聖夜がなんだとか

天川累

聖夜がなんだとか

定時から2時間が経った。会社に残っていた社員はほぼ15分おきに一人ずつ消えていき、このフロアに残っているのはとうとう俺一人になった。家族でのクリスマスパーティーを理由に帰る者、デートだとかほざく奴、特に予定はないけど定時退社する者。皆、一人デスクに残る俺に不憫な視線を送りながら足早に過ぎ去っていく。少しくらい手伝ってくれてもいいのにな。こればかりは完全な俺の効率が極端に悪いことが原因だから文句は言えないが、会社はチームだなんて言葉を口癖のように唱えておきながらこういう時に助け舟を出してくれないのはどうかと思う。

今日で3本目になる缶コーヒーを開けながら眉間を指でつまむ。さすがに疲れた。ふと、窓の外を見る。都内の中心に大きく構えたビルの中にあるうちのオフィスからは都内の風景が見え、平日でも人通りはそれなりに多い。しかし、今日の人の多さは異常だ。街中はカップルや家族連れで溢れていて、しばらくは喧騒が止みそうにない。まったく、どいつもこいつもクリスマスクリスマスって浮かれやがって。俺だってこの企画書を押しつけられなきゃ、、、いや、なんでもない。仕事が終わっていようがなかろうが、俺には関係のない日だ。

缶コーヒーを口に含む。深みのない安っぽい味が口の中に広がる。とりあえず、この企画書を早めに切り上げて家に帰って酒を飲みながらダラダラと深夜番組を見よう。独身男1人のクリスマスイブなんて、そんなもんでいい。


「あのう、、まだかかりそうですかね?」


突然声をかけられ内心びっくりした。振り替えるとそこには警備服を着た還暦後らしき老人の姿があった。おそらくこのビルの警備担当だろう。明らかにおぼつかない足元でフラフラと歩み寄ってくる姿に警備員がこんな状態で大丈夫なのかと心配になってしまう。まあ昼間にはしっかりとした体格の警備員が巡回している様子をみると、差し詰め戸締りをするだけの人員だろうと予想する。


「そうですね。まだかかりそうっす。」


「そうですかぁ。こんな日に夕飯時までお疲れ様です。私はもう定時なので、帰りにセキュリティだけお願いします。」


「あーセキュリティね。はいはい、わかってますよ。」


じゃあお願いします。と一礼するとおぼつかない足元で去っていく。ったく、わざわざ言いにこなくたってわかってるっての。還暦迎えた後も働く姿勢には感心するが、少しはこっちにも気をつかってほしい。好きで残業しているわけでもないんだし。


つきましては、この商品を発注するにあたって、、、

時刻はもう9時を回っていた。データの処理やキャッチコピーなどを考えていたらこんな時間になってしまった。まだまだ膨大のデータをグラフにまとめなければならない。昔っからこういう作業は苦手なんだよ。向かいのビルの電気が少しずつ消えていくのを見ると焦ってしまうので、ブラインドを閉めた。こういうのは焦れば焦るほど出来が悪くなる。しかしそろそろ体力の限界だ。すべてを放り投げて帰ってしまいたい。おもむろにポケットからタバコを取り出して火をつける。ここは普段は禁煙だが俺しかいないのだから関係ない。ダメだ。煙とともに眠気が襲ってきた。眠るわけではない。でも、少しだけ。

机に倒れ込む。コーヒーの効果があるからきっとすぐ起きるはずってあっつ!

唐突に頬に猛烈な熱さを感じて飛び起きる。なんだ、状況が理解できない。後ろに人の気配を感じて振り返る。


「まだ残業してたんだぁ。お、つ、か、れ!!」


「若菜さん!?どうしたんすか、こんな時間

に。」


熱を当てられた頬を撫でながら尋ねる。


「ちょっと忘れ物しちゃってねー。流石にこの時間までオフィスに残ってる人はいないだろうとダメ元で来てみたんだけど、原田君がいてくれて助かったよー。」


屈託のない透き通るような笑顔を見せてくれる。やっぱり綺麗だな、若菜さん。ボブカットで華奢な体、美人でお人好しだから会社1の人気者。会社の男同士の飲み会では彼女の名前があがらないことはないほど、皆の憧れで男女共に好かれているちょっと珍しい人。

「あ、これ差し入れね。びっくりした?」

缶コーヒー。まじかよ。今日で4本目なんですけど。


「ありがたいですけど、こういうのってアイスでやるものっすよ。ホットは熱いっす。」


「え?でも、こんな寒いのにアイスコーヒーも野暮じゃない?」


「まあそうっすね。なんでもないです。」


若菜さんがニコッと笑う。いつもはクールに仕事をこなす彼女も、たまには子供のようないたずらごころもあるんだな。あれ?若菜さんの頬が赤い。暖房が暑いのか、いや、部屋に入ってきた時から赤かった。そして彼女のスーツからほのかに香るワインとアルコールの匂い。

「飲んでたんですか、さっきまで。」

聞くつもりなんてなかったのに、声に出ていた。若菜さんは少し驚いた顔をしてその瞬間目線が下に下がるのがわかった。そうだよな。何聞いてるんだ俺、そんなこと俺になんの関係があるっていうんだ。どこの誰と飲んでたって若菜さんの勝手じゃないか。キモいって思われたかな。

「ちょっとね、抜け出してきちゃった。」

慌てて言葉を訂正しようとした瞬間、彼女の口から答えが出てきた。また満面の笑みを見せてくれる。でもその笑顔はさっきの透き通るような笑顔じゃなくて知られたくない何かに触れてしまった時の誤魔化しの表情に見えた。あの若菜さんでも、こんな顔する時があるんだ。何があったかはわからないが、いつも感情を出しているように見えて核の部分はひた隠しにしていた彼女の心の奥底にはじめて触れてしまった気がして、気まずい。

「ねえ、あとどのくらい仕事残ってるの?」


「えっと、ここのグラフをまとめて、、」


「うそっ、まだそんなにあるの。まったく加賀さんの部署は原田くんに頼りすぎなのよ。これ全部やってたらクリスマス終わっちゃうよ。」

クリスマスなんて俺には関係ないですよ。

そう言いそうになって、言葉を喉に押し込む。同情されるのも、慰められるのも嫌なんだ。だいたいそんなに特別感を感じていない。

「ねえ、私こっち半分手伝うからさっさと終わらせちゃおうよ。」


「えっいいんですか。」

デスク脇にどっさり積まれた資料を半分ほど抱えて自分のデスクまで運んでいく若菜さん。正直手伝ってもらえるとすごくありがたい。仕事ができる女として定評のある若菜さんが一緒に仕事をしてくれるほど安心できるものはこの世にはない。外回りや会議でも円滑に話を進めてくれるため、変に緊張せず仕事に集中することができる。


「その代わりさ、仕事全部終わったらちょっと付き合ってもらうからね。」


一瞬、ドキッとした。これがクリスマスの魔法ってやつなんだろうか。しかしこの状況をみて考えられることは甘酸っぱいことではなく

「もしかして、飲みたりないんですね。」


「わかってるじゃない。居酒屋行くわよ居酒屋!さっきはゆっくり飲めなかったのよ。」


思わず吹き出してしまった。勝手に彼女のことを勘違いしていた気がする。人当たりよくて仕事ができてクールで感情を表に出さない。そんな先入観に囚われてしまっていた。こんなにも素直で人間味ある人だと知っていたらもっと頼っていたかもしれない。というより、これから頼ることにはなるのだが。

「居酒屋って、仮にもクリスマスに男女が行くのはムードなさすぎじゃないですか。」


「うるさいなぁ、手羽先食べたくて仕方ないの。ほら、口より手動かして!」



仕事ができる若菜さんのおかげで残っていた仕事はほんの30分程度で片付いてしまった。そのまま居酒屋に直行して、見た目以上に幾分酒に強い若菜さんに潰されそうになって、彼女の仕事やプライベートの愚痴を聞かされている始末だ。やはりその完璧さから期待や理想を押し付けられ困っているという。少なくても俺の中での彼女の印象は変わった。彼女も同じ人間で、1人で生きていける顔をしても結局は誰かにすがりたいのだと知った。

時刻はもうすぐ0時を回る。まだまだ彼女の愚痴は止まりそうにない。今年のクリスマスはこんな感じで終わっていいのだろうか。

まあ、いいや。

聖夜がなんだとか、俺には関係がない。

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聖夜がなんだとか 天川累 @huujinseima

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