第23話 紅蓮と紅玉、それに煉獄

 虚ろな瞳の神聖騎士が車を止めたのは、住宅地から少し離れた丘の上にある豪邸だった。いや、これは屋敷というよりも「城」と呼ぶべきかもしれない。アドグラースで一番高い丘からすべてを見下ろすように建てられた魔女の舞台は、テラコッタ色のレンガと目の覚めるような赤をした尖塔がとにかく目を惹く。三角屋根ももちろん真っ赤。赤しか色を知らない画家がキャンバス一面それで塗りつぶしたような、自己主張の激しい根城である。


「アドグラースに入ってから、この可哀想な騎士くんは向こうの手駒になったと考えていい」


 グルニエさんは運転席で自我を失った神聖騎士に視線を投げて言った。


「この街全体で魔女を隠蔽しているのか、魔女の洗脳魔術にかかっているのかは明言できないが。人払いがされているから相当気合いの入った歓待をするつもりなんだろう」


 自動車が完全に停止する。運転席の男が席を立つ様子はないので、僕は自ら自動車のドアを押した。

 真っ赤な屋敷の玄関先に一人の小柄な少女が立っている。傲岸不遜な居住まいをしている屋敷とは対照的な、地味でみすぼらしい少女だ。長い間手入れのされていない長い茶髪は目を隠してしまうほど伸びているし、手足は肉付きが悪く細すぎる。栄養を満足に取れていないのか、風に吹き飛ばされてしまうんじゃないかと心配になるほどだ。それなのに着ている服だけは新品みたいなブラウスとスカートだったから、そのちぐはぐさが際立つ。


「お待ちしておりました。ガルディアさまがお待ちです」


 少女は線の細い見た目通りの囁き声で告げた。


「煉獄の魔女はいたいけな少女を侍らす趣味をお持ちのようで」


 僕たちに一切歩み寄ることもなく、少女は淡々と屋敷の扉を開ける。巨大な屋敷だから玄関の扉ひとつとっても重厚なのだが、少女の細腕では開くのもやっとのようだ。


「彼女にも洗脳魔術が?」

「いや」


 グルニエさんは開いた扉の先を睨んで答えた。


「瞳の濁りを判断できればいいんだが、あの鬱陶しい前髪ではな」


 グルニエさんはそれ以上何も言わなかった。僕たちはおとなしく少女のあとをついていく。魔女ガルディアの力の強大さは、正直街に入ったときからすでに見せつけられている。そんな魔女とこれから対面しようというのだが、どうなってしまうのか、もう僕には微塵も予想がつかない。隣を歩くグルニエさんの表情はますます読めない無表情になっていた。

 長い廊下を歩いて少女に案内されたのは、ダンスホールと見紛う広さの応接室だ。グルニエさんの屋敷も田舎の地主にしては上等な広さだったと思うが、彼女の場合次元が違う。夜な夜な舞踏会でも開きそうな、高い天井の空間。足元は当然のように真っ赤な絨毯が広がっている。逆にこんな広すぎる空間のどこにテーブルと椅子を置けばよいのかわからない。

 部屋の一番奥にひときわ大きな肖像画が飾られていた。紅蓮の髪に紅玉の瞳、しっかりとルージュを引いたその女性は恐らくここの主人なのだろう。僕たちに宣戦布告をした、好戦的な魔女。


わたくしの肖像画がそんなに気になるの?」


 その声が真横でした。


「ッ……⁉」


 慌てて身を翻す。剣の柄に手を伸ばす。魔女ニュインが接触してきたような背筋を這うような嫌悪感ではない。ほんのついさっきまで、気配なんて少しも感じなかったのに。ただ、この女から感じるのは――畏怖、だけだ。

 気付けば僕は肖像画の目の前に立たされていた。部屋の入り口に立っていたはずなのに、僕自身はあの部屋の奥まで歩いた記憶はないのに。魔女の声がして、身を返し、次の瞬間には目の前に肖像画がある。どういうことだ……? 僕は背後を振り返る。


「随分なご挨拶だな、煉獄の魔女」


 僕の視線の遠くにはついさっきまでいたはずの応接室の入り口があって、そこには両手両足を拘束されたグルニエさんが倒れていた。


「グルニエさん!」

「月並みな言葉ですけれど、下手なことは考えないでくださいな、新聖騎士クオーツ・ジェス」


 駆け寄ろうとする僕を魔女ガルディアはその言葉ひとつで止めた。途端に僕の四肢は金縛りにあったかのように硬直して動かなくなる。痺れも痛みも何も感じないのに、脳の命令だけが正常に機能しない。頭が混乱で支配されそうになるまいと、僕は深く呼吸を繰り返す。大丈夫、グルニエさんは拘束こそされているが表情は余裕そのものだ。身体を傷つけられた訳じゃない。大丈夫。


 僕は隣で不敵に笑う魔女を見据える。今さっき肖像画で見た女主人がそこにいた。


「魔女、ガルディア……」

「ええ、まさに。私こそが誇り高き『煉獄の魔女』。矮小なる人の子よ、その小さな胸に刻みなさい。貴様らを支配する者の名を」


 深紅のマーメイドドレスの裾をわずかにひらめかせ、ガルディアは傲岸不遜な名乗りをあげた。

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