第16話 その魔女は心を読む
「仮にも公平を司る法廷で、取引など」
「ちょっと待ってください。秘密、ですって」
裁判長の非難とウィーズリー裁判官の疑問が重なった。裁判長はウィーズリー裁判官を見咎めるように目線をやる。だが今度の彼は退く様子を見せなかった。それをよしとしたのか、グルニエさんはウィーズリー裁判官の質問に答える。
「善良なる魔女とは何だ。神聖帝国の利益になるやつを言うのだろう? ならば今ここで私が不正を暴いてやれば、それは善良の証明になると思うのだが」
「不正……!?」
「被告人グルニエ、貴女はこの法廷に問題があると言いたいのですか」
ハーパー女史が口元を押さえ、エルドレッド裁判官は努めて冷静にグルニエさんを問い質す。誰もがその目線を彼女に向けていた。そこが混沌渦巻く嵐の中心であるかのように、吸い寄せられて逸らせない。足元から温もりが消えた。
「この法廷が抱えている問題の正体は、今の私にも断言はできない」
「……馬鹿馬鹿しい」
そう嘆息したのはコストナー裁判長だ。
「判決を先延ばしにするための足掻きならおやめなさい。余計に心証が悪くなります」
「これ以上悪化したところで私は何も失わん。確かに今は断言できないが、それはこれから明らかになることだ」
「……と言うと」
「貴様らはこの裁判に違和感を覚えているだろう」
はっ、と小さく息を呑む声が耳に入った。紛糾した法廷でも聞き逃すことはない。虚を衝かれたように目を開いたのは他の誰でもない――冷静沈着の代名詞、エルドレッド裁判官だったのだから。そしてその隙をグルニエさんが見逃すはずがなかった。
「エルドレッド裁判官。貴様が仕事熱心でこの職務に誇りを持っているのは知っている」
証言台に立っているグルニエさんは、白くて細い人差し指をエルドレッド裁判官につきつける。
「『裁判官は常に公平かつ公正であらねばならない』――そのために感情を押し殺そうとしているな。だがあまり強い力で服を掴むものじゃない。シワになってしまうぞ」
グルニエさんの口調はどこか剽軽でもあったが、軽妙な語り口に反して裁判官へのダメージは深刻なようだった。今まで感情を見せなかったエルドレッド裁判官がぎょっとした様子で下を向く。恐らくは僕のように太腿の上で拳を作っていて、彼の場合は黒い法服の裾を強く握ってしまっていたのだろう。僕の席からは見えないけれど。
「何故……」
「過度な心労があったと見える。そうやって堪えなくてはならないほど感情を揺さぶる事態があったのだろう? それは法廷において異常というべきものだ。教えてくれ裁判官、何がおかしかった」
エルドレッド裁判官はしばらく苦しそうに、葛藤するように俯き――拳を解くことができたのか、僕にはわからないが――十数秒ほどして、重い口を開いた。
「……流れが」
裁判の流れが少し特殊だと、エルドレッド裁判官は言った。
「我が国の裁判は、被告人や証人に一通りの尋問をした上で、裁判長と裁判官の合議で判決を下します。それは魔女裁判も同じはずです。ですが」
エルドレッド裁判官は逡巡しているようだった。理知的で歯切れのいい語り口は失われている。躊躇うように裁判長を一瞥し、それから彼は一石を投じた。
「……裁判長が独断で判決を下すなど、あってはなりません」
「エルドレッド裁判官」
コストナー裁判長の厳しい声が飛ぶ。エルドレッド裁判官は弁解するように叫んだ。
「もちろん、最終的に意見を集約し木槌を下ろすのは裁判長です。二名の裁判官の意見が割れているのならそれをまとめる責任があります。ただ今回は……合議に入る前に裁判長個人が意見を表明するなど、公平の原則に反します」
「彼女が善良性を欠いていることは先の質問で自明だったでしょう!」
「自明ということはありません!」
裁判長の反論にウィーズリー裁判官が噛みつく。
「裁判長、お忘れになってしまったのですか? 我々は先入観を持ってはならないのです。判決が下されるまでは無実の推定が働く。彼女が魔女と自白しても、我々がその証明に納得し、魔女であると木槌を叩くまで……私たちは、彼女を魔女だと決めつけてはならない」
「ぐ……!」
コストナー裁判長の顔に苦渋が滲む。遠目からも焦りがありありと浮かんで見えた。二人の裁判官は堰を切ったように違和感を次々に口にする。尋問しているのは果たしてどちらなのか、わからない構図ができあがっていた。
「思えば、コストナー裁判長は事の進め方が性急でした。被告人の善性を問う質問は、本来であればもっと時間をかけて質問を吟味し、更に質問を重ねていくものです」
「事前に打ち合わせをした際はそんなことなかったのに……今日の裁判長の進行には疑問を感じざるを得ません」
ざわざわと法廷内に疑念の波が広がっていく。人の数は決して多くない。傍聴席の後ろから囁き声がする。僕はその会話を耳に挟むことができた。「どうなっているんだ」「コストナーは優秀な裁判官であるはずだが?」――僕よりも裁判に詳しいだろう神聖騎士の言だ、嘘はないだろう。公平性は裁判官の最重要命題だ。自身の決めつけで軽率に発言してはならない。しかしあの裁判長はどうにもグルニエさんを魔女と決めつけて話を進め、結論を急ごうとする。であれば次の疑問だ。
まるで素人のようなコストナー裁判長は、一体何を隠しているのか。
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