんには、悩んだ時やストレスを溜めた時は日記を書くのが良いと
父さんの趣味は小説を書くことだ。
休日にノートパソコンを使って何か書いているのは知っていた。ただ、恥ずかしいからと今まで内容は教えてくれなかった。それが、とうとうその内容を教えてくれたのである。
父さんは、職場のストレスを小説を書くことで解消しているそうだ。
嫌な上司を悪役にして、性格の良い同僚や部下を正義役にする。現実は非情で正義が必ず勝つとは限らない。小説の中でなら勧善懲悪できる。
なるほどと思った。
俺も
レイラ王女は悪役王侯貴族シモンに騙され、王国は滅亡の危機に陥る。そんな王国の危機に立ち向かうのは、主人公ショウだ。ショウは、佞臣が
うん、イマジネーションが沸いたぞ。
この調子でいじめに加担した奴らは徹底的に悪役にする。いじめを見て見ぬフリをした奴らも同罪だ。
最後は、正義の忠臣ショウの活躍で悪臣達を滅多切りにする。王侯貴族シモンは、これまでの大罪が明るみに出て極刑に処そう。
火あぶり、いや、磔もよいかも?
おぉ、いいね、いいね!
これは、いいストレス解消法だ。
父さん、ありがとう。息子に自分の趣味を告白するのは恥ずかしかっただろうに、包み隠さず話してくれた。俺を思ってのことだ。涙が出る。
学校でのストレスは、小説を書くことで軽減できそうだ。
それにだ。よくよく考えれば何もいじめが一生続くわけじゃない。高校を卒業すれば、奴らとは縁が切れる。
それまでの辛抱だ。
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