第18話 黒い疑惑

 いきなり話題を振られたハーパー女史は、大きく目を見開いて唇を震わせている。人間の常識を超越した証明を矢継ぎ早にされ理解が追いつかない中での指名。そしてこの流れに僕は覚えがある。彼女のファーストネームはこの法廷で一度も明かされていない。


「なんで……私の名前を」

「私の愛猫は失せ物探しが得意なんだよ」


 その猫が失せ物になっていたのがスローストロークではなかったか?

 グルニエさんが足元の黒猫を紹介しつつ、それが加えていた紙片を開いてみせる。僕からはよく見えないが写真らしい。


「『ジェーンからアイリーンへ』。左に映っているのがお前の姉妹だろう」

「……姉です」


 ハーパー女史はもう怯える素振りは見せず、諦めたように落ち着いた低い声で応じた。


「でもそれと今回の裁判長の騒動と、何の関係があると言うんですか?」

「若すぎる、という声を聞いてな」


 え、とハーパー女史が首を傾げた。グルニエさんは姉妹の写真を見ながら続ける。


「魔女裁判が優秀な裁判官を集めて実施するのは先程の話の通りだ。ならば書記官も当然、実績ある優秀な人材を招集することになる。だがお前は書記官になって一年と少し。裁判所設立以来の神童とか、そういった噂があるわけでもない」

「でも、ウィーズリー裁判官だって」

「おいおい、働き出して一年ちょっとのと勤続六年の裁判官を比べるのか? それはお門違いってやつさ、書記官殿」


 ウィーズリー裁判官は近年頭角を現した、裁判所の期待の星である――そう話していたのは後ろの三人だ。


「そんなお前がこの裁判に参加するには、裏で手を回すほかない」


 グルニエさんが静かに息を吐く。ハーパー女史は黙ったまま瞑目した。


「私が知りたいのはその理由だ。お前はどうしてこの裁判に……コストナー裁判長と接触しようとした?」

「……復讐です」


 大人しそうで地味な印象を与えるハーパー女史の口から似つかわしくない単語が出てきたとき、僕の頭は一瞬凍りついた。復讐。神聖帝国では私怨による報復は禁じられている。ハーパー女史は感情の抜け落ちた顔で続けた。


「姉はとある雑誌の記者をしていました。ゴシップ記事だと揶揄されることもありましたが、姉はだからこそ取り上げることのできる暗部……フランク・コストナーの黒い疑惑を追っていたのです」

「ほう?」

「彼には収賄の嫌疑がありました」


 グルニエさんの語尾があがる。とっときのいたずらを思い付いたような、手離さない手がかりを見つけたような。裁判長を告発する女史の言葉に辺りはふたたびざわめきだすが、ハーパー女史は構わず続ける。


「例の魔女裁判……『火刑の魔女』の脱走を手助けしたのは彼だとも囁かれています。姉はそれを調べあげ、コストナーを告発するつもりでいたんです」


 でも、と言ったアイリーン・ハーパーの瞳に光はなかった。


「姉は亡くなりました。裁判所ここから転落して」

「……裁判所での飛び降り自殺か……!」

「姉さんは自殺なんかしない!」


 ハーパー女史が鋭く吼えた。予想外に大きな声に怯んだのか、エルドレッド裁判官が口をつぐむ。


「告発の用意はできてた。あとはあいつに突きつけるだけだって……そう言ってた姉が、自ら死を選ぶはずないじゃない!」

「誰かに突き落とされた。それはコストナー裁判長に違いないと、貴様は思い込んだわけだ」

「他に姉を殺す人間なんていないもの」


 グルニエさんの言葉に対しハーパー女史は棘のある口調で応じた。姉はコストナー裁判長に殺された、そう信じて疑わないらしい。当時の新聞は自殺だと報じていた。遺書もあり他殺の線はないと。


「許せなかった。だから私は書記官の立場を使ってあの男に近づき、殺してやろうと思ったの」

「でも逃げられたわけだ」


 グルニエさんの問いはさすがに悪質が過ぎた。実の姉を失った相手に対して皮肉が強くなっている。ハーパー女史は恨みがましくグルニエさんを睨みつけていた。


「私を笑うなら笑えばいいでしょう」

「いや、とても笑えないさ。貴様が本当にを殺そうとしていたなら……」


 僕は傍聴席を飛び出していた。


「凶器を当然、持っているはずだろう?」


 ハーパー女史の瞳に殺意が宿る。犬歯を剥き出しにして、懐に腕を突っ込み席を立った。行き先は茫然としている替え玉裁判長ではない。何故アイリーン・ハーパーはよりにもよって魔女裁判という特殊な場所を犯行現場に選んだのか。

 


 ナイフを携えて突撃してくるハーパー女史を眼前にしても、グルニエさんはまったく動じていなかった。魔術で何か手を打つのかもしれないが、それにしても予備動作がなさすぎる。僕は傍聴席の柵を飛び越える。グルニエさんの栗色の髪がゆらりと靡いた。その視線が交差する。

 ああ、やっぱり。畜生と悪態をつきたくなる。グルニエさんはふてぶてしく微笑んでいた。


「ッぐう!」


 背後から首に腕を回して捕捉。手首を叩いてナイフを落としてもらった。金属部分が床に反響して甲高い悲鳴をあげた。足元に落ちたそれを払い、ハーパー女史の手が届かない場所へすっ飛ばす。


「離せ! 殺す、殺してやる!」


 怨嗟のごとき咆哮が法廷中に響き渡る。アイリーン・ハーパーはありったけの憎悪を込めてグルニエさんを糾弾した。


魔女おまえたちのせいで姉さんは殺されたんだ! 裁判長あいつが逃げたのも、その手助けをしたのも! この国を理不尽に弄ぶ悪魔、お前たちが姉さんを殺した――!」


 偽装魔術が裁判長もどきにかけられているのなら、その犯人は彼の協力者たる魔女である。恐らくは脱走時に手を貸した火刑の魔女だ、グルニエさんではない。理不尽な八つ当たりだ。それは誰の目にも明らかだった。もしかしたらハーパー女史もわかっていたのかもしれない。それでも。

 グルニエさんは表情を見せなかった。普段は企みを宿している紫水晶の瞳が一切の色を映していない。無表情……そんな彼女の表情かおこそが、僕には最も不気味に見えた。

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