第17話 姿見の偽装

 証言台で一通りの糾弾を聞き終えたグルニエさんは、なるほどなと低く呟き、不遜にも証言台に肘をついた。もし隣に座ることができるなら、裁きの庭でそんな振る舞いやめてくださいと怒鳴ってしまいたい。


「裁判長の様子が普段とは違う、おかしいと。そういうことか、理解した」


 グルニエさんは言葉を区切って言った。


「では次だ。何故裁判長はなってしまったのか」

「そうなって、とは」

「フランク・コストナー裁判長はどういった評価をされた仕事人だ?」


 グルニエさんの問いが二人の裁判官に飛ぶ。お互いに探るように視線を交錯させたが、エルドレッド裁判官の方が口を開いた。


「優秀な裁判官です。数々の名判決を下し人望も篤い。裁判所でも数少ない、魔女裁判の担当経験がある裁判官としても有名ですね」


 エルドレッド裁判官の言葉を偽りとは思えなかった。隣に裁判長がいるとは言え既に疑念を提示した状態。今更おべっかを並べたところで関係が劇的に改善されることはないだろう。虚偽ではない、だから余計に重ならない。エルドレッド裁判官の語った人物像と、今あの席に座っている人間が。


「魔女裁判は特定の裁判官しか担当しないのか?」

「案件としても多くありませんし、被告人も特殊な場合が多いですから。相当優秀な裁判官でなければ預けられません」

「コストナー裁判長はここ五年間、魔女裁判の担当裁判官として職務を果たしていらっしゃいます。半年前の『火刑の魔女』の裁判でははじめて裁判長を担当されました」


 火刑の魔女。その名をウィーズリー裁判官は苦々しい面持ちで述べた。魔女裁判で有罪となった場合、処刑方法は火刑を用いる。その死体を悪用されないように燃やしてしまうのだとか。

「火刑の魔女事件」は神聖帝国における最大規模の不祥事として新聞で取り沙汰された。魔女裁判にかけられ有罪と裁かれた魔女――彼女が脱走したのだ。確か新聞では裁判所から牢獄へ護送される途中で神聖騎士を昏倒させ逃げ出した、と書かれていた。神聖騎士団へのバッシングはかなり酷かったと聞いている。


「魔女裁判を担当するほどの裁判官が素人のようなミスを続ける、か。ならばこう考えてよさそうだな」


 グルニエさんは二人の裁判官の話を頷きながら聞き、あっさりと結論を出した。


「そこにいる裁判長は偽者だ」


 ぽかんと。きっと誰もが呆気に取られていた。時間を一瞬まるごと削り取られたような奇怪な感覚に陥る。グルニエさんが突拍子もないことを言ってのけるのは今に始まったことではないが、それと僕自身の耐性はイコールではないのだ。


「ちょっと、いえあの、被告人……!?」

「なんだエルドレッド裁判官。随分と口調が剥がれているが」

「さすがに信じられません! なんてことを言うのですか、裁判長が偽者などと」


 狼狽したエルドレッド裁判官がグルニエさんを追及する。


「だが一緒に仕事をしてきたお前たちが感じているんだろう? 彼は素人仕事が過ぎると。本当の素人であれば疑問も解消されよう」

「裁判長の顔を間違える私達ではありません!」


 ウィーズリー裁判官も異議を唱える。その内容はもっともだった。僕のように初めて裁判長を見る人間ならまだしも、二人の裁判官は事前に打ち合わせをしているのだ。顔も声も知っている、違っていたらそこで疑問に思うはずだ。

 グルニエさんは頭を掻いて面倒くさそうに答える。


「そこはさしたる問題じゃないんだが」

「大問題です!」

「そんなの


 二度目の静寂はより大きなうねりを伴って襲い掛かってきた。僕は魔術についてその全容を知らない。何ができて何ができないのかも。そして僕は次の段階に思考を進めるのを恐れている。だって、もし本当に魔術で偽装ができるというなら。

 そうだな、とグルニエさんは法廷中を見渡す。そして彼女が玩具と決めた――ズィロー教授に照準を定める。びちょびちょで重たくなった服を着た教授は蛇に睨まれた蛙のように身を竦ませる。危機察知能力に長けているようだ。


「偽装魔術と呼んでいるが、これは結論だけ述べるとだ。対象に透明なマスクを被せる感覚に似ている」


 いかに精巧な特殊マスクを被せたところで、本物でない以上違和感は拭えない。グルニエさんはそう言って空中に魔方円を描く。


「そして、その透明なマスクを被らせた者に『見せたい姿』を投影するのさ。今回はこのズィロー教授を対象にして、を投影する」

「え」

幻惑せよfastidiar


 たった一節。グルニエさんの描いた魔方円はズィロー教授の眼前にぼんやりと浮かび、次に瞬きをした瞬間に僕は目を疑った。

 金色の髪。青い瞳。白銀の薔薇をあしらった神聖騎士団の団服。僕が毎日鏡で突き合わせる顔――あれは、僕の姿そのものだ。法廷内が今日一番のどよめきを見せた。


「被告人、これはどういう……!?」

「まあ、こんな具合で人間の五感など容易く欺ける。もっともこれは魔女の想像力に由来するのが難点でな、全身を細かく描写スケッチできないと完全に投影することができない」


 ぱちん、とグルニエさんが指を鳴らすとそこにはびしょ濡れのズィロー教授が戻っていた。違う、僕達が誤認するよう仕掛けられていた偽装魔術が解かれたのだろう。相変わらずあの人は僕の想像を超える現象を呼吸みたいにやってのける。魔術は苦手だなんて言っていたけれど、十分すぎるくらい異常だ。


「で、だ。私としてはここからが本題なのだが……素人を替え玉にしてコストナー裁判長はこの裁判から逃げだしたことになる」


 法廷のどよめきがグルニエさんの一声で瞬時に鎮まった。この空間は完全に彼女に掌握されている。グルニエさんが波を起こし、伝播させ、鎮静化させる。裁かれるはずだった彼女が裁く側に立っている。呑まれた者達はきっと、黒猫がグルニエさんの足元まで辿り着いたことにも気づいていないだろう。口に加えた小さな紙片。グルニエさんはそれを受け取り、黒猫の頭を優しく撫でた。


「その理由を私は知りたい。さあ、そこで君の出番というわけだ、アイリーン・ハーパー書記官」

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