第19話 煉獄の魔女

 ***


「神聖帝国アルミナは被告人グルニエを善なる魔女として認める」――判決文はたったそれだけ。あれほどのゴタゴタがあったにも関わらず、結末は事務的でドライだ。形式に囚われる裁判所の仕組みがあるから、やむ無しなのかもしれないけれど。

 晴れて、と言っていいかはわからないが、グルニエさんの善性は証明された。厳密には帝国にとって有益であると証明された。判決文が作り出した形はそうなっているが、あの裁判を目の当たりにした人間ならばそんな感想は抱かないはずだ。


 危険だと。きっとそう考える。

 他人のすべてを暴こうとしてしまう彼女は脅威だ。公平を掲げる裁判所の不祥事、そして魔女への加担。このことが明るみに出ればたちまちメディアが噛みつき、世間は裁判所を痛烈に叩くだろう。非公開であったことが幸いした。

 そう、こういったことがあるから魔女裁判なんて公にできないのだ。僕はそれを痛感している。都合の悪いことは蓋をする。科学技術で魔女に屈しない大帝国の理想形を保持する。箝口令の敷かれた裁判の内容は、僕たちが口を割らない限り公開されることはない。そしてその嵐を巻き起こした魔女グルニエの性質を、帝国は掌から出すまいとしている。

 グルニエさんはそのあたりを察しているんだろうか。自分が帝国に管理されようとしていることに。


「で、結局その猫はなんですか」


 ジュリスハイアットホテルの最高級客室。善良なる魔女と公認を受けたグルニエさんの待遇はやはり国賓級だ。ソファでワインを昼間から開ける姿を見咎めるも、善なる魔女はまったく懲りる様子を見せない。

 その膝の上には黒い毛並みの猫。僕とお揃いの青い鈴をつけた相棒である。


「有り体に言えば使い魔さ」


 グルニエさんがそう言って黒猫の身体を撫でると、フシャッと短く鳴いて黒猫が抵抗した。懐いてないんじゃないか、これ。


「生憎とアルミナシオ人語は話せないが、私の言うことはよくきいてくれる」

「……飼い猫は灰色だと言ってませんでした?」

「ああ、言ったな」


 グルニエさんは白々しく首肯した。こめかみに血管が浮かんでくるのを感じる。


「僕にはこいつが真っ黒に見えるんですが」

「ああ、そりゃそうだ。こいつは黒猫だからな」

「やっぱり僕をからかって」

「今は、


 グルニエさんがそう言うと、膝上に載った猫のビジョンがぼやけてしまった。なんだこれは、別に目が霞んでいるわけでもないのにピントが定まらないみたいだ。何度か瞬きをした、その直後だった。

 グルニエさんの膝の上には、灰色の艶めく毛をした猫が丸くなっていた。


「は――!?」

「詰めが甘いなクオーツ。既に法廷で見せてやっただろう?」

「……偽装魔術……!」


 してやられた! なんでこんな悪戯を? しかし僕には「何故」などどうでもよくなっていた。スローストロークでパシられたときから、この人は僕を欺いては遊んでいやがったのだ。


「あっはは! やっぱり君の『してやられた』顔は見ていて飽きないな、うん!」


 僕のほうはもう懲り懲りだ。黒だか灰だかわからない猫が、「めゃおう」と大きく口を開けて鳴いていた。


 ***


 聖暦五九九年五月十七日。その夜は雲ひとつなく、巨大な満月が白い光を放っている帝国の首都たるジュリスは活気がある。不夜城と称される歓楽街のような桃色の街道とは異なった健全な活気が街中を包んでいる。大通りには露店が軒を連ね、酒場の看板が灯り、頬を上気させた人々が往来を笑いながら歩いていく。これが科学技術で発展してきた国の姿というものだった。

 その女は、明かりの減った街をじっと見下ろしていた。端的に言ってアルミナには馴染まない容姿をしている。燃え盛る紅蓮の髪、真紅のマーメイドドレス、煌めくのは無論紅玉ルビーの双眸。焔だ。紅一色で作り上げられた彼女は、尖った犬歯をちらりと覗かせて嘲笑する。


「こんな矮小な模型ジオラマわたくしを閉じ込めるなんて、人間の思い上がりも甚だしいこと」


 火刑の魔女。世の人間は彼女をそう呼称する。下劣極まりない忌み名だ、不名誉なことこの上ない。人間ごときに自らが捕えられることも屈辱的であったが、魔女を人間の理で裁こうという傲慢が堪え難い。魔女しゅじん人間どれいが掌握するなど、あってはならないことなのに。


「けれど、一番気に食わないのは……」


 黒衣の魔女が帝国の側についたと聞いたときは眩暈がした。孤高で他者におもねることなどしない、それこそが魔女の矜持である。支配すべき人間にこき使われるなど、魔女という存在の汚点でしかない。彼女には許せなかった。認められなかった。魔女裁判とか善なる魔女とか、人間の涙ぐましい愚策に乗る阿呆を彼女は同族の恥とする。恥は雪ぐべきだ。


 だからこれは、彼女から彼女への宣戦布告だ。

 彼女には本来、「火刑」などという侮辱ではなく、人々を畏怖させる通り名があった。今はほとんどが忘れてしまった崇高なる呼称なまえ。手にしたのは金縁の装飾がなされた魔導書グリモワール。こんなものを媒介せずとも魔術は発動できるが、古の魔女としての誇りがこのスタイルを堅持させている。

 その通り名は、彼女の性質を最も的確に示したものだ。魔導書に魔力を通せばページがぶわりとめくれあがり、発光した文字たちが。灼熱の号砲がジュリスの街へと放たれた。人工的な光など生温い。火炎をひとつ吐き出すだけで、大通り一帯が瞬時に火の海に染まる。


 煉獄の魔女。

 それこそが彼女の誇り高き称号なまえ


「帝国に飼い慣らされた魔女なんて、存在すること自体が罪。魔女の恥さらし、私が直々に屠って差し上げる」

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